《2013年10月4日》
小泉元首相は、従来の自民党政権の原発推進政策は過ちだったとまで認め、原発推進は政治家として無責任であり、今こそ脱原発のチャンスだと主張している。
脱原発発言自体は、それはそれで結構なことだと思うが、小泉前首相は郵政民営化に見られるように日本における新自由主義経済推進の象徴的政治家であり、いわばワーキング・プア、プレカリアートを生み出す政策に邁進した政治家である。ワーキング・プア、プレカリアートの生活や人生を踏みにじっても、資本が富むという意味での経済力や、国際競争力が大事だと信じている政治家であることは事実だ。。
さらに、ブッシュのお先棒を担ぎ、イラクへのアメリカ合州国の国際戦略という名の〈帝国〉的侵略に積極的に加担したのも小泉前首相だ。同じようにブッシュに同調したイギリスのブレア元首相はいまやその責任を問われて査問に付されているように、ブッシュのイラク侵略は厳しい批判にさらされている(新自由主義に基づくアメリカの国際戦略と称する経済的、軍事的侵略についてはノーム・チョムスキーやナオミ・クラインの著書に詳しい)。残念ながら、日本ではジャーナリズムにおいてすら小泉首相の責任を問う言説はほとんど見られない。
小泉前首相の発言については、その政治的意図をいろいろと詮索するような意見も見られるが、「脱原発」発言そのものは歓迎していいと思う。しかし、「元首相」の名や「影響力」やらを持ち出し、それに頼るような心性だけは拒否したい。
《2013年11月23日》
甘利ナントカ大臣が小泉原発ゼロ発言を批判して「科学的技術が進んで放射性廃棄物の保管期間を短縮できるようになる」旨の発言をしたというニュースをテレビが流していた。科学的無知というよりたんなるホラ話である。
物理学的には、ある放射性同位元素に陽子または中性子を必要量だけ注入して安定同位元素に変換することは可能である。あるいは逆に、長寿命放射性同位元素に陽子または中性子を付加してより不安定な短寿命核種へ変換することも理論的には可能である。ただし、そのためには核分裂生成物としての多くの種類の放射性同位元素を分離したうえで、それぞれの同位元素に異なった核変換処理を施さなければならない。
最大の問題は、核反応断面積(核変換が起こる確率と考えてよい)が極端に小さいことだ。すべての放射性同位元素の核変換が済む時間は、おそらく半減期に応じて減衰するのを待つ時間と匹敵するだろう。つまり、想像を絶する費用をかけて核変換処理施設を建設して長期間の作業をすることは、何もしないで保管しておくことよりいいなどとはとても言えないのだ。
原子力村の御用学者でも今はそんなことは言いだしはしないだろう。甘利大臣の発言は、原発推進が科学的無知ないしは科学的知識の無視によって進められてきたことの典型的な例に過ぎない。人間がつくった人工物が「安全」で「絶対に事故は起こらない」と宣言した時点で科学は破綻していたのである。
戦後思想の巨人であった吉本隆明も原発擁護発言をして多くの心ある人びとを落胆させた。吉本は東京工業大学で化学を勉強した人だが、彼の原発擁護論のベースになっている科学観は50年ほど前の高度経済成長期の小学生が抱いたような純朴な「科学万能信仰」に似ている(もちろん、その時代の吉本はすでに名をなした詩人で文学評論家であったのだが)。そういう点で、新聞かテレビかは忘れたが、石原慎太郎という科学音痴政治家の原発擁護発言と吉本のそれがそっくりだったので驚いた記憶がある。甘利大臣が如実に示したように、科学に無知なほど科学信仰に走るのである。
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