退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#724: 日本はお盆です。お盆と言えばお墓参り

2016-08-12 21:46:12 | アメリカ便り
水曜日からネットを見ながら、ズンバをはじめました。
ネットのプログラムは“馬鹿でもできるズンバ”とでも訳しましょうか。
これなら音楽的感覚が皆無に近い私でもできそうだと思いました。

ズンバ(掃除機のルンバではないです)とはラテン系のダンスで、とにかく楽しくめちゃくちゃ体を動かすダンスです。
めちゃくちゃダンスは私の得意なところです。
でもめちゃくちゃと言ってもやはり、ステップと体の動きは決まっていてそのベースとなる動きに腰振りをつけたり、手をにょろにょろ動かしたりします。
それを一緒に全部行うと言うのが、難しい。
だから、誰もいないところでやっています。

日本はお盆ですね。
お盆と言えば墓参り。

私の母方のお墓は札幌南区の一角にあります。
母のおじいさん一家が小さかった息子(私のおじいさん)を連れて、青森から開拓者として今なおすみ続けているところに入居したそうです。
何もなかったところを、熊と戦いながら開拓して行ったとよく話してくれたのを、マムシが入った焼酎ビン、寝酒の玉子酒と一緒に覚えています。

真夏にお墓のある高台にみんなで歩いていくのですが、その道が遠くひどく険しいものに思えました。
昔は何でも遠い感じがしました。
車社会ではなく、どこに行くにも歩かなければならなかったせいでしょうか。
お赤飯、稲荷ずし、煮しめ、とうきび、桃、酒、もちろん線香、ろうそくを入れた風呂敷包みを持ち、みんなでとにかくテクテク歩いた。

お墓は“何でも大きいほうが良い”と言う祖父好みで、墓場でも目だって大きな墓でした。
みんなでめいめい線香をあげて拝み、墓の前にござを引いて持ってきた料理を食べる、と言うのが当時の祖父の風習でした。
小さかった私と兄は食べるのもそこそこに、待ちかねていた次の行動に移るのです。
それは墓荒らし、とはいわないまでも、墓場の墓にあるお供え物を取ってくることでした。
勿論、お参りが終わったところで、誰もいなくなったお墓です。
社会全体がそれほど豊かではなかったし、特に祖父の住んでいた地区は農家だらけで、ハイカラなお菓子はあまり見当たりませんでした。
そんなところで、私たちが好きそうなお菓子があったら最高にうれしくなったもんです。
たいていは、煮しめやら、あのおいしくない砂糖菓子のラクガンと言った類で、からすやありのえさになりそうなものばかりでした。
ある墓参り、兄と私がいつもどおり、お供え物を選んでいたところ、兄が急に坂を転げ落ちるように祖父の家に向かって走り出しました。
私は何が起こったかわからなかったけど、兄の後を追って走っていきました。
後で兄いわく、墓のある部分がずれ中にある白いものが見えたとのこと。
小さかった兄はよほど、びっくりしたのでしょうね。

その兄は63歳で心筋梗塞をわずらい30分間心臓が止まりましたが、生き返り今は義理の姉と静かに家で生活をしています。
生きていてくれて良かった。

当時の墓荒し(?)は小さな子供がする分には許されていました。
本当です。

庭の柿が今年もたくさんなってます。



ハミングバード





ハミングバードのえさを盗むダウにーウッドペッカー



少し薄汚れたカージナルス



レッドヘッデッドウッドペッカー(と思う)



イエローフェンチ




ハブグレジュンタのマミー