退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1432: Happy Father's Day 私の父の回顧録

2020-06-21 11:40:38 | アメリカ便り

おはようございます。

アメリカ中西部ただいま21日の9時15分です。

今日はFather's Dayであります。

それで私の父についていろいろと書きたいと思います。

と、その前にちょっと寄り道です。

昨日トランプさんがタルサ、オクラホマで共和党ラリーが開催されました。

事前に参加者に、❝コロナになっても告訴しない❞、と言う承諾書にサインをさせたりと、さすがアメリカ的。

でもさっそく反トランプマスコミからは、❝ステージから降りる時の姿が年寄りみたいだった❞、とか❝水を飲むときの姿が変だった❞、とかどうでもいい指摘があったそうです。

その件についてトランプさん、❝俺の靴底は皮で、階段はスチール、滑って転びたくなかったからゆっくり歩いただけ❞、❝ネクタイに水をこぼして汚したくなかっただけ❞、だったそうです。

マスコミはどの社会でも同じですね。

それより、民主党のラリーとかトランプとの一対一の論争でバイデンの認知症がばればれになるかも。

さてとMy Father です。

今まで私のブログを読んでいる読者の方には、時々登場するわたしの父の生きざま、少しはわかったと思います。

私の父は家柄が良かったと言うだけが自慢の人でした。

実際、私自身確かめたわけではありませんが、なんでも相馬藩以来15代続いた家柄だったそうです。

その家柄も後を継ぐはずだった父の兄が医学生の時に結核で亡くなり途切れたそうです。

私の父親はそんな中、姉4人兄3人弟一人の中でわがまま放題悪さ放題で育ち、しまいには中学生ぐらいから寄宿舎に入れられたそうな。

不思議なのはそれほど良い家柄だった祖父がどうして故郷を捨て北海道の田舎の漁村に町医者として移ってきたのかです。

この祖父は52才と言う若さで脳卒中のため亡くなったのですが、なんでも大酒のみだったとか。

酒で人生を狂わせ、故郷にいられない悪さをしたんでしょ、と言うのが母の見解でした。

母は青森からの開拓者の家に生まれました。

と言えば聞こえがいいけど、要は食い潰れた百姓と言うことでしょう。

そんな母は、家柄の良さだけで世を渡ってきた父と、結婚式で初めて会ってその二枚目ぶりと警察官と言う職に惚れて結婚。

父は自分の結婚式でぐでんぐでんに酔っぱらって、しまいにはドジョウ掬いまで踊ったため、母の父が先を心配し結婚届を1年間出さないでいたそうです。

そのため生まれた兄の誕生日はちょっと年が合わないことになっていました。

ま~とにかく我父と言うより、親父はどうしようもないぐーたらのアル中で、何を考えているのか(酒のことしか頭になかったのかも)実の子の私でもわからない人でした。

続きは次回にします。

息子が夕食にくるそうです。

脅しが効いた。

ハブグレジュンタのマミー