かわたれどきの頁繰り

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『クラーナハ展 ――500年後の誘惑』 国立西洋美術館

2016年10月19日 | 展覧会

【2016年10月18日】


『クラーナハ展 ―500年後の誘惑』(図録
(TBSテレビ、2016年)

 東京で午後からの会議があって、午前中に展覧会を一つ見るとしたらどれにするか、じつはそれほど選択肢はない。上野恩賜公園内のどれかの美術館から汐留のパナソニックミュージアムくらいまでの東京駅近辺ということになってしまう。新幹線から降りてJRや地下鉄を乗り継いで行く美術館では時間の余裕がなくなってしまう。
 とはいえ、国立西洋美術館で開催されているからクラーナハ展を選んだというわけでは必ずしもない。数はたいしたことはないが、あちこちでクラーナハの絵を見ていて馴染みがあるということもあったが、何よりもクラーナハの絵の印象がずっと強く残っていたということが大きい。例えば、ウィーン美術史美術館での感動の大きさで言えばクラーナハの絵はけっして高くはなかったのだが、無表情で硬質な感じの人物の顔が忘れられないのである。そのタイプの人物像は決して好きではないのだが、気になって仕方がないというのが正直な感想である。


ルカス・クラーナハ(父)《ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公》1515年頃、
テンペラ/板(針葉樹材)、64×48cm、コーブル城美術コレクション
inv. no. M. 166 (図録、p. 41)。


【左】ルカス・クラーナハ(子)《ザクセン選帝侯アウグスト》1565年以降(1575年頃?)、
油彩/カンヴァス、214.5×103cm、ウィーン美術史美術館 inv. no. 3252
 (図録、p. 102)。

【右】ルカス・クラーナハ(子)《アンナ・フォン・デーネマルク》1565年以降(1575年頃?)、
油彩/カンヴァス、214.5×103.5cm、ウィーン美術史美術館
inv. no. 3141 
(図録、p. 103)。

 会場で最初に見るクラーナハの絵は《ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公》である。クラーナハはザクセン選帝侯の宮廷画家だったので、この絵が描かれたことに不思議はないのだが、表情豊かとはいえないまでも無表情で硬質な顔という印象からほど遠い絵である。
 フリードリヒ選帝侯を前にして描いたとされていることから、忠実な写実ということが私が持っていたクラーナハらしさという印象を超えてしまう理由なのかもしれない。最初の一枚で自分の印象を修正しなくてはと思っただけでもこの展覧会は私にとっては大きな意味がある。
 クラーナハ(子)も選帝侯の肖像画を描いていて、《ザクセン選帝侯アウグスト》とその妻《アンナ・フォン・デーネマルク》の全身像が並べて展示してあった。大きな作品ではあったが、肖像画としては凡庸に思えてあまり感動することはなかった。いつものことだが、ある作品に言うべきほどの感動を受けなかった時、私の感受能力に欠損があるのではないかと疑いを持たざるをえない。それで、図録解説を読んでみたのだが、解説はこの絵が描かれた事情の説明がほとんどで、感受すべき美のありようについての評言を見つけられなかった。

 肖像画というのは難しい。ありていに言えば、肖像画で感銘を受けることは多くない。たとえば、ルーベンスには多くの自画像を含め人物画が多い。それでも感動が深いのは、無名の人物を描いた絵である。優れた自画像とほとんど変わらない表現なのに、無名の人物像に心惹かれるのは、無名であるがゆえに獲得される普遍化された人間像がもつ共有性のゆえではないかと思っている。〈象徴〉を通じて人々が共感しあえることと同じように、実在の個人に人間像を限定する肖像画より、無名の人物像において象徴化が高いということだと思う。


【左】ルカス・クラーナハ(父)《聖母子》1515年頃、テンペラ/板(菩提樹材)、81.6×54cm、
ブダペスト国立西洋美術館 inv. no. 4328 (図録、p. 51)。

【右】ルカス・クラーナハ(父)《幼児キリストを礼拝する幼き洗礼者ヨハネ》1515/20年頃、
油彩/板、29×18.9cm、個人像 (図録、p. 55)。

 《聖母子》も私のクラーナハ観を変えるような作品である。聖マリアの柔らかさ、豊かさに打たれる。いくつかの聖母子像が展示されていたが、この作品に眼をひかれて多くの時間を割いて眺め入った。
 母子像を眺めていて気が付いたのは、幼子の描き方に特徴があることだった。顔の器官が前方によっているのである。母子像のどれもに共通に見られたが、《幼児キリストを礼拝する幼き洗礼者ヨハネ》の二人の幼子にその特徴がよく顕わされている。西洋絵画には、当然のことながら数多くの(無数の、と言ってもよい)聖母子像があるが、このような幼子の描き方をした絵は記憶にない。きわめて、クラーナハ的なのではないかと思ったのだが、図録解説にこれについての指摘はなかった。記憶にはないが、私が見ることができた聖母子像はたかが知れているので、時代的なあるいは図像学的な意味があるのかもしれない。


ルカス・クラーナハ(父)《ゲッセマネの祈り》1515/20年頃、油彩・板、
54×32cm、国立西洋美術館 inv. no. P.1968-0001 (図録、p. 77)。

 《ゲッセマネの祈り》も印象の強い作品である。ゲッセマネの逸話はキリスト教におけるきわめて重要な場面には違いないが、目を惹いたのは捕吏たちがやってくる背後の夜明けの空の色彩である。光り輝く天使の色彩の明るさに血の色を加えたような空の明るさ、画面のほんの一部分に描かれた空が暗示するこれからの受難、そんな強い物語性に欠かせない夜明けの空である。「黄とオレンジに染まった夜明けの空、および接近する捕吏の群れの描写」(図録、p. 76)は、この時代の他の画家にも共通する描き方だと解説されている。
 下部に三人の使徒が描かれているが、その肢体はどことなく幼子のそれのように見える。屈みこんでいるので正確性を欠くが、身長に対して頭部が大きく描かれているのである。イノセントな幼子の聖性につながるような意図でもあるのだろうか。肖像画ではそのような印象をまったく受けないが、《サムソンとデリラ》のサムソン、《ロトとその娘たち》のロトなども同じような印象を受けて、物語(説話)の一シーンを描いた絵に共通する特徴のようにも思える。


【左】マルティン・ショーンガウアー《聖アントニウスの誘惑》1470/75年頃、エングレーヴィング、
29.4×20.9cm、アムステルダム国立美術館 inv. no. OB 1038 (図録、p. 113)。

【右】ルカス・クラーナハ(父)《聖アントニウスの誘惑》1506年、木版(第2ステート)、
40.7×27.8cm、国立西洋美術館 inv. no. G.2000-1759 (図録、p. 114)。

 版画作品の《聖アントニウスの誘惑》という二作品に強く吸い寄せられるように眺めたのは、じつは、そこに描かれた悪魔たちの姿のせいであった。ショーンガウアーとクラーナハの絵を悪魔の描き方で区別することはできない。じつによく似ている。悪魔の姿を一つ一つ(悪魔をどんなふうに数えたらよいかわからないが)分離して眺めたい気分になる。
 描かれる悪魔の姿が二人の画家でほとんど違いがないということは、同時代の画家たちが共有する悪魔のイメージという理解でいいと思えるのだが、もしかして、もっと長い歴史スパンでキリスト教文化の中で広く培われたイメージである可能性もある。これらの一つ一つの悪魔は、どこか他の絵画の中でも見たような感じがするのだが、今はその時代を確かめるすべはない。西洋絵画における悪魔図像辞典が手許にあってもいいなと思う。ただ。この版画の二作品において一つ一つの独立した悪魔が意味を持っているわけではない。身も蓋もない言い方になるが、悪魔という概念が図像化されていればいいのである。


【左】ルカス・クラーナハ(父)《ヴィーナス》1532年、混合技法/板(ブナ材)、37.7×24.5cm、
国立西洋美術館 inv. no. G.2000-1759 (図録、p. 131)。
【右】ルカス・クラーナハ(父)《ルクレティア》1532年、油彩/板(ブナ材)、37.7×24.5cm、
ウィーン造形芸術アカデミー inv. no. 3678 (図録、p. 169)。

 《ヴィーナス》と《ルクレティア》は、ベースとなる物語を異なるが絵画の主題や構図はほぼ同じだと私には思えたのだが、エルケ・アンナ・ヴェルナーが図録に寄せた「肉欲の誘惑と道徳の戒め――クラーナハの裸体像」という論考の中で、この二作品の主題の違いを次のように指摘している。

 この《ルクレティア》とフランクフルトの《ヴィーナス》というふたつの裸体像は、ふたつの愛のかたちを示している。つまり、ヴィーナスの罠が示す悪徳、姦通の愛と、ルクレティアによって表わされる死にいたるまで純潔な、婚姻による貞淑の愛である。犠牲となるルクレティアの運命はその感動的な表情に見てとれよう。本来の歴史的・神話的な物語の関連性が省かれたことで高められた彼女たちの官能的なありさまが、両作のイメージを結びつけている。純粋な裸体像として、必要最低限のものだけを備え、彼女たちは概念的な擬人像となった。ルクレティアは純潔(Castitas)の具現として、そしてヴィーナスは性欲、性的な官能の悦びの悪徳の具現として、立ち現れているのである。 (図録、p. 29)

 この美術展のタイトルの「500年後の誘惑」という言葉が示すように、この二作品がクラーナハ絵画の最も重要で代表的な作品群に含まれている。これらの女性たちが私たちを誘惑するということだろう。この二つの裸身立像はともに極めて薄い布をまとっているのだが、そのヴェールの意味について、ジャック・デリダの言を引用して、新藤淳が次のように記している(「クラーナハ、その誘惑のアナクロニー」)。

 デリダが着目したのは、何よりも、クラ一ナハの裸体像のほとんどがまとう、あの極薄のヴェールだった。その過剰な透過性をもった薄布は、わたしたちを彼女らの身体からそっと隔てながら、と同時にそちらへ誘い込む。皮膜のように薄く、微細な襞を刻んで流れるその布は、女性たちの素肌を覆いながらも隠さず、恥部を遮りつつも閉ざさない。彼女らは「裸」であって、またそうではない。ここには「内」も「外」もない。そのヴェールは、それらを分割していて、またしていない。“veil”というのが「覆い隠す」という意味の動詞でもあるとすれば、わたしたちがいま「ヴェール」と呼んでいるものは、はなはだ語義矛盾な何かである。はたしてこんなにも、絵と見る者との距離を惑わせる画家が、クラーナハ以外にいるだろうか。
 クラ一ナハの絵はこうして、クラークが考えたような「芸術作品」や「芸術形式」の内/外、本質/非本質、純粋性/不純性といった境界画定そのものを惑わせる (図録、p. 249)


ルカス・クラーナハ(父)《ルクレティア》1510/13年、テンペラ、油彩/板(菩提樹材)、
60×47cm、個人像 (図録、p. 165)。

 ヴェルナーや新藤淳の言葉を引用してしまうと、私が付けくわえられることなどほとんどない。彼らの指摘がきわめて適切であることもあるが、もう一つ、これらの裸体画の作品に私自身が「誘惑された」自覚があまりないからということもある。裸体画の典型のような《泉のニンフ》のように寝そべった女性を描いた作品もあるが受ける感じはほとんど変わらない。
 誘惑されるか、されないかはきわめて私的なことにすぎないが、クラーナハ作品から選ぶとすれば、上の《ルクレティア》のような作品の方がよい。もちろん、ルクレティアが純潔の象徴のような女性だなどという理由ではない。どこかふくよかで豊かな感じに惹かれるのである。


【左】ルカス・クラーナハ(父)《洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ》1530年代、
油彩/板(菩提樹材)、73.5×54cm、個人像 (図録、p. 203)。
【右】ルカス・クラーナハ(父)《ホロフェルネスの首を持つユディト》1525/30年頃、
油彩/板(菩提樹材)、87×56cm、ウィーン美術史美術館 inv. no. 145
 (図録、p. 205)。

 クラーナハの描く人物の表情はとても薄い。上の《ルクレティア》も無表情と言えるが、それは自死を遂行しようとする人間の絶望の果ての表情と理解できないこともない。
 しかし、《洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ》と《ホロフェルネスの首を持つユディト》の二人の無表情は驚くべきものである。二人の女性の表情に比べれば、首だけの聖ヨハネやホロフェルネスの死者の方に苦悶や絶望の表情が強く現れているようにすら見えてしまう。
 しかし、二人の女性の無表情には差がある。変な言い方だが、無表情の強度に違いがあるのだ。ユディトの完璧に近い無表情に比べれば、(強いて言えばだが)サロメは微笑んでいるのではないかと思えてくる。いわば、無表情を超えてしまったかのようだ。それはサロメの悪魔性を示しているのかもしれない。それをクラーナハが意図したのかどうかまったくわからないが、人間の感情を負の方へ(悪の方へ)突き詰めていった先に頬笑み(時に哄笑)があるというのは大いにありうることなので、サロメの物語性と相俟ってそう感じてしまったらしいのである。
 ユディトの完璧に近い無表情を眺めていると、人間の顔の造形のイデアの存在が強く信じられていて、人間の顔の造形と感情は切り離せないというような人間主義(ヒューマニズム)的な立場はまだ育っていなかったのではなかろうかと思えてくる(西洋美術史的な解釈は私の能力を超えているが)。


ルカス・クラーナハ(父、ないし子?)《子どもたちを祝福するキリスト》1540年頃、油彩/板(オーク材)、
81×121cm、奇美美術館、台湾 inv. no. 0011119 (図録、p. 233)。

 最後に、《子どもたちを祝福するキリスト》を挙げておく。あまり信頼できない記憶をたどってみたが、このような主題の宗教画を見るのは初めてだとおもう。キリスト教における子どもたちへ向ける慈愛は聖マリアが象徴的にすべてを引き受けていると思い込んでいたので、この絵をとても珍しいものとして受け止めたのである。
 神が子どもに慈愛を示し、祝福し、ときに奇蹟を行うのは宗教として特段に珍しいことではないが、そうした宗教画がキリスト教にあまり見られない。それは、キリストがすべての人間の救いを、マリアが子どもや病人や弱者への慈愛を、そして神が過てる人間への苛烈な罰を与えるものというようにキリスト教そのものが論理構造を持つためではないかと思われる。この絵は、キリストを身近なものとして描いているため、一方ではある俗っぽさを伴っているとも言える。上でヒューマニズムまだ育っていなかったと述べたことと矛盾するようだが、マルティン・ルターと同時代を生きたクラーナハに芽生えた人間主義的な意識を反映しているのかもしれない。
 そんなふうな勝手な想像をめぐらすのだが、現代日本から見るヨーロッパの500年前は私にはじつに遠いのである。いや、それなのに500年前の絵画が目の前にあるということを現代の僥倖として素直に喜ぶべきなのだろう。



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