常陸大宮里山日記

茨城県の北西。久慈川と那珂川に囲まれた、常陸大宮市のなんだか暖かい里山の暮らし。

八里トンネル

2015-02-15 22:48:37 | 歴史
いつも通っている長倉と小舟を結ぶ県道164号線。
峠の大きな切り通しの両側に同じような石碑があることに気が付きました。
これは、南の入本郷(いりほんごう)側。


反対側の油河内(ゆごうど)側にも同じ石碑があります。
碑文は「八里燧道 昭和三年十二月竣工」


県道が拡張整備される前は、この峠はトンネルで通過していた。
重機もない時代、ほとんど人力で掘られたトンネルだったそうです。
そうまでして、この峠にトンネルを作る必要があった。
当時の人や物の往来は今と違ったものだったのかもしれません。


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三王山から青麻山

2015-01-12 21:29:10 | 歴史
三王山の展望台の階段をおっかなびっくり降りてきたら、
目の前の木立ちの陰に、石碑がありのに気がつきました。


碑文は「青麻大権現 昭和七年」と読めました。
もしかして、ここから、はるか常陸大宮市の北の青麻山までのぞめるのかも。
かつては、ここから地域の人たちが青麻山の神様を拝んだのかも。
周囲の木々があるし、地図もなかったので確認できませんでしたが。

展望台から駐車場まで下ろうとしたら、目の前に小鳥がひょっこり現れました。
私を警戒しつつ、私を先導してくれました。

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釜額のお地蔵様

2013-07-08 21:33:16 | 歴史
久慈川が大きく蛇行する小貫地区の集落「釜額」。「かまぬか」と読みます。
久慈川にそそぐ小さな川の岸に松の木をお供に整列する野仏たち。
県道からよく見えます。


草いきれのなか近寄ってみると、思いがけずたくさんの石碑がありました。
風化が進んでいて、刻んである文字は読めません。
この集落の長い歴史を感じさせます。


小さな手を合わせて子供たちの幸せを祈っているお地蔵様。


私は、この小さなお地蔵様が好き。
心和むおだやかなお顔のお地蔵様です。
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仏様と道しるべ

2013-02-12 22:00:49 | 歴史
上岩瀬で、真冬に鮮やかな花が献じられている、きれいなお堂を見かけました。


近づいてみたら、造花でした。そりゃそうだよね。


ずいぶん古そうな野仏です。あとで、珍しいものだとききました。
左側は、馬力神。右側が、仏様。
この右側の仏様は道しるべでもあり、「左しつ石つか 右〇〇村松」と刻んであったそうです。
私には、もう読めませんでしたが。

「しつ」は静のことでしょうか。
地図でみると、この場所から、玉川を渡って118号線を横切り、静駅方面に向かう道があります。
村松は、どこのことか、私にはわからない。
今は、上岩瀬の住宅地の一角だけど、
いつの時代か、ここは、久慈川と玉川が合流する広い湿地帯か、田んぼが見渡す限り広がっていて、
道しるべがなければ迷ってしまう、そんな風景だったのかな。
この仏様に旅の無事を祈りながら、多くの人や馬が通り過ぎて行ったんだろう。
今は役割を終えた野仏。
守ってもらった人々の子孫は、今でも、この仏様を大事にしている。
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三美の子安観音

2012-12-30 21:16:26 | 歴史
那珂川の河岸段丘に豊かな畑地が広がる三美。
いつもどこかで埋蔵文化財発掘調査が行われている。
こないだは、記録にもない古墳が発掘された。
森林と那珂川の豊かな恵みを受けて、太古の昔から人々が暮らしていたらしい。

三美にある祠には、200年前から子安観音が祀られ、
安産と子供の成長を祈る人々の姿が思い浮かぶ。


左から、明治25年(1892年)の子安観音。
観音というより女神のような子安観音は明治以降の特徴。
左から2番目も風化が激しいけど、子安観音。時代はわからない。
3番目は1823年につくられた不動明王。不動明王は安産の神様でもある。
4番目は1802年につくられた二十三夜塔。


将軍は家斉。寛政の改革の直後。
そんな大昔から、お祀りされている神様です。


コメント (2)
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