河童アオミドロの断捨離世界図鑑

ザスドラス博士の弟子の河童アオミドロの格安貧困魂救済ブログ。

今週のコラム1:プロフェッショナル

2007年12月08日 | blog
今週のコラム1:プロフェッショナル

最近、色々な職業でのプロフェッショナルが減ってる気がする。

その理由の一つに、例えば技術に対する好奇心とか驚きが減ってることもあるのではないだろうか。昔だったら電気製品は中を分解すると、動きや仕組みが目で見えて実感できた。今、携帯電話を分解しても半導体チップがあるだけで完全ブラックボックスである。パソコン修理にしてもごっそり基板交換しかない。

初めて電話が開通した時はおそらく大騒ぎだったのだと思うが、今、その数万倍?の容量の光ケーブルが開通しても、あたりまえなのでなんの感動もない。
しかし、情報が光に変換されて長距離届くということは、むちゃくちゃ、すごい事のはずである。

どのスイッチを押せばどうなる、という知識を持っている人は多いが、それがどういう原理と目的で動いているのかをじっくり考えてる人は少ないようだ。そのあたりから事故が起こったりするのかもしれない。

かなり前に放射能もれの大きな事故があったが、その時はウランを単純作業でバケツで運んでいたとかだった。もし、担当者が上からの指示が無くても、自分で自分の仕事を理解していれば防げたのかもしれない。

ウランで話は飛躍するが、原爆を積んだ爆撃機の機長が、単純に命令を実行するのではなく、その爆弾がどういうものかを理解していたら、投下スイッチを押さずに何かの理由をつけて基地に帰ったかもしれない。

人間はそんなもののために生まれてきたんじゃないだろう。


エノラ・ゲイ
http://ooeyama.hp.infoseek.co.jp/enolagay.htm

ノートン・続々

2007年12月08日 | blog
結論としてはノートンの体験版を90日ごとに再インストールするのが一番経済的かもしれない。購入を考えて、ずーっと体験し続けるぶんには違法ではない?だろうし。

パソコンの再インストールも時間がつぶせるので老人の趣味としてはぴったりかもしれない。

美術館嫌い

2007年12月06日 | blog
私は美術館がきらいだ。子供の頃からきらいだった。なんかカビくさい部屋に、絵が標本とかミイラのように展示してあったので、もっとなんとかならんのか、ずっと思っていた。

絵そのものがきらいではなく、油っこい匂いや質感とか、展示の発想がきらいなのであった。

コンピュータグラフィックスを初めて見た時に、実体が無くて、画面そのものが発光していて「これや」と思った。それ以来、鉛筆、紙、絵の具を触る事が全くなくなってしまった。

もちろん、紙に描く感覚も、実体があるものも、大事であるが。

ハートカクテル 第1巻

2007年12月06日 | blog
ハートカクテル 第1巻を、買うほどの熱意もないので、電子書籍のサンプル版で見てみた。初版は1984年で絵はそこそこへたくそである。巻を重ねるごとにうまくなってるので、やはり物事、時間をかけてこつこつやっていかないといけないのだろう。

1984年というと23年前、20年間以上も絵を描き続けて、うまくなるとすれば、わしも今から絵の練習を始めて2030年にはちゃんとした絵が描けるようになるかもしれんが、その頃には寿命で死んでる可能性が・・・
やはり1年くらいで特訓しないときびしいか

善と悪とは見分けにくい

2007年12月05日 | blog
あれは、インドのニューデリーだった。歩くたびに色々な物売りや物乞いが近づいてくるので、振り切って断りながら歩くのが大変だった。

すると、後ろのほうで叫び声がして、インド人が尖ったナイフのような物をふりかざして、何か言いながら、こちらに向かって走ってくるではないか!
「怒ったインド人に刺される!」と思って必死で逃げた。100メートル9秒78くらいで走った。しかし、そのインド人はずっと追いかけてくる。ついに追いつかれ、インド人に肩をたたかれ。

「ミスター、ボールペン落としたよ」とそのインド人が笑いながらボールペンを渡してくれた。

すんません。あんたの事、悪人と思ってました。
思い込みとは怖いことである。

善と悪

2007年12月05日 | blog
「善は悪より生じ、悪は善より生じる」

これは私の師匠、ヘルベルト・ハムルートの言葉である。
一粒の種子から、根は闇を求めて地を進み、枝は光を求めて空に向かう。
どちらが善、どちらが悪ではない。
物事は常に両方の要素を持っているということである。

マタイ伝・第四章

ここにイエス言ひ給ふ。サタンよ、退け主なる汝の神を拜し、ただ之にのみつかへ奉るべし、と録されたるなり。ここに悪魔は離れ去り、視よ、御使たち来たりつかへぬ。

おせちのモスラ

2007年12月05日 | blog
はや12月になってしまった。
そういえば正月のおせちに時々、小型のモスラが居るのを発見することがある。
「ちょろぎ」「丁呂木」とかいう名前らしい。

この写真はちょろぎを知ってる人には植物に見えるが、知らない人には虫に見える特殊な写真である。

知ってる人から見ると朴とつなオジサンなのに、初対面の人が見ると人相の悪い犯人のようなオヤジに見えたりするのと似ている。

これは、ギズモとグレムリンの関係に似ている。

スキヤキ

2007年12月05日 | blog

もう70年くらいスキヤキを食べてないので、スキヤキにかしわを入れたかどうか考えていたら「スキヤキ」(上を向いて歩こう)をテイスト・オブ・ハニーが唄っていた事を思い出した。

かしわ

2007年12月05日 | blog
鶏ではなくて、かしわ餅の葉っぱのかしわである
漢字で「柏」かしわの葉っぱに似た色(もっと茶色い?)のニワトリを
かしわと呼んだという説もある。神社で手を打つのを拍手という。
ウバメガシワはまた違うようだ。