常陸大宮では、馬に関する野仏や石碑をよく見かける。
山方地域の三太の湯に向かう途中、塚のうえにあった野仏。
一番左側から「男体山・・・供養・・」「(たぶん)馬頭観世音」の碑文がかろうじて読めます。
次は、子供を抱いているように見えるので子安観音でしょうか。
一番右が「馬力神」。
休場展望台からさらに奥の上山(「うやま」と読みます)の集落の入り口、
旧道の分岐点にあった野仏。
左側の二つは腕が六本ある仏さま。これは、馬頭観音の姿。
そして同じく馬頭観世音と馬力神の組み合わせ。
一番左側の馬頭観音は、頭上に馬の頭があった跡があり、斧を持っている。反対側には何を持っているのだろう?
観音様だけど、怒り顔のような気がする。
北富田でみかけた、やはり分かれ道にあった馬頭観世音。
農業が機械化されるまで、馬は常陸大宮の人々にとって貴重な労働力。
常陸大宮でも戦後まで農家には普通に馬がいた。
戦争中は、その大事な馬を徴用されてしまったこともあった。
大宮地域には軍馬の供養塔もあるらしい。
馬頭観音や馬力神は、大事な馬の息災や安全への祈り。そして愛馬の供養。
常陸大宮は馬頭観音や馬力神がとても多い。
ついこないだまで、人々のすぐそばに馬がいて、その絆は強いものだったのだろう。
山方地域の三太の湯に向かう途中、塚のうえにあった野仏。
一番左側から「男体山・・・供養・・」「(たぶん)馬頭観世音」の碑文がかろうじて読めます。
次は、子供を抱いているように見えるので子安観音でしょうか。
一番右が「馬力神」。
休場展望台からさらに奥の上山(「うやま」と読みます)の集落の入り口、
旧道の分岐点にあった野仏。
左側の二つは腕が六本ある仏さま。これは、馬頭観音の姿。
そして同じく馬頭観世音と馬力神の組み合わせ。
一番左側の馬頭観音は、頭上に馬の頭があった跡があり、斧を持っている。反対側には何を持っているのだろう?
観音様だけど、怒り顔のような気がする。
北富田でみかけた、やはり分かれ道にあった馬頭観世音。
農業が機械化されるまで、馬は常陸大宮の人々にとって貴重な労働力。
常陸大宮でも戦後まで農家には普通に馬がいた。
戦争中は、その大事な馬を徴用されてしまったこともあった。
大宮地域には軍馬の供養塔もあるらしい。
馬頭観音や馬力神は、大事な馬の息災や安全への祈り。そして愛馬の供養。
常陸大宮は馬頭観音や馬力神がとても多い。
ついこないだまで、人々のすぐそばに馬がいて、その絆は強いものだったのだろう。