久々の東フィルとバッティストーニの共演。ピアソラ『シンフォニア・ブエノスアイレス』は日本初演だが、作曲されたのは1951年とある(改訂版の初演が1953年)。60年間もこの国で演奏されなかったのには理由があるのだろうか。冒頭の凄まじく前衛的で電撃的な不協和音が、並々ならぬ熱量だった。これはまるで春の祭典か。バッティストーニの「熱さ」に東フィルは最大限の意欲とデラックスな音量で応え、それが非常にモダンに感じられた。先日の山田和樹さんと読響のガーシュウィンのへ長のピアノコンチェルトでも感じたことだが、ジャズやタンゴといったクラシックの正統ではないと言われてきたジャンルの作曲家が、殴り込みをかけるように書いた曲は素晴らしい。突破力があり、挑戦的で、眩しいほど誇り高く、奥に秘められた気品には人として最高の「徳」を感じる。バンドネオンの小松亮太さん、北村聡さんの憂愁を帯びた演奏が、東フィルの情熱的なサウンドと溶け合って、今まで聴いたことのないサントリーホールの響きだった。妖艶な「夜のフィーリング」も感じられ、スタイリッシュで衝撃的で、闇に立ち込める花の強い香りがした。
バッティストーニはやはり途轍もなく魅力的な指揮者だ。魅力が大きいものには批判もついてまわる。ダイヤモンドは魅力的な宝石だが、世の中の多くの人はダイヤモンドの悪口を言う。バッティストーニのエモーショナルな音楽作りや爆音が、時折若さの暴走のように誤解され「いずれはもっと落ち着いた音楽をやるようになる」という言われ方をするのも、仕方がないことかも知れない。
しかし、バッティストーニの指揮の「激しさ」には迷いのない意図が感じられる。普段の彼は穏やかで学者のように理知的で、勢いで音楽を作るような人ではない。一番最初に聞いた二期会の『ナブッコ』は、今より老けた音楽だった。正統派といえばそうかもしれないが、古めかしい意味での節度があり、学生の生真面目さがあった。その翌年、師匠のガブリエーレ・フェッロが二期会で『ドン・カルロ』を振ったとき、「バッティストーニはなるほど、真面目な生徒だったのだな」と納得した。
プロコフィエフの『ロメオとジュリエット』組曲は、次から次へと音の画のような見事なサウンドスケープが展開された。バッティストーニは恐らく、バレエのこともよく知っている。個人的に、夥しい数のバレエ公演で、ピットから流れるこの曲を聴いてきたが、美術も照明もダンサーもいない空間で、音楽の深さにこれほど驚愕したのは初めての経験だった。ロミジュリとは、プロコフィエフの観点からいえばロシアのもので、シェイクスピア的には英国のもので、物語のルーツとしてはイタリアのものである。悲恋の舞台となったのはバッティストーニの故郷ヴェローナで、そこにはロミジュリの「聖地」もある。
音楽を聴いているうちに、このプロコフィエフのバレエ曲がかけがえのない自分の組織として、内部に根付いていたことを自覚した。おかしな表現だと思うが…初めてマクミラン版のバレエを東京文化の5階席で観て、魂を抜かれてしまったときから、この音楽は自分の肉体の中で透明な臓器のように組み込まれていた。アレッサンドラ・フェリとフリオ・ボッカのABTの来日公演で、彼らのツアー中にマクミランはロンドンの公演中の楽屋で亡くなった。その後、クランコ版やラヴロフスキー版、モダンバレエのプレルジョカージュ版も観た。マリインスキー劇場でのラヴロフスキー版はサンクトペテルブルクで取材し、稽古では喧嘩していたロメオとジュリエットが、その後結婚して子供も設けた経緯も見てきた。現実にそのようなドラマが起こるのも、プロコフィエフの音楽がもつ宇宙的な神秘性のなせるわざだ。
『ロメオとジュリエット』は野蛮な話で、広場で喧嘩が始まると剣で人と人が斬り合い、死んだ者たちが藁の山のように積み上げられて(マクミラン版)片付けられる。東フィルは凄い。舞台音楽のエキスパートで、何がどのように行われればドラマが生まれるのかよく分かっている。14世紀の野蛮な人々の、譲らないエゴの衝突が、さまざまな楽器で表され、クラッシュしていく。「ティボルトの死」では、マキューシオを背中から刺した卑怯者のティボルトが、ロメオの剣に倒れる。打楽器の15回の恐ろしい連打は、プロコフィエフの言う「動物的な死」の表現で、心の中で「9回、10回、11回…と」ちまちま数えていた自分があほらしくなるほど、オーケストラ全員が迷いなく持ち場をこなしていた。
ロマネスク建築の教会の響きを思わせる「修道士ローレンス」に恍惚しとつつ、やはりイタリアの指揮者は凄い…と思った。イタリアには我々の見たことのない、美しいものがたくさんあるのだ。日本の平均的な地方都市の住宅街や商店街、電線だらけの景色は、彼らにとってどれほど醜いものなのか。芸術を通して、官僚が作った灰色の日本の「芸術なき世界」の貧しさを思い知る。バッティストーニは、故郷の美しさを音楽で伝える。
それにしてもロメオとジュリエットは凄まじい曲だった。「ジュリエットの墓の前のロメオ」では、バッティストーニが東フィルとともに伝えようとしている愛情の大きさに眩暈がした。ジュリエットの恋とは、一生にただ一度だけ起こった恋であり、13歳の少女がたった5日間のあいだに子供から大人になり、愛の巨大さに吸い込まれて、世俗の中では息が出来なくなり、宇宙の塵に吸い込まれていく話なのだ。これは何に似ているかというと、蝶々夫人のバタフライだ。もう時効になるので書くと、2014年に二期会でルスティオーニが振った『蝶々夫人』を、バッティストーニがやりたがっていたと聞いたことがある。「でも当分は、アンドレアはヴェルディ、ダニエーレはプッチーニ」というスタッフの話だった。宮本亞門演出の二期会の『蝶々夫人』は、悲願の東フィル&バッティストーニの黄金コンビだったが、思い出しても涙が止まらない。バタフライもロメジュリも、バッティストーニが大切にしたいと思うのは、小さな身体に抱えきれない愛を経験してしまった女性なのであり、その包み込むような巨大な愛に、この世を越えた果てしなさを感じる。ヴェローナに生まれたバッティストーニの、大勢のご先祖が、その様子を見守っているようでもあった。
バッティストーニは早くから、◎◎の門下、ということを離れて自由に創造を行おうとしてきた人で、自作曲も東フィルと演奏し、指揮者としての青春時代を100%日本のオケとともにしている。我が国オケはなかなか凄いことをやるではないか…今さらながら、誇らしく思われた。
Ⓒ上野隆文