退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#729: グンディー

2016-08-19 21:49:13 | アメリカ便り
アメリカ合衆国の副大統領バイデンの発言、“日本国憲法はアメリカが作った”が日本で物議をかもし出しているそうですが。
“え~、そんなこと当り前でしょ。改めて言われなくてもわかっているワイ”、と全部の日本人が思ってはいなかったみたいですね。
計算高いアメリカが占領国日本に憲法を作らせるわけがないでしょう。
そして驚くのは立派な独立国となって久しい日本が、71年たっても未だその憲法をひたすら守り続けていることです。
この憲法、アメリカが1週間もかからず考えついたといういい加減な憲法なのですが。

憲法を変えない開発国って世界中探してもほとんどないのではないですか。
隣国韓国でさえ、何回か手を加えていますよ。
といっても韓国は良い方には向かっていませんが。

もうそろそろ、日本は日本のための、そして日本人のための(在日のためではないですよ)日本国憲法を考えたらよいのではないでしょうか。

今日はローチェスターで20年ぶり会うことになっているグンディーのことです。
グンディーは100%ドイツ人です。
もうアメリカ国籍をとったかどうかわかりませんが。
グンディーとは私が会社勤めを始めてすぐ通い始めた夜学で知り合いました。
私みたいに暇つぶしに生化学と微分を取っているのと違って、医学部に進む為、大学の成績を上げるためグンディーは必死にがんばっていました。
そして、いつの間にか隣同士に座るようになり、授業が終わってから時々飲みにいくようにもなりました。
よく覚えているのは、授業が終わって学校近くのタバコ屋で、ダンヒルのシガレットを1本づつ買いベンチに座って二人ですったことです。
箱で買わないで1本づつ買うところに味があるのです。
グンディーは時々言ってました。
“アメリカでは本当の友達ができない”と。
当時というか、ごく最近まで私も同様の考えでした。
今は、もうそれほど深刻に考えなくなりましたが。
グンディーはどう考えているのだろう。

そんなこんなで、私は夜学をやめグンディーとは時々しか会わなくなりましたが、がんばりやグンディーは無事32歳で医学部に入り卒業。
両親とはうまくいっていなかったと言っていたけど、卒業式にはドイツから両親が来てくれました。
今、グンディーはすごい肩書きの婦人科の外科医となって忙しそうにしています。
しかし、14年前に患った乳癌が2年前に再発したので心配です。

一般的な癌の再発の心配は5年でなくなると言われていますが、乳癌の再発の心配がなくなるのは12年だそうです。

先ほど日本が4x100mリレーで銀を取りました。
すごいです。
おめでとう。

咲いている花











おまけのジュンちゃん



花の種を食べているゴールデンフェンチ




ハブグレジュンタのマミー


#728: ごみの日

2016-08-18 21:01:19 | アメリカ便り
私は31年間、家が12軒固まってたっているサブディビジョンに住んでいます。
プライベートの敷地なので、ごみ収集は我々で一緒に契約しているごみ収集業者に頼んでいます。
月35ドルでごみ、リサイクル出し放題です。
リサイクルは毎週水曜日に来てごみは木曜日。
大人が2人ぐらい入る大きなコンテイナーに分別なしで入れ放題。

どうして今日はこのような話になったかというと、地下があまりにもぐちゃぐちゃだったので、“今日はごみの日だし、ちょっときれいにしようか”と重い腰を上げることになったからです。
でも地下は主人の縄張りなので、あまり手をつけられない。
母親が使っていたスーツケース2つ、人からもらったガラス製の大きな花瓶2つ等々、縄張りを荒らさない程度に捨てました。
スーツケースは捨てるのがもったいなかったけど、もう30年以上前のだし非常に重い。
今、飛行機は重量制限があるから50パウンド以上はだめなのに、この古いスーツケースそれ自体で、30パウンドはある。
もう捨てていいでしょう。

昨晩もあまり寝れなかったので今日はこの辺にしておきます。

ジュンちゃんの散髪後の写真です。
昨日切りました。
おまけに私の髪の毛も切りました。







ハブグレジュンタのマミー

#727: ジョー

2016-08-17 21:36:13 | アメリカ便り
主人の姪の結婚式の後、3人の友達に会うことになったと昨日のブログで書きました。
そのうちのジョーとは31年ぶりで会うことになります。
ジョーは私が会社に勤め初めて1年たったころに、新卒としてやってきました。
私の卒業した3流大学とは格が違うコーネル大学卒業で、一緒に働いていても頭がいいと思わせる人でした。
おまけに性格も非常によい人で、190センチはある長身で、それに比例して手も長かった。
歩き方に特徴があり、その長い手をぶらぶらさせながら、首をかしげて歩くのでした。
それにしても31年もたっていて、おまけに1年しか一緒に働かなかったのによく覚えているでしょう。

ジョーとは仕事以外でも一緒につるんでいました。
他の仲間とキャンプに行ったり、パーティーやったり、ハッピーアワーに言ったりと楽しかった思い出ばかりです。


ジョーが勤め初めて1年、私が勤め始めて2年目で、私にとってはこの先果てしない数となる首切りの第1回目を経験しました。
私達のグループ130人のほぼすべての人、125人ほどが首を切られたのです。
私は運よく、最先端のバイオテックをやっていたと言うことで、首切りは免れましたが、農業系から製薬部門に移されました。

このときの首切り方法に、会社はコンサルタントを雇ったと言うことでしたが、この首切り方法は後々の“最悪首切り方法”と言うことで、後世まで知れ渡りました。
その方法とは先ず、一人一人ボスのオフィスに電話で呼ばれそのまま自分のオフィスにも戻れず、玄関までガードにエスコートされ、パスと奪い取られ、追い出されると言う非人道的なものでした。

今でもボスに呼ばれたジョーが、“まだ勤め始めて1年だもん。俺は絶対大丈夫だよ”と言いながら、ボスのオフィスに行ったのを覚えています。
そして、そのままジョーはオフィスには戻ってこなかった。
女の人はバッグを取りにオフィスに戻ることは許されたそうですが。

次の日にジョーから電話がありました。

その後ジョーと婚約者のメリーはオレゴンに移り、しばらくして元のコーネルに戻って博士を習得し、それ以来アップステイトニューヨークに住み続けているそうです。
今は自分のオフィスを持ち、環境コンサルタントみたいなことをやっているそうです。

あの時の首切りで、アメリカの会社(日本も今はそうなんでしょうが)は利益追求のためには無情であると思い知らされました。
後世に残る悪名高き首切り方法はその後中止されましたが。

ジョーにとっては結局は、あの時首になってよかったかもしれません。
それによって自分の能力をもっと出せるように博士を取り、自分のオフィスを構えることもできたし。
いろいろ苦労をしたとは思いますが。

会ったらいろいろ積もる話がいっぱいです。

ハブグレジュンタのマミー






#727: ボストンへ

2016-08-16 21:05:10 | アメリカ便り
8月26日から9月4日までボストン、ローチェスター方面へ行くことになりました。
主人の妹の娘、つまり姪っ子の結婚式です。
主人の両親には毎年クリスマスに会いに行くけど、妹2人にはもう何年もあっていません。
ノースキャロライナに住む両親は高齢健康不良のため出席できないそうです。

ボストンは大好きな町です。
繁華街自体は狭く込み入っていますが、海のそばということでそれほど狭さを感じません。
海は寛大だ。
タクシーを使うよりは絶対歩いたほうがよい町でもあります。

仕事をしていた時には年に1回程学会で来ていましたが、“こんな楽しいところ学会なんかで時間をつぶすのは惜しい”といった感じで、学会自体は最小限出席をしていました。
ボスへの報告のため、帰りの飛行機の中でアブストラクトを読んで終わり。
こんな態度で、27年間よく首にならなかったのが不思議ですね。

鯨ウオッチの船に乗ったり、いろいろな博物館に行ったり、または古い町並みを歩いてみたり、チャールズリバーをボートで周遊したりと楽しい思い出がいっぱいです。
同じ会社から来ている仲間とロブスターにビールディナーなんていうのもやったり。
何百ドルとなってしまった請求書をお互い押し付けあって、誰が払うか争ったりと、まあ楽しい思い出ばかりでした。
夕食は50ドルまでと決まっているのですが。
私のボスが1度だけ一緒だったので、その時は一緒のセッションにならないように逃げ回っていました。

今回のボストン行き、結婚式はそこそこに(なんてなるといいな~)ボストン、ローチェスター方面に住んでいる3人の古~い古~い友達に会うことになっています。

もう30年以上前に知り合った人たちで、この30年間ほとんどあったことはないのですが。
もちろん筆不精、電話不精の私、その間ほとんどコンタクトはありませんでした。
でもLinkedinというプロフェッショナルの人達の為のリンクで名前を見つけ、連絡したらすぐ返事が来て会うことになりました。
昔の友達はいいな~。

この友達のことは次回にします。

ではまた。

ハブグレジュンタのマミー




#726: グローバルエントリー。日本の対中対韓政策。

2016-08-15 22:05:13 | アメリカ便り
毎回毎回日本から帰ってくるたび、シカゴやらヒューストン空港での終わりがないような長い移民局での列。
30分ぐらいで終わる時も約10%の確立で起こることがあるけど、ほとんどが1時間から2時間待たなければならないという地獄です。
そこで、先ほどグローバルエントリーという移民局を早く抜け出すことができるという身分証明書を発行してもらうよう応募しました。
100ドル出して応募用紙に記入して、後は連絡が来るまで待つ。
連絡が来たら今度はセントルイス空港に設置されたグローバルエントリー用のオフィスに行ってインタヴューを受けるそうです。
10月にまた日本へ行く予定なので、いくらとろいアメリカの政府雇われ人でも、それまでには届出が終わっていることでしょう。
これで、私は移民局スキップとまではいかないけど、2時間待ちはなくなるでしょう。

日本の対中対韓政策って本当に中途半端。
今回は韓国に対して日刊合意に基づいて10億円を払ったそうです。
それもその10億円がどのように使われるか明らかにしないで。
きっと韓国のことだから、もっと慰安婦像を作ってあちこちに設置することでしょう。
さらには、合意にあった韓国大使館前の慰安婦の像の撤去もなく。
何やってんの、と聞きたい。
そして岸田外相は中国大使との会見の時に、“8分待たせたけど、僕謝らなかった。すごいしょ”的感覚だし。
以前も言ったけど、小学生の突っつきあいみたいな外交やるな。

尖閣に200隻以上の漁船と証した民兵船や軍船が来たって、海上保安庁の巡視船でつつくだけ。
フィリピンでさえ領海侵害した中国の漁船を次々に爆破して言ったのに。
日本は甘く見られるんです、一番甘く見られてはいけない国々に。

日本国内では日本人だか何人だかわからない政治家、教育者、評論家、さらには電通を頭にしたメディアによって、真実は国民につたえられていないし。
何とかしてほしいです。

この人たち日本に住んでいるんでしょう。
韓国や中国がいやだから日本にとどまっているのに、その日本を中国や韓国にしたいのがわからない。

ハブグレジュンタのマミー