退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

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2020-06-22 16:00:48 | アメリカ便り

先日タルサで行われたトランプのラリーですが、会場が予定よりもだいぶ空だったと言うことでその理由が明らかにされました。

ネットを通じて100万人がラリー出席に予約を入れたそうですが、と言っても100万人が実際に出席と言うより会場で順番待ちなのだそうです、この予約の数と言うのはK-POPファンとかTikTok(中国ソシャルメディア)がトランプに対する嫌がらせのため、❝予約するだけして出席しないでおこう❞と言った運動を起こしたためだそうです。

選挙活動もこうなっちゃ終わりですね。

トランプさんをサポートするけど、この武漢ウイルス蔓延する中で屋内ラリーをするのは良くはないと思う。

でもこのようなネットを使った悪事はもっと嫌いです。

ある種のサイバーアタックですよ。

親父の回顧録。

結婚式のことで書き忘れたことがあります。

仲人と言うのが結婚式の前に母の相手となる人と喧嘩をしたと言うことで、結婚式前に急遽見つけてきた人と言うのが、結婚式でぐでんぐでんに酔っぱらって自らドジョウ掬いを踊ったと言う私の親父でした。

なんか最初から行く末が見えるような結婚式だったようです。

新居も家財道具もこ汚い布団一式しか持っていなかった親父に呆れながらも、母の父は(結構裕福だったようです)、アパートを見つけてそこに住まわせてくれたそうです。

4畳半一間の部屋だったそうですが、そこで私と兄は生まれましたが、私達が生まれる時も親父としての感激なんてことは一切なく、どこかで酒を飲んでいて行方不明のため病院には親戚がつれていってくれたそうです。

兎に角、酒を中心に人生が回っていた人でした。

仕事するより、いかに酒を飲むかに全神経を集中させていた、と言ったところです。

一応、警官だったから給料は入っていたんですが、給料日には母親が飲み屋の借金払いにあちらこちに歩き回っていました。

朝、親父の寝ている布団を引っ剥がし、いかに仕事に行かせるかと、私達家族は苦労しました。

夜勤がえりは朝から飲み屋に行って飲んで夜に帰って来るなんてことも毎度のこと、夕方帰りの時はもう絶対まっすぐには帰ってこない。

ネオン輝く盛り場が呼んでる、と言う感じでした。

もう立派なアル中でした。

酔いつぶれて、パトカーに送られて帰って来るなんてことも日常茶飯事でした。

よくこれで警官、首にならなかったもんだ。

今だったら、即懲戒免職でしょう。

私が中学1年生の時は官舎を燃やすなんて言う悪行もやらかしました。

私と母は一生懸火を消そうとしましたが、親父は真っ先に家から飛び出してしまった。

この時です、❝この親父はもう見限ろう、期待はしないでおこう❞、と悟ったのは。

もう無理と言うことで、母と私は外に出ましたが、兄が家の中で寝ていたことを思い出し周りを見るとどういうわけか兄がそばに立っていました。

そして燃え上がる火の中に親父がいれば良かったのに、とふっと淡い期待がうかびました。

おかげで私は1学年で学校を3回変わると言う、まるでサーカス小屋で生活している子供のような経験をしたのです。

この続きはまた次回です。

ハブグレジュンタのマミー