菜の花は好きな花の一つです。それもトップクラスです。
それでいて、私の場合、なかなか馴染みきれない花なのです。
近所に住むちょいと綺麗な二つほど年上のお姉さん。十七、八才くらいかな。
にこにこしているから、言葉を掛けようとすると、ポイっと横を向かれてしまいます。
こんなのってイヤですねェ。にこにこの真意が掴めない。
つまり、真意のないニコニコだったのですね。
菜の花やもうこれっきり泣きません ひよどり 一平
(なのはなやもうこれっきり泣きません)
菜の花は好きな花の一つです。それもトップクラスです。
それでいて、私の場合、なかなか馴染みきれない花なのです。
近所に住むちょいと綺麗な二つほど年上のお姉さん。十七、八才くらいかな。
にこにこしているから、言葉を掛けようとすると、ポイっと横を向かれてしまいます。
こんなのってイヤですねェ。にこにこの真意が掴めない。
つまり、真意のないニコニコだったのですね。
菜の花やもうこれっきり泣きません ひよどり 一平
(なのはなやもうこれっきり泣きません)
私は桜の花が大好きだ。だから、咲き始めると同時に、血が騒ぐ。
特に好きな桜がある。歴史的背景とか、銘木としての評価などとは関係がない。私が好きなだけであり、一方的に畏れ入っているだけのことだ。
上の桜もそんな中の一本。家から歩いて20分程度の距離なので、月に一度程度は会っている。
会えば必ずお説教。これもまた身から出た錆なのだから、甘受せざるを得ない次第。
向き合ひて桜に篤と叱らるる ひよどり 一平
(むきあいてさくらにとくとしからるる)
私はあまり夢を見ない。見ても忘れてしまうのかも知れない。
それでも、極くまれに見ることがある。
しかし、極くまれに見る夢にしても、決まって途中までで切れてしまう。
花馬酔木夢はいつもの辺りまで ひよどり 一平
(はなあしびゆめはいつものあたりまで)
桜が咲いたぞ!
「桜が咲いた」という言葉は、私にとってとても強く響きます。
「見に行かなくては」とか、「散ったらどうしよう」というような脅迫観念が働きます。
写真は、そのような「脅迫観念」に動かされ、公園まで馳せ参じて撮った一枚です。
「間に合ってよかったなァ」と、それがその時の実感です。
私にとって、桜はそんな花です。
急かされて着いて安堵の花見かな ひよどり 一平
(せかされてついてあんどのはなみかな)