《2016年10月8日》
仙台の脱原発運動についての河北新報の記事を見たという知人・友人から連絡がいくつかあった。ブログを読んだ遠方の知人から内容の問い合わせもあった。短い文章なので転載しておくことにする。
9月23日の夕刊一面、『河北抄』というコラム記事である。
東京電力福島第1原発事故の教訓はいずこへ、とばかりに再稼働される原発。一方、事故を踏まえて仙台で市民グループが地道に活動を続けている。
原発や放射能を学び、話し合う「ぶんぶんカフェ」。2011年2月に始めて以来2~3カ月に1度の割合で開き、今月で32回を数えた。スタッフは30~50代の女性5人。その一人の斎藤春美さんは「関心を持つ人の輪を広げ、緩やかにつながりたい」と願い、切り盛りする。
12年7月開始の「脱原発みやぎ金曜デモ」。来月下旬に200回を迎える。追っ掛けカメラマンがいる。小野寺秀也さん(70)。デモの模様を撮影し、自身のブログで発信する。元東北大大学院教授。同大学院で原子力工学を学んだ。「原子炉の危険性を学んだ者として責任を感じ、個人としてできることで手伝っている」とシャッターを切る。
南米の先住民に伝わる昔話「ハチドリのひとしずく」の主人公の一言を思い出す。「私にできることをしているだけ」。原発避難者からは苦悩が伝わってくるが、無力感が漂わないのが救いだ。 (2016・9・23)
《2016年10月14日》
次回(10月23日)の「脱原発みやぎ金曜デモ」は、200回の節目の記念デモになる。その時のパフォーマンスの一つとして、司会者と私で原発・放射線についてのクイズショーのコーナーをやることになった。いま、司会を担当する人とクイズ問題を作っているが、これが意外と難しいのである。
金デモが立ち上がってから、多くの人のスピーチを聞く機会があって、原発をめぐる多種多様なことをみんながよく知っていることに驚いていた。危機感や強い関心が様々な知識を身に付ける契機になっているのだろうと感心するばかりだったのだ。大学で原子力工学を学んだ私が口を出して何かを話す必要はまったくないとずっと思いこんでいたのだが、つい最近、放射線や原子核の物理の基礎的なことを話してほしいと頼まれることがあった。
原発は、原子核物理学や原子力工学ばかりではなく、生物学や医学の知識も必要とするし、何よりも政治や経済の話でもある。マスコミや書籍を通じてその広範な知識に接触しても、放射線や原子・原子核の基礎的なことに触れるチャンスはそんなに多くはないだろう。私のキャリアの方が特殊で少数なのだ。
つまり、私が考えるクイズがデモ参加者のみんなにとって難しいのか簡単なのか自分でよくわからないことに気づいたのである。「私に問題を出してみたら?」と妻が助け舟を出してくれたが、妻の顔を眺めていてそれも諦めるしかなかった。全問不正解だったらどんなふうに慰めていいかわからないし、なによりもそれでは私の参考にはならない。その可能性がとても高いような気がするのだ。モゴモゴとごまかして立ち上がり、今日の集会場、元鍛冶丁公園に向かうのである。
原発・放射線のクイズ問題を考えているとき、8月末にあった学習会で出された「放射能は小さな子どもに大きな影響を与えるが、老人には影響ないように思われているが、老人も危ないのでは?」という質問のことを思い出した。
細胞分裂が活発な若年層ほど放射能感受性が高いのはたしかだが、老人と言えども生きている限り細胞分裂を繰り返しているので、ことさら安全というのは明らかにまちがいである。晩発性障害である多くの癌のリスクは成人以上の年齢では急激に減少するが、呼吸器の癌は中年の年齢域では増加するというデータもあるので注意を要する。
一般的に言えば、晩発性障害のリスクは年齢とともに減少するのはたしかで、50歳の放射線感受性は10歳の1%以下だとする説もある。しかし、それを50歳に比べれば10歳の放射線感受性は100倍以上だと表現することもできる。同じことを言うのでも、前者は老人は安全と強調するのに、後者は子供は危険と強調することになる。どちらの表現をするかで、その人物の人間観や人間性が分かろうというものである。
さて、年齢とともに放射線被ばくのリスクは減少するのだが、わが家の112歳の放射能感受性はどのくらいなのだろう。さすがにそんなデータは見つけることができない(そんな人間は統計にのるほど生きてはいない)が、少なくともこれから浴びる放射線で死ぬ確率は宮城県で一番低いのは確からしい(現在、宮城県で最高齢である)。
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