「The End OF Asia」のLIVE版が聴きたくなった。
ぼくはこれが坂本龍一の最高傑作ではないかと思う。
ただし、これが故人の最終形態かと問われればもちろん違う。
ただ、シンセ・ソロの無限かつ壮大な世界観を聴けば、やはり最高傑作と思ってしまう。
ちなみに一番好きな曲は「The End OF Asia」ではない。大好きだけど。
やっぱり一番好きなのは「千のナイフ」。
「千のナイフ」または「Thousand Knives」。
本人のソロ曲だったり、ダンスリーとの合作もあるが、YMOアルバム「BGM」に収録されている版が重厚かつ一番カッコイイと思う。
その後の「Mr.ロレンス(「戦メリ」のこと)」を始めとする映画音楽で世界を席巻する前にこれだけの熱量で制作しているということを、どこかで特集してほしい。
思えばYMOには制約があった。
テクノポップには連続性、メリハリより平坦、さらには非ドラマチックであることが求められる。
「機械的」という定義から外れると「テクノ」と言う言葉がウソになるからだ。
坂本龍一という巨人にYMOは窮屈だった。
「The End OF Asia」のLIVE版はいくつか発表されているが、どれもテクノ(機械的)の枠から逸脱している。
それを一言で言ってしまえば「旅情的」「旅愁的」。
伊武雅刀のモノローグ「ああ、NIPPONは、い~い国だなぁ」が背後について回る。
テクノとは矛盾する楽曲だった。
それでもYMOの傑作には堂々と枚挙されるだろうし、だれも異論はないはずだ。
そこにYMOの裏テーマが垣間見えるからだ。
YMOは、あれだけ機械にこだわる音楽ユニットだったけど、実は高橋幸宏のドラム、細野晴臣のベース、坂本龍一のキーボードプレイがしっかり聴ける純粋なバンドサウンドであった。高い技術を携えた(=機械的なことを人の手で正確にやってのける)職人バンドだったのだ。
彼らが人間らしい感情を表出してしまえば他のバンドとやっていることが同じになってしまう。だからYMOは制約を設けた。
テクノポップの定義(=機械的)を軸とし、常に実験的であるように。それが表のテーマ。
裏のテーマは、「あくまでも人の手で」である。
そもそも坂本龍一のソロ楽曲だった「The End OF Asia」は、むしろこの表のテーマに収まっていた様に思う。
4ビット時代のコンピューターゲームサウンドのような表情のない音色。後半の渡辺香津美ギターが吠えるまでは単調に徹している曲だった。
それをスネークマンショーでは馬子唄のようなリズムに改変し、YMOのLIVEでは、より一層旅情感たっぷりにした。
どういうロジックでテクノ・ポップの定義を逸脱する楽曲に仕上げたのだろうか。
ゴリ推しだったのか、それとも実験的という枠だったのか、その伸び伸びとしたサウンドを聴くと、今でも奇跡を感じてしまう。テクノを逆手に取った奇跡。表も裏も超越した音楽観。
後年語られる坂本サウンドの+11や+13は確かに発明と言ってよい出来事だけど、メロディーラインの秀逸さがそもそも故人の才能であることも強調しておきたい。
YMOのさまざまなものを削ぎ落としたと言って良い名曲がもう一つある。
「Epilogue」。アルバム「(いわゆる)テクノデリック」に収録された逸曲。
この曲こそメロディーラインの美しさの究極といってよい。こんなキレイな曲は聴いたことがない、と思ってしまうほど異次元な美しさである。機械的であるのに感情的。ここでやっとYMOの表と裏のテーマが融合したような気がした。
早世した高橋幸宏さんに誘われるようにして逝ってしまった坂本龍一さん。
この曲を紹介することを以て、故人への追悼としたい。お二人のご冥福をお祈りします。
ぼくはこれが坂本龍一の最高傑作ではないかと思う。
ただし、これが故人の最終形態かと問われればもちろん違う。
ただ、シンセ・ソロの無限かつ壮大な世界観を聴けば、やはり最高傑作と思ってしまう。
ちなみに一番好きな曲は「The End OF Asia」ではない。大好きだけど。
やっぱり一番好きなのは「千のナイフ」。
「千のナイフ」または「Thousand Knives」。
本人のソロ曲だったり、ダンスリーとの合作もあるが、YMOアルバム「BGM」に収録されている版が重厚かつ一番カッコイイと思う。
その後の「Mr.ロレンス(「戦メリ」のこと)」を始めとする映画音楽で世界を席巻する前にこれだけの熱量で制作しているということを、どこかで特集してほしい。
思えばYMOには制約があった。
テクノポップには連続性、メリハリより平坦、さらには非ドラマチックであることが求められる。
「機械的」という定義から外れると「テクノ」と言う言葉がウソになるからだ。
坂本龍一という巨人にYMOは窮屈だった。
「The End OF Asia」のLIVE版はいくつか発表されているが、どれもテクノ(機械的)の枠から逸脱している。
それを一言で言ってしまえば「旅情的」「旅愁的」。
伊武雅刀のモノローグ「ああ、NIPPONは、い~い国だなぁ」が背後について回る。
テクノとは矛盾する楽曲だった。
それでもYMOの傑作には堂々と枚挙されるだろうし、だれも異論はないはずだ。
そこにYMOの裏テーマが垣間見えるからだ。
YMOは、あれだけ機械にこだわる音楽ユニットだったけど、実は高橋幸宏のドラム、細野晴臣のベース、坂本龍一のキーボードプレイがしっかり聴ける純粋なバンドサウンドであった。高い技術を携えた(=機械的なことを人の手で正確にやってのける)職人バンドだったのだ。
彼らが人間らしい感情を表出してしまえば他のバンドとやっていることが同じになってしまう。だからYMOは制約を設けた。
テクノポップの定義(=機械的)を軸とし、常に実験的であるように。それが表のテーマ。
裏のテーマは、「あくまでも人の手で」である。
そもそも坂本龍一のソロ楽曲だった「The End OF Asia」は、むしろこの表のテーマに収まっていた様に思う。
4ビット時代のコンピューターゲームサウンドのような表情のない音色。後半の渡辺香津美ギターが吠えるまでは単調に徹している曲だった。
それをスネークマンショーでは馬子唄のようなリズムに改変し、YMOのLIVEでは、より一層旅情感たっぷりにした。
どういうロジックでテクノ・ポップの定義を逸脱する楽曲に仕上げたのだろうか。
ゴリ推しだったのか、それとも実験的という枠だったのか、その伸び伸びとしたサウンドを聴くと、今でも奇跡を感じてしまう。テクノを逆手に取った奇跡。表も裏も超越した音楽観。
後年語られる坂本サウンドの+11や+13は確かに発明と言ってよい出来事だけど、メロディーラインの秀逸さがそもそも故人の才能であることも強調しておきたい。
YMOのさまざまなものを削ぎ落としたと言って良い名曲がもう一つある。
「Epilogue」。アルバム「(いわゆる)テクノデリック」に収録された逸曲。
この曲こそメロディーラインの美しさの究極といってよい。こんなキレイな曲は聴いたことがない、と思ってしまうほど異次元な美しさである。機械的であるのに感情的。ここでやっとYMOの表と裏のテーマが融合したような気がした。
早世した高橋幸宏さんに誘われるようにして逝ってしまった坂本龍一さん。
この曲を紹介することを以て、故人への追悼としたい。お二人のご冥福をお祈りします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます