退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#846: 私にとって努力とは、続

2017-05-06 22:10:49 | アメリカ便り
先日の続きです、

私は忍耐力がないということを自分でよく知っているので、忍耐力を必要とする努力はしないことにしています。
というかそんな努力が必要となる目的は掲げないようにしています。

高校受験の2ヶ月前から“合格するぞ”という目的を立て、それに対してそれなりの努力をしたり、高校に入ってからは毎回のテスト1週間ぐらい前から“赤点取らないぞ”という努力をした。
大それた目的を達成するための努力、とはいいがたい努力でした、
大学受験では、3ヶ月前からという決定的に絶対合格不可能な時期から受験勉強を始め、もちろん不合格。
浪人時代は人並みに努力して、まあ何とか第2志望に入れました。
もちろん“もう1年浪人して第一志望がんばろう”なんてことは、己の能力を知っているので夢にも思いませんでした。

こんな私が、卒業間近から、“アメリカに行って宇宙飛行士になる”という一般人では考えない目標を立てたのです。
“宇宙飛行士になる”という目標は達成できればいいけど、まず達成できないであろうという自覚を持って立てた目標でした。
とにかく、お金と3しかとったことがない私の英語を何とかしなければならないということで、卒業後、1年間で100万円をため、英検2級合格という目標を立てそれに向け努力をしました。
もちろん仕事中に“英検2級合格”のテキストを勉強したり、自宅から通って給料はほとんど貯金といった感じの本当は許されないような努力でしたが。
それでも1年間という短いものだし、英検2級合格だってそれほど達成不可能でもない努力でした。

目標を立て、それを達成するために努力をするということにおいて大切なことは、達成不可能なことは目標にしないということです。
つまり、努力が無駄となるような目標は立てないということでしょう。

そして“己を知る”ということも大事です。
先回も言ったように、ボルトみたいな能力も体力もないものが、いくら努力してもボルトのように走れない。
己の能力を知っていたら、ボルトみたいになろうなんて思いもしないだろうに。
もちろんな“Impossible"な目標を追いかけてもいいですよ。
努力をしている過程というものも大事だし。

この“己を知る”ということは目的を達成することばかりではなく、個人が社会(または国が世界)で生きていくためには重要な要因です。

己を知らないと“韓国”みたいになるのです。

皆さんGWは楽しみましたか?

ハブグレジュンタのマミー