退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1436: 親父の回顧録

2020-06-29 17:36:34 | アメリカ便り

娘との買い物は楽しいですね。

こういう時も娘がいてよかったと感じます。

オとかアとかゴリラ語しか話さない息子、と言うかたいていの男の子はあまり話さないようですが、ばかりだったらどうしよ、です。

やはり女の子は良い。

さて今日は続きの親父の話にしましょうか。

おっとその前に。

BMLデモがすっかり何のためのデモか分からなくなってきた今日この頃ですが、先日主人が、❝セントルイスの名前も変えろと言ってるぞ❞、と言っていました。

更には、私の見たニュースではキリストさんは白豪主義だからとかなんとか言って、❝黒く塗っちゃえ❞、と騒いでいます。

リミットを知らないと言うか調子に乗り過ぎたと言うか。

私がいつも言っているように、アメリカ人はやはり賢くなく乗せられやすいのです。

ちなみにこの馬鹿さ加減は黒人に関して言えばなおさら感じることです。

ここまで要求してくると、今までなんとなく同調していた人たちでさえ見限るでしょう。

BMLデモ、今は反トランプ民主党にオイショされたバカ者たち、反社会、国内外テロ組織のただの暴動と化しています。

さて親父です。

兎に角、一般的アル中と同様、常に❝いかに酒にありつけるか❞と言うことに精神を集中していました。

用事を作って飲みに行くんです。

銭湯に行くと言って洗面道具を番台においてそのまま飲みに行く。

犬の散歩と言って犬を電柱につないで飲みに行く。 

母が小さい私と一緒だったらまさか飲みに行くまいと思って、私を親父のお供につけてもそのまま飲み屋に直行。

一度は最終バスに間に合わず、夜中に何キロも二人で歩いてきたこともありましたっけ。

自分の兄貴が白血病で死んだときでさえ、見事に酔っぱらいました。

良くこんなのが警官になれた、と思いましたが当時は戦後のどさくさでエイゴがちょっとできると言うことで、進駐軍相手として雇われたようです。

でもこんなオヤジでも私が誇れる時がありました。

剣道をしている時です。

実力はある人で数々の大会で’優勝しましたが、優勝祝いの席では優勝したことが台無しになてしまうぐらい酔っぱらう。

この人から酒をとったら、ひょっとしてすごく立派な人になれるだろうに、とも一瞬思いもしたけど、いやダメだ。

この人の欠点は酒だけではない。

タバコは10代から始めて50代までは一日2箱近いヘビースモーカー。

大酒のみ、ヘビースモーカー、上顎癌、大腸癌、脳卒中、心筋梗塞等々数々の病気をしたけど、結局死んだのは84才で誤飲性の肺炎のためでした。

まーよく生きましたよ、厳寒の北海道の寒さの中、道端で倒れて凍死してもいいようなアル中が、死にもせず84才まで生きたんだから。

亡くなる3か月ぐらい前ですか、その時は毎日アメリカから電話していたのですが、母曰く❝お父さんちょっとおかしいふらついているんだから❞と。

私は即ケアーマネージャーに電話して、家に行ってもらいました。

そしたら、ケアマネ―が即救急車を呼んだそうです。

脱水に高熱、肺炎にかかっていたそうです。

母はもうこの時期には少しボケも入っていましたが、もともとが家にいるのが好きでない性格だったため、親父を置いてあちらこちらに出かけていました。

だから親父がこのような状態でもたいして気にはしていなかった。

しょうがないことです、自業自得なんで。

私もそのあと1か月ぐらいして帰りましたが、まずそうな病院食に母が持ってくるのは梅干しとせいぜいつくだ煮ぐらいと言う食事が非常に哀れに感じました。

私がいる時には少しはおいしいものを食べさせましたが、特に石狩鍋を作って持っていった時、誤飲に気をつけなければいけない親父がそれを息もつかずに口にかき込んでいました。

母は本当に家事がまるでダメな人でした。

続きは次回です。

娘のために夕食を作らなければいけないので。

昨日はシメサバに揚げ出し豆腐。

今日はバーベキューリブです。

タダの鳥

ドカタ作業中の主人、気温35度ですよ。

自家栽培のキュウリ

蛾です。

ハブグレジュンタのマミー