折り紙について数学的観点から解説する本を読んでいると、折り紙がもつ「対称性」の例が説明されている。例えば、参考文献には、「正方形ねじり折り」と称する折り方が紹介されている。詳細は省くが、この折り方に関して、正方形の折り紙の折り線を示す同一の展開図について山折り/谷折りの位置を変えることによって、6通りの折り方で紙を平坦に折り畳むことができる。
ある折り方の折り紙は、それを180度回転させても同じものであるという意味で回転対称性を示す。また、別の折り方の折り紙は、90度と180度の回転について各々対称性を示す。しかし、このような対称性というものは、数学的な世界でのみ通用する概念である。
すべての折り紙に通用する基本概念として、紙を折ることが折り線に関する鏡映変換であると言える。つまり、折り線を境界として一方の領域にある任意の点を他方の領域の対応する点に移す操作である。言い換えれば、両方の領域は、鏡像対称性をもつということである。そう言えば、基本の折り方とされる三角おり、たたみおり、ざぶとんおり、ふくろおりなどすべての折り方は、折り線に関する鏡像対称性を前提としている。
しかし、折り紙が基本的にもつ鏡像対称性は、仮想的な概念であり、現実に折られた紙は、どうしてもこの対称性から外れた代物となってしまう。折り紙用紙は、一応対称性を案内するためのテンプレートの役割をするが、人によって折られた紙は、程度の差はあってもこの対称性が破られ、その場の偶然性に左右されるものとなる。
自然界には、空間的対称性が破られた多くの構造物が見られる。以下、このようなものの例をいくつか挙げる。
素粒子には、物質を構成する粒子と、力を伝える粒子の2種類がある。ある種の素粒子間には、「弱い力」と言われる力が働くが、この力を伝達する素粒子として、3種類の粒子(W+,W-,Z)が見つかっている。これらの粒子は、「物理法則はゲージ変換に対して不変である」というゲージ対称性の原理に従う。このような粒子が他の粒子から作用を受けてその反作用を示すということは、このゲージ対称性が自発的に破れるとともに、ヒッグス粒子の作用によってその粒子の質量が発現することを意味する。
「弱い力」は、素粒子の間に働く力であって、我々の生活には関係なさそうに思えるが、そうではない。太陽の中では、弱い力の作用によって陽子が中性子に変換される。ゲージ対称性が破れなければ、W粒子に質量が生じることもなく、太陽は早々と燃え尽きていたであろうから、地球上に生命が存在することもなかったであろう。
生物の細胞は、不断の代謝活動を営んでいる。この活動は、化学反応に他ならない。そして、一般的な話として、生体の化学反応や形態形成は、反応・拡散方程式に従って進行すると考えてみる。この方程式は、反応に係わる化学物質の濃度の時間発展が、化学反応の速さを示す関数(化学反応式)と、化学物質が空間中に拡散する状況を示す式(拡散式)との和で表される。
細胞内の代謝活動では、化学反応のウェイトが大きく、拡散のウェイトは小さいであろう。一方、複数の細胞が係わる形態形成では、化学反応とともに拡散のウェイトも大きいであろう。
この方程式の拡散式は、わき出しの中心から同一球面上の濃度は同等という等方性をもつという意味で、空間反転(位置ベクトルr→-r)を施しても不変である。つまり、空間的対称性を有するということである。また、この方程式の全体は、時間反転(t→-t)に関して不変である。これは、時間的対称性を意味する。
しかし、実際には、化学平衡から遠く離れた領域において、系の中をめぐる化学物質の拡散によって、初期の空間的対称性を破るような不安定性が出てくる場合がある。ここでは、化学物質の空間的分布には二つの可能性が現れる。この二つの構造は、相互に鏡像対称性をもつと考えることができる。このような分岐点に達すると、もはや拡散方程式から解を求めることができず、系が向かう方向は、その場の偶然性に左右されることになる。
また、化学反応には、熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)が適用され、化学反応は、時間的に不可逆の方向にしか進行しない。
DNAは2重のらせん構造をしているが、このらせんが右巻きに限られている。DNAが相補的塩基対という構造をとる以上、どうしてもらせん構造をとることになるようだ。らせんと言うと、右巻きか左巻きしか存在し得ない。それなら右巻きDNAと左巻きDNAの両方が見られてもよいはずであるが、自然界には右巻きらせんのDNAしか存在しない。生命が始まったとき偶然に設定されたDNAのらせん構造が今日まで踏襲されているのだろう。
地球上の生物がつくるタンパク質を構成するアミノ酸は、L型に限られている。L型が左巻きに相当するなら、右巻きに相当するのがD型のアミノ酸である。D型のアミノ酸によって構成されるタンパク質を生物に与えたとしたら、生物はこれを利用できず、死に至るであろう。宇宙空間からやってきた隕石に含まれるアミノ酸が左巻きであったことから、生命の種は宇宙から来たとも考えられている。
ここで、自然的におよび社会的につくりだされる一人ひとりの人間の性格というものは、何か対称性をもつゲージあるいはテンプレートのニュートラルから色々な方向に外れた属性である、という仮説を信じたくなる。
人間各人の性格は、男女性差を含む遺伝的形質と、誕生後の環境とによって形成されることは疑いがないが、そのような形成要因の違いが仮想的にニュートラルな性格からの偏向を生じさせ、各人の世界観の違いと価値観の違いをつくり出すと考えるのである。
最近つくづく感じるのだが、誕生後の性格形成には、歴史認識ということが重要である、ということである。より具体的には、その人の育った家庭の職業的な環境と、何か江戸時代から続く精神構造を残す地域コミュニティという環境が人の性格形成に決定的な影響を及ぼしているということであろう。そして、三つ子の魂、百までと言われるように、子供のころに形成された性格を変えるのは困難である。
2012年5月のブログでは、47都道府県の各県について行った県民性の解析の結果を記述した。とり挙げる性格として、1=忍耐強い/あきらめ早い、2=体制的/反骨的、3=とっつきにくい/人あたりがよい、4=質素倹約/はで好き、5=消極的/積極的、6=協調性大/個人主義、7=勤勉/あそびずき、8=排他的/開放的の8つの分類とした。
ここで、各性格の前者に+1、後者に-1、いずれとも言えないに0の値を与えることにした。
各性格の前者と後者の+-の符号が妥当か否かについては、議論の余地があろうが、両者が相反する属性であることに異論はないであろう。そうすると、0の値は、属性の色がついていない性格のニュートラルを示していると考えてよいだろう。
各県について、この8つの要素をもつ性格ベクトルをリストアップしてみる。そうすると、8つすべての性格値が0である県は皆無であることがわかる。すなわち、ニュートラルな性格から偏向していない県はない、ということになる。
もちろん、県民の性格の偏向は一例に過ぎず、これから対称性をもつ性格とは何かを論ずるには、根拠薄弱すぎるであろう。今後もこの問題について検討を続けたい。
参考文献
トーマス・ハル著「折り紙数学教室」(日本評論社)
フランク・クロース著「自然界の非対称性」(紀伊国屋書店)
I.プリゴジン等著「混沌からの秩序」(みすず書房)
ある折り方の折り紙は、それを180度回転させても同じものであるという意味で回転対称性を示す。また、別の折り方の折り紙は、90度と180度の回転について各々対称性を示す。しかし、このような対称性というものは、数学的な世界でのみ通用する概念である。
すべての折り紙に通用する基本概念として、紙を折ることが折り線に関する鏡映変換であると言える。つまり、折り線を境界として一方の領域にある任意の点を他方の領域の対応する点に移す操作である。言い換えれば、両方の領域は、鏡像対称性をもつということである。そう言えば、基本の折り方とされる三角おり、たたみおり、ざぶとんおり、ふくろおりなどすべての折り方は、折り線に関する鏡像対称性を前提としている。
しかし、折り紙が基本的にもつ鏡像対称性は、仮想的な概念であり、現実に折られた紙は、どうしてもこの対称性から外れた代物となってしまう。折り紙用紙は、一応対称性を案内するためのテンプレートの役割をするが、人によって折られた紙は、程度の差はあってもこの対称性が破られ、その場の偶然性に左右されるものとなる。
自然界には、空間的対称性が破られた多くの構造物が見られる。以下、このようなものの例をいくつか挙げる。
素粒子には、物質を構成する粒子と、力を伝える粒子の2種類がある。ある種の素粒子間には、「弱い力」と言われる力が働くが、この力を伝達する素粒子として、3種類の粒子(W+,W-,Z)が見つかっている。これらの粒子は、「物理法則はゲージ変換に対して不変である」というゲージ対称性の原理に従う。このような粒子が他の粒子から作用を受けてその反作用を示すということは、このゲージ対称性が自発的に破れるとともに、ヒッグス粒子の作用によってその粒子の質量が発現することを意味する。
「弱い力」は、素粒子の間に働く力であって、我々の生活には関係なさそうに思えるが、そうではない。太陽の中では、弱い力の作用によって陽子が中性子に変換される。ゲージ対称性が破れなければ、W粒子に質量が生じることもなく、太陽は早々と燃え尽きていたであろうから、地球上に生命が存在することもなかったであろう。
生物の細胞は、不断の代謝活動を営んでいる。この活動は、化学反応に他ならない。そして、一般的な話として、生体の化学反応や形態形成は、反応・拡散方程式に従って進行すると考えてみる。この方程式は、反応に係わる化学物質の濃度の時間発展が、化学反応の速さを示す関数(化学反応式)と、化学物質が空間中に拡散する状況を示す式(拡散式)との和で表される。
細胞内の代謝活動では、化学反応のウェイトが大きく、拡散のウェイトは小さいであろう。一方、複数の細胞が係わる形態形成では、化学反応とともに拡散のウェイトも大きいであろう。
この方程式の拡散式は、わき出しの中心から同一球面上の濃度は同等という等方性をもつという意味で、空間反転(位置ベクトルr→-r)を施しても不変である。つまり、空間的対称性を有するということである。また、この方程式の全体は、時間反転(t→-t)に関して不変である。これは、時間的対称性を意味する。
しかし、実際には、化学平衡から遠く離れた領域において、系の中をめぐる化学物質の拡散によって、初期の空間的対称性を破るような不安定性が出てくる場合がある。ここでは、化学物質の空間的分布には二つの可能性が現れる。この二つの構造は、相互に鏡像対称性をもつと考えることができる。このような分岐点に達すると、もはや拡散方程式から解を求めることができず、系が向かう方向は、その場の偶然性に左右されることになる。
また、化学反応には、熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)が適用され、化学反応は、時間的に不可逆の方向にしか進行しない。
DNAは2重のらせん構造をしているが、このらせんが右巻きに限られている。DNAが相補的塩基対という構造をとる以上、どうしてもらせん構造をとることになるようだ。らせんと言うと、右巻きか左巻きしか存在し得ない。それなら右巻きDNAと左巻きDNAの両方が見られてもよいはずであるが、自然界には右巻きらせんのDNAしか存在しない。生命が始まったとき偶然に設定されたDNAのらせん構造が今日まで踏襲されているのだろう。
地球上の生物がつくるタンパク質を構成するアミノ酸は、L型に限られている。L型が左巻きに相当するなら、右巻きに相当するのがD型のアミノ酸である。D型のアミノ酸によって構成されるタンパク質を生物に与えたとしたら、生物はこれを利用できず、死に至るであろう。宇宙空間からやってきた隕石に含まれるアミノ酸が左巻きであったことから、生命の種は宇宙から来たとも考えられている。
ここで、自然的におよび社会的につくりだされる一人ひとりの人間の性格というものは、何か対称性をもつゲージあるいはテンプレートのニュートラルから色々な方向に外れた属性である、という仮説を信じたくなる。
人間各人の性格は、男女性差を含む遺伝的形質と、誕生後の環境とによって形成されることは疑いがないが、そのような形成要因の違いが仮想的にニュートラルな性格からの偏向を生じさせ、各人の世界観の違いと価値観の違いをつくり出すと考えるのである。
最近つくづく感じるのだが、誕生後の性格形成には、歴史認識ということが重要である、ということである。より具体的には、その人の育った家庭の職業的な環境と、何か江戸時代から続く精神構造を残す地域コミュニティという環境が人の性格形成に決定的な影響を及ぼしているということであろう。そして、三つ子の魂、百までと言われるように、子供のころに形成された性格を変えるのは困難である。
2012年5月のブログでは、47都道府県の各県について行った県民性の解析の結果を記述した。とり挙げる性格として、1=忍耐強い/あきらめ早い、2=体制的/反骨的、3=とっつきにくい/人あたりがよい、4=質素倹約/はで好き、5=消極的/積極的、6=協調性大/個人主義、7=勤勉/あそびずき、8=排他的/開放的の8つの分類とした。
ここで、各性格の前者に+1、後者に-1、いずれとも言えないに0の値を与えることにした。
各性格の前者と後者の+-の符号が妥当か否かについては、議論の余地があろうが、両者が相反する属性であることに異論はないであろう。そうすると、0の値は、属性の色がついていない性格のニュートラルを示していると考えてよいだろう。
各県について、この8つの要素をもつ性格ベクトルをリストアップしてみる。そうすると、8つすべての性格値が0である県は皆無であることがわかる。すなわち、ニュートラルな性格から偏向していない県はない、ということになる。
もちろん、県民の性格の偏向は一例に過ぎず、これから対称性をもつ性格とは何かを論ずるには、根拠薄弱すぎるであろう。今後もこの問題について検討を続けたい。
参考文献
トーマス・ハル著「折り紙数学教室」(日本評論社)
フランク・クロース著「自然界の非対称性」(紀伊国屋書店)
I.プリゴジン等著「混沌からの秩序」(みすず書房)