【じごく耳】基本的人権は~現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである

国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

69回目の「長崎原爆の日」*平和祈念式典

2014年08月09日 | ☆ツブヤキ・つぶやき☆

 本日8月9日は、長崎に米軍機から原爆が投下されて69年目になります。1945年8月9日午前11時2分に投下された原子爆弾

によって、74000人もの尊い命奪われました。(今年で原爆死没者は165409人となりました。)そして、何とか生き残った人々

は、未だに癒えることのない日々を送っています。

 米国人の中には、「この原爆投下によって戦争が終わったんだ。」と米国政府に洗脳されてしまった浅慮な人達がいますが、

んでもありません。

今から20年前、原爆投下を決めるにあたっての当時の政策担当者のメモ・日記、秘密解除された公文書などの資料に基づい

て検証していたカリフォルニア州スタンフォード大学のバートン・バーンスタイン教授は、「日本に懲罰を加えることが原爆投

下の本来の目的の1つだった。」「原爆開発のマンハッタン秘密計画は約20億ドルの資金を投じて推進された為、ルーズベル

ト大統領とトルーマン大統領は、その成果を示す必要があり、民間人に大量の犠牲者が出ることが分かっていながら原爆投下

の決断を下した。」と説明しています。戦争を早期終了させる目的などではなく、後からこじつけた米国政府のでっち上げで

す。

 原爆の悲惨さを人生を掛けて語っている高齢の方々に、暴言を吐いたり、無礼極まる態度を取った幼児期の精神そのままの

子の報道を見聞きするにつけ、おぞましく、やり切れなくなります。展示してある戦車に乗って、無邪気にポーズを取る幼児期

の精神そのままの人々は、政府の中枢にもいます。そういう人達が、大量殺人を合法化した愚劣で卑劣な戦争を仕掛けるので

しょう。こういう浅はかな餓鬼達には、民はやっぱり釘を刺すべきでしょうね。

 先の広島原爆の日に、安倍首相が読んだあいさつは、昨年のあいさつ文とうりふたつ。年度を8から9に変えただけの定型

文。この人の原爆被災者に対する気持ちを如実に表している。恥ずかしい・・ホントに情けないリーダーだ。怒りを通り越して涙

が出る・・・

 今年の長崎市長 田上 富久氏による『長崎平和宣言』は、集団的自衛権にも触れ、「日本国憲法に込められた「戦争をしな

い」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。~その平和の原点がいま揺らいでいる

のではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合

い、耳を傾けることを強く求めます。」と述べています。

http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/

☆参照:原爆投下の真実です↓ 

「原爆投下、市民殺りくが目的米学者、極秘文書で確認」

 http://eharagen.sun.macserver.jp/atomic_bomb.html

 

後世に残こさなければならない誓いの言葉です↓

 

☆「平和への誓い」全文  被爆者代表 城台美弥子様

 

 1945年6月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時6歳だった私は、防空頭巾がそば

にないと安心して眠ることができなくなっていました。

 8月9日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。

 

 「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕へ行きました。爆心地から2.4キロ地点、

金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子ど

もたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。

 

 そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。

 

 私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。その

瞬間空がキラッと光りました。その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えていません。しばらくたって、私は家

の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんはそのときけがもしていなかったのに、お母さんになってから、

突然亡くなりました。

 

 たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命

を落としていきました。私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。わたしが被爆者でなかっ

たら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人

間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことで

す。

 

 そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務

があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認

は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦

争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若

者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。

 

 福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおら

れます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働等を行ってい

いのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。

 

 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじ

っと聴いてくれます。この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。

 

 長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相

を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残

していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。        平成26年8月9日

 

  

 

 


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