3月11日の晩は、市役所に開設された避難所で過ごしました。
その夜はとても寒くて、借りた非常用の毛布にくるまっていたのだけれど、
寒さと余震でとても寝られませんでした。
翌日、お昼ごろ暖かい炊き出しのご飯をいただきました。
小さなビニール袋に一合ぐらいのご飯が詰まっていました。
とても美味しかった。
そのお米は、JA茨城みどりさんからの無償提供だったそうです。
高級ブランド米の奥久慈米のほか、みどり米など、
そのときJAさんの在庫を全部持ってきてくれたんだそうです。
どうりで、美味しかったはず。
私たちは、あんな状況でとてもぜいたくをさせてもらったようです。
ご飯を食べたら、元気が出てきて、
ああ、やっぱり私たちはお米で生きている、そう思いました。
あれから2週間以上たつのに、
震源から離れた茨城県で、まだ余震が続いています。
その夜はとても寒くて、借りた非常用の毛布にくるまっていたのだけれど、
寒さと余震でとても寝られませんでした。
翌日、お昼ごろ暖かい炊き出しのご飯をいただきました。
小さなビニール袋に一合ぐらいのご飯が詰まっていました。
とても美味しかった。
そのお米は、JA茨城みどりさんからの無償提供だったそうです。
高級ブランド米の奥久慈米のほか、みどり米など、
そのときJAさんの在庫を全部持ってきてくれたんだそうです。
どうりで、美味しかったはず。
私たちは、あんな状況でとてもぜいたくをさせてもらったようです。
ご飯を食べたら、元気が出てきて、
ああ、やっぱり私たちはお米で生きている、そう思いました。
あれから2週間以上たつのに、
震源から離れた茨城県で、まだ余震が続いています。