あの日、私は子育て支援センターかじがやでベビーマッサージを教えていました。
突然の大きな揺れに、
「座って赤ちゃんをバスタオルで包んで」
「天井のライトとピアノから離れて」
と受講生全体に声をかけながら、非常口を開け、ストーブを消しました。
わが子を抱きながら立ち上がり、怖い―っ、いやーっ、と叫ぶパニック状態のママさんが何名もいました。
階段に続く廊下からバリバリと音がして、アップライトのピアノは倒れそうなほど揺れていました。
「座りなさい」
「座りなさい」
「赤ちゃんをしっかり抱いて」
「子どもが不安になるから黙りなさい」
叫びうろうろと立ち歩くママさん一人一人に、言葉と手で指示をして座らせました。
やっと揺れが収まり静かになったママさん達に、「急いで荷物をまとめて帰りましょう」と話しました。
足元と近くの建物や電線にも気を付けて、家が近い人同志一緒に帰るようにしました。
停電していたので、お鍋とガスでご飯3合を炊く方法を説明し、水の買い置きがない人は帰りに買うよう話しました。
非常用滑り台の避難路と階段のどちらから非難させようと思っていたところに、2度目の大きな揺れがありました。
その後、やっとセンターのスタッフが帰宅させてくださいと2階に来ました。
受講生を見送り1階に降りたら、園庭でたくさんの母親が子どもを遊ばせていました。
「先生、庭(と建物の間)にこんな隙間が開いちゃいましたよ」と以前の生徒さんが声をかけてきてくれました。
「あなた達、遊んでいないで早く帰りなさい。私もこれから小学校に娘を迎えに行きます。」
私は、のんびりと遊んでいたママさん達を叱りました。
小学校に車で迎えに行く間、停電した信号の代わりに、ケーキ職人さんとガソリンスタンドの方が交通整理をしていました。
校庭には児童と先生が集合していて、こひつじちゃんはパニックを起こして泣いている子を慰めていました。
車に乗る途中、あの黒い煙はお台場の火事らしいとクラスのママさんが教えてくれました。
ひつじ君は自転車を押して、道がわからないという友人と一緒に歩いて帰宅しました。
里の母と義理の父母にいち早く連絡をしてくれたのも彼でした。
ひつじ家当主は「道が歩く人であふれているよ」と深夜にバイクで帰宅しました。
翌々日、支援物資を送りましたが、しばらく物が自由に買えない暮らしが続きました。
一年後の去年、「お水と食料の買い置きはしていますか」と、かじがやで受講生に尋ねました。
笑いながら下を向くママさんがほとんどでした。
忘れてはいけないと思います。
友人の一人とは、いまだに連絡が取れません。
こひつじちゃんの中学校では、黙祷したのだそうです。
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。