来日中のフランクフルト放送交響楽団のツアー最終日のコンサートをサントリーホールで聴く。指揮のアラン・アルティノグルは2021年からフランクフルト放送響の音楽監督を務めているアルメニア系フランス人。世界中の名門オーケストラと共演を果たし、2016年からはベルギーのモネ劇場の監督も務めているが、プロフィールを調べたら1975年10月9日生まれで49歳の誕生日を迎えたばかり。この世代の特徴か、指揮台の上でも威圧的なところがなく、オケとフレンドリーな関係を結んでいるように見えた。
ブラームス『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』では庄司紗矢香さんが登場。黒の透かし模様のニットトップスに、ボトムスは光る素材のシルバーのパンツで、個性的な雰囲気が増している印象。オケの長い前奏部を瞑想的な表情で聴いていて、前日のみなとみらいでも同じ曲で共演しているはずだが、毎回オケの様子も微妙に変わるのだろう。全体のエネルギーの中からしかるべきソロを奏でようとしている姿にも見えた。
ブラームスのvnコンチェルトは先日の読響ヴァイグレ指揮&テツラフでも聴いたが、ソロもオーケストラも全く違ったアプローチだった。アルティノグルが引き出すサウンドはいぶし銀のように艶消しで、華やかに演奏されることの多いこの曲をわざと地味に聴かせている。首席フルートの女性が奏でているのは木製のフルートで、音は大きくないがふくよかで薫り高い音を放つ。対抗配置のコントラバスは向かって左端から二人ずつ前にせり出す並びで、一番前の二人は最前列チェロのすぐ後ろまで来ている。サウンド・デザインにこだわりを感じたが、「濃い口」の演奏に鳴れている人にとっては何か物足りない音楽だったかも知れない。オケの音量には節度があり、その注意深さによって今まで聞こえてこなかった緻密な構造が見えてくるようだった。この曲は、ブラームスの代表作のひとつでありながら、表面的で派手な演奏をされることが多いと思う。ブラームスもある種の栄誉を求めて曲を書いたふしがある。指揮者はその奥にある、神秘的で「ブラームスの素顔に近い」精神性を引き出そうとしているようだった。
庄司紗矢香さんは両足をステージにしっかりと吸い付けて、「不動の構え」ともいうべき姿勢で次から次へと目がくらむような超絶技巧を聞かせた。鮮やかなヴォイス・セパレーションは、この楽器の究極の魅力を引き出し、同時に簡単には触れないような威厳もまとっていた。こういう凄味のあるソロを演奏している人の姿というのは、神々しくもある反面怖くもあり、音も鋭利なので「癒し」の要素は全くない。オケは常人離れした凄いソロを引き立てるように、限りなく奥へ奥へと引っ込んでいく。作曲された当時のヨアヒムとブラームスの関係はこうだったのかな、と想像した。3楽章のヴィルトゥオジティのインフレーションのようになる箇所で、庄司さんが「これ、面白すぎるよ」という表情で一瞬スマイルになったので、天才はこんなところで笑うのかとびっくりした。当たり前でないオケのアプローチにソリストも尊敬の念を感じていたのか、アンコールのマックス・レーガー「プレリュードとフーガ」はオケに捧げる演奏に聴こえた(果たし状にも聴こえた)。
後半のムソルグスキー(ラヴェル編)『展覧会の絵』では前半の若いコンマスがセカンドになり、見るからにベテランといった風貌のコンマスが着席。オーケストラも大編成となり、音量も一気にデラックスに。冒頭のトランペット・ソロは輝かしく、こんなに威風堂々としたプロムナードは聴いたことがない。オペラグラスで見たら年代物の古い楽器に見えたが、トランペットにもストラドのような名器があるのだろうか。途中別の楽器に持ち替えている箇所もあったが、最後の喝采もこの奏者へ向けられたものが一番大きかった。
それにしても、なんという面白い曲なのか…アルティノグルはオペラ指揮者でもあるからか、この組曲がオペラ的にも聴こえた。あるシークエンスはワーグナーのように大げさで、そうかと思うとコミカルになったり、アニメーションを見ているような面白い気分になったりする。指揮者の後ろ姿はスタイリッシュだが、オケ側から見ると百面相なのかも。先日行われていた東京国際指揮者コンクールの予選では、このオケでアルティノグルのアシスタントをしていたフランス人ニキタ・ソローキンが素晴らしい演奏を聴かせたが、師匠から多くのことを学んだのだろう。書かれた作品の本質に切り込むような音楽を聞かせる。
『展覧会の絵』は凄いファンタジーで、世界戦争や神話やサイケデリックな誇大妄想が「飛び出す絵本」のように展開される。ムソルグスキーも編曲をしたラヴェルも「童心の人」で、精神の深い部分では大人なんか信じていなかった。子供が面白いものに過集中するように作曲をしていた二人で、ワーグナーなら古代神話として描くシリアスさも、彼らにとっては玩具箱の世界になる。その面白さを、飄々と客観的に眺めながら、アルティノグルは爆発的な音響をホールに轟かせた。前半と後半、同じ素材を使って全く違う料理を出された気分。
アンコールはドビュッシーの「月の光」(オーケストラ版)で、これはお洒落なフレンチのデザートのようで、繊細な合奏が本編とは異なる美味しさを味わわせてくれた。オーケストラはどんなことだって出来るのだ。
目まぐるしくシェフが交代するオケが多い中、フランクフルト放送交響楽団は一人の指揮者の在任期間が比較的長く、インバルは20世紀に16年間音楽監督を務めていた。アルティノグルとの共演はまだまだ聴いてみたい。人間的にも大変魅力的な指揮者のような気がする。
ブラームス『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』では庄司紗矢香さんが登場。黒の透かし模様のニットトップスに、ボトムスは光る素材のシルバーのパンツで、個性的な雰囲気が増している印象。オケの長い前奏部を瞑想的な表情で聴いていて、前日のみなとみらいでも同じ曲で共演しているはずだが、毎回オケの様子も微妙に変わるのだろう。全体のエネルギーの中からしかるべきソロを奏でようとしている姿にも見えた。
ブラームスのvnコンチェルトは先日の読響ヴァイグレ指揮&テツラフでも聴いたが、ソロもオーケストラも全く違ったアプローチだった。アルティノグルが引き出すサウンドはいぶし銀のように艶消しで、華やかに演奏されることの多いこの曲をわざと地味に聴かせている。首席フルートの女性が奏でているのは木製のフルートで、音は大きくないがふくよかで薫り高い音を放つ。対抗配置のコントラバスは向かって左端から二人ずつ前にせり出す並びで、一番前の二人は最前列チェロのすぐ後ろまで来ている。サウンド・デザインにこだわりを感じたが、「濃い口」の演奏に鳴れている人にとっては何か物足りない音楽だったかも知れない。オケの音量には節度があり、その注意深さによって今まで聞こえてこなかった緻密な構造が見えてくるようだった。この曲は、ブラームスの代表作のひとつでありながら、表面的で派手な演奏をされることが多いと思う。ブラームスもある種の栄誉を求めて曲を書いたふしがある。指揮者はその奥にある、神秘的で「ブラームスの素顔に近い」精神性を引き出そうとしているようだった。
庄司紗矢香さんは両足をステージにしっかりと吸い付けて、「不動の構え」ともいうべき姿勢で次から次へと目がくらむような超絶技巧を聞かせた。鮮やかなヴォイス・セパレーションは、この楽器の究極の魅力を引き出し、同時に簡単には触れないような威厳もまとっていた。こういう凄味のあるソロを演奏している人の姿というのは、神々しくもある反面怖くもあり、音も鋭利なので「癒し」の要素は全くない。オケは常人離れした凄いソロを引き立てるように、限りなく奥へ奥へと引っ込んでいく。作曲された当時のヨアヒムとブラームスの関係はこうだったのかな、と想像した。3楽章のヴィルトゥオジティのインフレーションのようになる箇所で、庄司さんが「これ、面白すぎるよ」という表情で一瞬スマイルになったので、天才はこんなところで笑うのかとびっくりした。当たり前でないオケのアプローチにソリストも尊敬の念を感じていたのか、アンコールのマックス・レーガー「プレリュードとフーガ」はオケに捧げる演奏に聴こえた(果たし状にも聴こえた)。
後半のムソルグスキー(ラヴェル編)『展覧会の絵』では前半の若いコンマスがセカンドになり、見るからにベテランといった風貌のコンマスが着席。オーケストラも大編成となり、音量も一気にデラックスに。冒頭のトランペット・ソロは輝かしく、こんなに威風堂々としたプロムナードは聴いたことがない。オペラグラスで見たら年代物の古い楽器に見えたが、トランペットにもストラドのような名器があるのだろうか。途中別の楽器に持ち替えている箇所もあったが、最後の喝采もこの奏者へ向けられたものが一番大きかった。
それにしても、なんという面白い曲なのか…アルティノグルはオペラ指揮者でもあるからか、この組曲がオペラ的にも聴こえた。あるシークエンスはワーグナーのように大げさで、そうかと思うとコミカルになったり、アニメーションを見ているような面白い気分になったりする。指揮者の後ろ姿はスタイリッシュだが、オケ側から見ると百面相なのかも。先日行われていた東京国際指揮者コンクールの予選では、このオケでアルティノグルのアシスタントをしていたフランス人ニキタ・ソローキンが素晴らしい演奏を聴かせたが、師匠から多くのことを学んだのだろう。書かれた作品の本質に切り込むような音楽を聞かせる。
『展覧会の絵』は凄いファンタジーで、世界戦争や神話やサイケデリックな誇大妄想が「飛び出す絵本」のように展開される。ムソルグスキーも編曲をしたラヴェルも「童心の人」で、精神の深い部分では大人なんか信じていなかった。子供が面白いものに過集中するように作曲をしていた二人で、ワーグナーなら古代神話として描くシリアスさも、彼らにとっては玩具箱の世界になる。その面白さを、飄々と客観的に眺めながら、アルティノグルは爆発的な音響をホールに轟かせた。前半と後半、同じ素材を使って全く違う料理を出された気分。
アンコールはドビュッシーの「月の光」(オーケストラ版)で、これはお洒落なフレンチのデザートのようで、繊細な合奏が本編とは異なる美味しさを味わわせてくれた。オーケストラはどんなことだって出来るのだ。
目まぐるしくシェフが交代するオケが多い中、フランクフルト放送交響楽団は一人の指揮者の在任期間が比較的長く、インバルは20世紀に16年間音楽監督を務めていた。アルティノグルとの共演はまだまだ聴いてみたい。人間的にも大変魅力的な指揮者のような気がする。