かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (17)

2024年10月28日 | 脱原発

2015年11月13日

 1昨年だったか昨年だったか、記憶は定かではないが、「国会議事堂前」で地下鉄を降りたつもりが、国会議事堂の裏手、たぶん衆議院議員会館近くの地上に出て、国会正門前までだいぶ歩いた記憶がある。
 この夏に二度、安保法案反対で国会正門前に行ったが、「霞ヶ関」で地上に出て坂道を上るコースでなんなく辿りついたので、今日も安全を図って「霞ヶ関」で降りたのだが、夜の桜田通りで方角を失った。Google mapを開いて、何歩か歩いて、位置と方角を確かめた。
 何度も方向を変えて地上に出ると、たいてい方角を失う。昼であればどうにかなるように思うが、周囲にネオン広告も看板もない同じようなビルが並ぶ夜間の官公庁街では四方が全く同じに見えるのだ。年に4、5回、やって来るだけではどうにもならない。アーバン・ライフなどどこの世界の話だろう。
 前回(5月22日)の官邸前抗議には大幅に遅刻したのだが、今日は何とか間に合った。まずは、コールをしている先頭までいって、そこから写真を撮りながら下って来た。
 最後列まで下ってから引き返し、二番目のグループの後方に入ってコールに加わった。このグループの先頭近くでカメラを構えている目良誠二郎さんを見かけたので、列を抜け出して挨拶をした。
 そこには何度かお会いした顔が並んでいた。挨拶をする間もなく、むとうちずるさんに「No 9 NO WAR」と「NO NUKES FRAGILE TAG」のステッカーを頂いた。前回の時は、「No 9 NO WAR」タグを頂いたし、ずっと前には「NO NUKES FRAGILE TAG」タグを頂いた。お会いするたびに何か頂き物がある。NNML TAG Projectというグループで、どんどん新しいアイテムを創り出しているのである。
 頂いたステッカーをまずカメラに貼り付けた。私にとってカメラは必須のデモ・アイテムなのである。スマホにも貼ったが、これはデモ・アイテムとは言い難い。
 第2グループの先頭に入らせてもらって、抗議のコールに参加した。首相官邸に向けてのコールなので、とても直截で感情が乗りやすい。それでも30分も過ぎると喉が痛くなる。
 仙台で毎週の脱原発デモに参加しているといっても、コールで声を上げるデモの時間は30分くらいである。しかも、私は写真を撮るのにその半分ほどの時間はデモの周囲をうろうろしているだけだ。
 途中でスピーチが入るとはいっても、さらに1時間のコールが続くのかと多少不安になったが、とても元気にコールしているまわりに合わせていると、あっという間に時間が過ぎていく。
 コールの合間に首相官邸方向の写真を撮っていたとき、官邸の背後のビル群の風景に見覚えがあるような気分がした。そうだ。これは田渕俊夫の絵 [1] だ。渋谷の松濤美術館で見た田淵俊夫の日本画の中に、ビル街の絵があってとても印象的だった。その絵を思い出したのだ。
 ぴったり20:00に抗議行動は終わった。みなさんに挨拶をして引き上げる。途中に地下鉄入口があるが、私はきたときに降りた「霞ヶ関」へと歩くのである。地下のラビリンスは避けて、距離があっても来た道を辿るのが私には安全なのだ。
 抗議の列からずっと離れたところで反原発ソングを歌っているグループがいた。18:30前から歌っていて、20:00を過ぎても帰り足の人たちに歌いかけている。
 さて、今度はいつになるだろうか。来年3月に東京に出る予定があるが、その前に一度くらいチャンスはあるかもしれない。官邸前では、少しばかり気持ちがしゃきっと入り直すような気持ちがする。

 [1] 『いのちの煌めき 田渕俊夫展』(図録)(中日新聞社、2012年)p. 79。

 

2015年11月29日

 今日の午後2時からザイトク(在日特権を許さない市民の会)のヘイト街宣があるという。同じ時間に月1回の脱原発日曜昼デモの集会が始まる。昨年の1月末にも日曜昼デモに重なる時間帯にザイトクの講演会があって、カウンターとデモ参加の両方をこなそうとして市内を駆け回った記憶がある。
 2時から少しだけカウンターをして、それから幾分の遅刻で金デモに向かうことにした。
 ザイトクの考えを典型的に示すのが「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」という言葉である。この言葉をプラカードに掲げてデモをするばかりではなく、そういう演説もする。
 ナチスのユダヤ人ならすべて絶滅対象とする最悪の人種殲滅の考えとまったく同じである。反対するしかないではないか。
 仙台の街宣のメッカと呼べるのは、中央通りと東二番丁通りの交差点、平和ビル前である。時間通りに平和ビル前に行ってみたらザイトクはいない。拉致被害者を取り戻そうという署名活動のグループとYMCAの慈善活動への協力呼びかけのグループが中央通りを挟んで陣取っている。
 どうしたものかと思案していたら、公安らしい3,4人が急いで東二番丁通りを渡っていくので慌てて追っかけた。平和ビルの斜め向かいにザイトク関係者と思われ15人ほどが「移民(難民)受け入れ絶対反対!」という横断幕を掲げて何か演説をしている。移民(難民)と一般化して、一見、政治スローガン風だが、彼らが反対するのは中国人や韓国(朝鮮)人であって、アメリカ人やヨーロッパ人ではない。ナチスにおけるユダヤ人のように、民族差別の矛先はいつも同じなのだ。
 一方で、同じ15人ほどの人たちが思い思いにレイシズムや差別扇動街宣に反対するプラカードを挙げて対峙している。その間を割るように30人ほどの公安がガード(どちらを?)しているという構図だ。ザイトクのグループに近寄って抗議しようとする数人を公安が押し返している。
 写真を撮ったり、カウンターの列に並んでいたりしたが、間の抜けたことに私はプラカードを用意していなかった。物見高い年寄りが突っ立っているという図である。
 しかし、人間が人間を差別するというのは、人間に避けがたく刻み付けられた精神の病弊であろうか。ジュルジョ・アガンベンが追求してきたように歴史的には「ホモ・サケル」[1] から「ムーゼルマン」[2] に至るまで、人間が「人間ならざるもの」へと貶められた悲惨な例は少なくない。
 しかし、少なくとも、ナチスのユダヤ人大虐殺に衝撃を受けたヨーロッパ社会は人種差別やヘイト言説を法的処罰対象とする人道的犯罪として政治制度化した。一方、日本ではザイトクときわめて心情的親近性の高い極右政権が成立していることもあって、彼らは野放しのままである。日本は、世界の歴史に追いついていない極東の後進国と言うしかない(少なくとも政治思想的には)。
 人間が人間を差別するのは、きわめて低劣で悪質な倫理上の犯罪である。私たちが日常的に疑いをさしはさまない「人倫」というものは、歴史的・思想的には人間中心主義(ヒューマニズム)によって形成されてきた。そのヒューマニズムこそ「人間ならざるもの」を差別してきたとして、アガンベンは「人間ならざるもの」としての動物と人間の差異は何かと問う仕事もしている [3]
 アガンベンばかりではない。ジャック・デリダの死後、遺稿のように出版された『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』[4] では、アリストテレスからデカルト、カント、ハイデガー、レヴィナス、ラカンという西欧哲学・思想の主脈において人間中心主義が主体概念から排除してきた動物(たち)の問題に踏み込んでいたのだ。
 なぜか私はいま、アガンベンからデリダへと、動物を差異化している人間そのものの意味を問う本に出合ってしまい、読み続けている。哲学や思想の世界では、いまや動物を差別する人間の思想にまで踏み込んで問うているのに、現在を生きる私は、在日外国人という政治的弱者を口汚くののしりつつ差別しようとする人々に抗議のために向き合わなければならない。その思想的落差に愕然としてしまう(彼らの考えを思想と呼べるならばだが)。 

[1] ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『ホモ・サケル――主権権力と剥き出しの生』(以文社、1995/2003)。
[2] ジョルジョ・アガンベン(上村忠男、廣石正和訳)『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(月曜社、2001年)。
[3]ジョルジョ・アガンベン(岡田温司、多賀健太郎訳)『開かれ――人間と動物』(平凡社、2011年)。
[4] ジャック・デリダ(マリ=ルイーズ・マレ編、鵜飼哲訳)『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(筑摩書房、2014年)。




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