義父はいま、死の床にいる。
病名は・・・、複雑すぎてどう説明すればよいのかわからない。
まず高齢である。83歳。糖尿と脊椎間狭窄症に長いこと苦しめられてきた。
腹中部に腫瘍があり、膵臓周辺に癌コロニーを形成している。
さらに心疾患。
腸動脈と脳髄にも瘤もある。
震災後(5月に)、東京まで葬式に出かけ具合が悪くなった。
それから、何を食べてもすぐ下すようになり、入退院を繰り返した。
やはり医者が腹中部の遺物に対し首をひねった。
検査、検査、開腹検査もしたが診断が付かない。医学的実験材料にされているのではないかとさえ疑った。
けっきょく癌だと認定(?)されたのが1年前。やはり桜の季節。遅すぎた。
無責任な医者からは11月までもたない、と言われていたが、冬を乗り越えた。
長く働いてきた人は生命力も強いのかもしれない。
それでも足腰は弱りつづけ、ついに自力でトイレに行けなくなった。
体重は40キロ弱。
寝たきりになると、今度は神経性疼痛も併発した。
いろいろありすぎて薬の処方が難しくなってきた。あの薬は血流に影響が出る。この薬は意識が混濁するので難しい、と。
3月28日(金)に一時「危篤状態」となり、一斉に呼び出しがかかった。
今後も重篤な状態に陥りやすいと聞かされ、家族(妻、長男、長女)で話し合い、延命措置を一切しないことを医者に申し出た。
4月7日、点滴が外された。薬も投与を見送った。命を自然にまかせた。
尿の量も減っている。食事もご飯数粒だけ。
それでも強靭な生命力は義父を支え続けている。
それはまるで巌に縛り付けられたプロメテウスのよう。
野鳥にはらわたを食い破られても生き続けている。
痛みと嘔吐と譫妄(せんもう)の日々。
痛みが正気を醒ます日は、「殺してくれ」と悲痛に訴える。
正気でない夜は、動けるはずのない身体で徘徊しようとする。譫妄しているときは、僕らの顔は判っていない。
誰よりも本人が延命を望んでいない。
家族は、せめて残された時間の痛みを取り除いてほしいと医者に訴えた。
それでも医者は、効くはずのない胃腸薬を寄越すだけ。匙投げられたのか。
願わくば、すべてから開放される翼を、彼に・・・。
天上へとたどり着ける強い翼を・・・!
病名は・・・、複雑すぎてどう説明すればよいのかわからない。
まず高齢である。83歳。糖尿と脊椎間狭窄症に長いこと苦しめられてきた。
腹中部に腫瘍があり、膵臓周辺に癌コロニーを形成している。
さらに心疾患。
腸動脈と脳髄にも瘤もある。
震災後(5月に)、東京まで葬式に出かけ具合が悪くなった。
それから、何を食べてもすぐ下すようになり、入退院を繰り返した。
やはり医者が腹中部の遺物に対し首をひねった。
検査、検査、開腹検査もしたが診断が付かない。医学的実験材料にされているのではないかとさえ疑った。
けっきょく癌だと認定(?)されたのが1年前。やはり桜の季節。遅すぎた。
無責任な医者からは11月までもたない、と言われていたが、冬を乗り越えた。
長く働いてきた人は生命力も強いのかもしれない。
それでも足腰は弱りつづけ、ついに自力でトイレに行けなくなった。
体重は40キロ弱。
寝たきりになると、今度は神経性疼痛も併発した。
いろいろありすぎて薬の処方が難しくなってきた。あの薬は血流に影響が出る。この薬は意識が混濁するので難しい、と。
3月28日(金)に一時「危篤状態」となり、一斉に呼び出しがかかった。
今後も重篤な状態に陥りやすいと聞かされ、家族(妻、長男、長女)で話し合い、延命措置を一切しないことを医者に申し出た。
4月7日、点滴が外された。薬も投与を見送った。命を自然にまかせた。
尿の量も減っている。食事もご飯数粒だけ。
それでも強靭な生命力は義父を支え続けている。
それはまるで巌に縛り付けられたプロメテウスのよう。
野鳥にはらわたを食い破られても生き続けている。
痛みと嘔吐と譫妄(せんもう)の日々。
痛みが正気を醒ます日は、「殺してくれ」と悲痛に訴える。
正気でない夜は、動けるはずのない身体で徘徊しようとする。譫妄しているときは、僕らの顔は判っていない。
誰よりも本人が延命を望んでいない。
家族は、せめて残された時間の痛みを取り除いてほしいと医者に訴えた。
それでも医者は、効くはずのない胃腸薬を寄越すだけ。匙投げられたのか。
願わくば、すべてから開放される翼を、彼に・・・。
天上へとたどり着ける強い翼を・・・!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます