退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#857:サービス:ファーストフード編

2017-05-22 22:39:22 | アメリカ便り
サービスには思いやり精神と機敏性が必要です。
はっきりいって、日本以上のサービスが世界には存在しないのは、この基本がその国の民度として備わっていないからだと思います。
外国といえばアメリカ、パリ、ペルーしか行った事がありませんが、そのことを実感します。
特にこの40年間すんでいるアメリカについていえば、サービスなんて“あっちゃらほい”と言う感じ。
それでも40年前から比べれば格段によくなったとは思いますが。

マクドナルドを例にとるとアメリカのサービスのなさが身をもって感じさせられます。
こういったところは黒人従業員が多いですが、“仕事したくなーい”雰囲気が蔓延しています。
だらだら、機敏性という行動の存在すらも知らない黒人従業員がゾンビーのように働いているのをしばしば目撃します。
偏見、人種差別ではないですよ事実です。
日本の機敏快活小気味良いサービスを知っている私は、そんな場所に行くことを最低限にしていますが、年に4,5回はいくことがあります。
いくたびに、このようなサービスのないサービスしか知らないアメリカ人をかわいそうに思いす。

ちなみに、ファーストフードに限らず、お客が“サンキュー”と言われることは50%ぐらいでしょうか。

土曜日はサム、かえ子ちゃんのグラスセールを手伝いました。
売り上げは良かったようです。

ジュンちゃん



サム、かえこちゃんのハルちゃん



スタジオ















ハブグレジュンタのマミー












#856: 40年前の今日, それは始まった。

2017-05-21 23:05:10 | アメリカ便り
先ほど、ジュンちゃんの食後のお散歩をしていたときに、“あ!!!”。

40年前の今日でした、私が土埃舞いあがるイリノイ州のとある田舎町に到着したのは。
そして、そこから“だめだったら帰ればいいや”という楽観的思考の元、私のアメリカ生活は始まったのです。

冷房のがんがん効いた空港というより飛行場といった感じの建物のなかで、どこまでも広がるコーンフィールドの向こうから、土埃を舞い上げながら真っ赤な太陽を背に迎えの車が来るのが見えたのを今でもはっきりと覚えています。

23歳まで家から離れたことがなかったのが、いざはなれるとなるとアメリカまで来てしまった。
中学校2年から23歳まで過ごした小さな小さな警察官官舎を後にし、羽田ーハワイーロスーセントルイスーイリノイと“初めての海外”という田舎ものには複雑、そして長時間の旅行でした。
成田空港はまだ開いてませんでした。

その40年の間に祖父母が亡くなり、父も亡くなり、3歳上の兄は心筋梗塞でほぼ寝たきり状態、89歳となった母も認知症やら心不全やら薬を10種類以上飲むようになってしまった。

23歳だった私が63歳となり、息子と娘が26歳と27歳。
私が異国の地で生活できていけるのもやはり、アメリカが自由の国であるということと私が教育を受けたことに負うと思います。
もし私みたいなごくごく一般のアメリカ人が日本で教育を受けたとしても、私みたいに生きていくのは難しいと思います。
やはり、それだけアメリカはオープンな国なのです(でした)。
しかしながら、教育の重要性はアメリカでは余計感じます。
特に移民にとっては教育しかないと思います、アメリカ人と張り合うのは。
それから“何とかなる”という私の楽観的な感覚、“日本人は世界で最高の国民である(つまりアメリカ人は日本人より劣っている)”と信じる事も大事です。
そして、自分を信じることです。

4年ほど前に自伝というほど大それたものではないですが、アメリカ生活36年を綴った本を出しました。
若い人たちに夢を持ってほしいという考えで。
だって中学、高校、大学(見たいなところ)で英語は3しかとったことがない私でもアメリカで生きてこれたんですから。
もちろん自費出版です。

植物園の写真です。
















ハブグレジュンタのマミー











#855: 日本人の特性

2017-05-18 22:33:44 | アメリカ便り
先ずは始めに、わからん。
見ただけで高貴なお方とわかる眞子様が、なぜ見ただけでチャラオとわかるフリーター小室圭と結婚したいのだろうか。
まったくあんな男の何が良いのかまったくわからない。
軽さがしっかりと顔に出ているではないか。
裏で何かが動いているとしか考えられない、か純粋温室育ちの眞子様は男を見る目がまるっきりなかったとしか思えない。
この先が見える婚約はぜひ破棄してほしいものです。
しかし、この母子家庭で育った(別に母子家庭を軽視するわけではありませんが)男が、どうやってインターナショナルスクールという月35万はする学校に行けたのか、またはなぜ行ったのかわからない。
本当にこの婚約はわからないことだらけである。

アメリカに40年も住んでいるとついつい日本人の特性,または民度とでもいいましょうか、気になってきます。
もう何度も書いていると思いますが日本人、日本には俗に言われているグローバルになってはほしくないという思いが募ってきます。
日本人、日本はグローバルになる必要がないと思います。
というのも日本人、日本にはグローバル以上の良い、失ってはいけない特性(民度)が備わっていると思うからです。
これは外国に住んでみないとわからないことです。

大体、グローバルという定義が曖昧。
グローバルって何?
大学の秋入学を始めること?
英語をはなせること?
中国人、韓国人と仲良くすること?
大学、会社に外人を受け入れること?
難民を受け入れること?

これらをやっていたら(英語を話せるようになること以外)日本は滅びます。
というのも、考え方も行動もおとなしい草食系の日本人が肉食系の外人を相手に勝てるわけがない。
何かといえばドサクサにまぎれ、すぐ暴動や略奪をを起こす外国。
事件そのものより、それに続いて連鎖的におきる暴動略奪のほうが怖い。
日本だけじゃないですか、すべてに列を作って待つ国民って。
事件が起きても、無関係なスーパーから略奪したり火をつけたりするなんてことは日本ではありえないです。
でもそんなことが外国では普通に起きているのです。
東日本災害で有名になった配給を待つ災害にあった人たちの列は世界で有名となりました。
そのような日本人の特性というものは、“グローバル”なんかより崇高でより価値があると思います。

そんなすばらしい日本人には外国では通じない、理解できない特性があります。
“わかってもらえる”という日本人同士だけでしか期待できない感覚と、敗戦で威力を増した“謙虚さ”です。
これらも肉食外人の遺伝子にはほとんど(100%とはいいません)組み込まれていません。
これらの感覚も日本はグローバルになってはいけない理由です。
つまりこれを外人相手にやっていたら日本は滅びるから。

日本は日本人の特性、民度を熟視してグローバルがプラスとなるかマイナスとなるか考えなくてはいけないと思います。





#854: 人生さまざま。

2017-05-17 22:11:39 | アメリカ便り
今日、遅れもなく無事ジュンちゃんが待つ、我が家に帰ってきました。
一家の主婦が5日間留守にしただけで、普段でも1日で空っぽになる貪欲な野鳥のえさ箱がすっからかーん、野鳥からすっかり見放されいました。
しかし、努力をせず手に入るえさの味を覚えた野鳥たちは、私がえさ箱にえさを入れるや否や、すぐにその音に反応し集まってくるのです。
鉢植えのプラントも水不足で意地て生き延びてるといった感じでした。
いつも私が留守にするとこんな感じですが。

今朝は空港に送ってくれる時間がない娘のため、100%遅延が期待できるシャトルバスで空港までいきました。
今日はわずか25分の遅れですみました。
1時間半の乗車中、運転手はコーヒーを飲みながら、何かを食べながら運転してました。
携帯でテキストやってないからまあいいかってな感じ。
これがアメリカ、期待してはだめな国なのです。
一緒にシャトルを待っていた中近東の男の人、今回が初めてだったようで、“このシャトル1時間遅れることもあるよ”と教えてあげると驚いていました。
日本じゃ考えられないことが普通に起きてますよ。

飛行機が飛び立ってまもなく、CAが忙しく通路をいったりきたりし始め、アナウンスが入りました、“お医者さんいらっしゃいませんか?”と。
“テロではなかった”。
医者は同乗していなかった様で、CAが酸素ボンベやらなんかわからない器具を運んでいきました。
結局何が起こったかわかりませんが、その病人は椅子で飛行機の外へ運ばれ、出口からは待っていたストレッチャーで運ばれていきました。

先日書きましたが、今回は元彼からがんの転移を知らされました。
先回の娘のところでの滞在中は友達のがんの転移を知らされました。
さらに先ほど、サンフランシスコから大阪に帰っている友達からは、仕事仲間(私も会ったことがあります)が亡くなったと聞きました。
この人私より5,6歳若い人で、3年ほど前に胸に大きなしこりが見つかりその後、いろいろ治療してましたが、最近治験の薬を使い始めたそうです。
その治験の薬が合わなかったようで、まもなく亡くなったそうです。

人生というか、人命様々。
私の父親のように、タバコ1日2箱、ほぼアル中状態が30歳ぐらいから60歳、大腸がん、上顎がん、脳梗塞、心不全で84歳まで生きた人もいる。
私の母はずーと心不全で89歳。
兄は66歳でほぼ寝たきり。

人生、どのように考えたらよいのでしょうかね。
単に公平さを問うか。

ハブグレジュンタのマミー



#853:まだウエストヴァージニアで娘の家政婦をしています。

2017-05-15 22:06:08 | アメリカ便り
毎日13時間勉強を続けている娘のため、掃除、洗濯、料理、買い物をやっています。

そんな私のところへ今日、大学時代のボーイフレンドからメッセージが入ってきました。
元彼は2年半ほど前に止まらない咳のため、医者に行ったら肺炎といわれました。
2、3ヶ月ほどたっても咳が止まらず、再び医者に行くと専門医に行くように言われ、そこで検査をしたら肺癌と診断されました。
そして手術で腫瘍を取り除こうと、あけてみるとすでに肺全体に腫瘍が点在していて手術不能。
その後抗がん剤を2年ほどやったりやらなかったりしていました。
去年暮れに話したときには5月に精密検査をすると言ってました。
調子いいから大丈夫だよ、なんてことも言ってました。
今その5月、検査結果が出たようで、その結果を知らせるメッセージでした。
結果は最悪でした。
脊髄に転移が見られたそうです。
放射線治療をするかしないかまだ、わからないといってました。
“放射線治療をする”といってないのが心配です。

木曜日に放射線の医者と相談するそうです。
放射線治療をするかしないか決めなくては、と書いていました。

一緒に勉強していた元彼がこんなことになるとは。
昔から、イージーゴーイングを地で行っていた人。
夏休みが3ヶ月取れるからということで、学校の先生となった人。
金がないのに、ヨットやらバイクを購入、休みやら夏休みには最大限に遊んでいた人。
まるっきり計画性がなく、”あんたは大海に漂う小船のような生き方をしている”という理由で別れた人。
昔テレビで見ていた“ビーバーちゃん”の両親にそっくりの両親を持った人。
風呂場で、よく足の毛をそっていた人(自転車のりだったためです)。
私がいろいろ引きずり回しても黙ってついてきた人。

いろいろ思い出があります。
5年間、一緒に20代を過ごした人でした。

帰ったら、会って話をしたいと思います。

ハブグレジュンタのマミー