喧噪を極めた五輪も、やっと終幕した。
日本選手団の活躍に対し、多くのメデイアは、「過去最高のメダル数38コ!」と絶賛している。
果たしてそうだったのか?
金銀銅の総数で言えばそうかもしれないが、騒ぐほどの成果があったのだろうか。
金メダルの数で言えば、今回は7個に終わったが、東京、アテネでは16個を獲得していたし、メキシコの時は13個、ロスでは10個だった。
選手たちは確かに頑張った。多くの物語りもあった。だからと言って、「過去最高!」という言葉で、総括することはあるまい。むしろ、「参加することに意義があった」とでも言ったほうがいい。
それよりも、気になる言葉があった。
これは今回の五輪に限ったことではなく、過去にもあったことだったのだが、「震災に遭って苦しんでいる人たちに勇気と希望を与えたい」と、選手たちはよく言っていた。
それはなんだ!そんな傲慢な言葉があっていいのか!
これは今回の五輪に限らないことだった。何かの折りにマイクを向けられると、選手たちはそんな言葉を口にしていた。
もちろん、若い選手たちにさしたる落ち度はない。他意もない。しかし私には、「希望を与える、元気を与える」と言う無神経さに、彼らの幼さを感じていた。
つまり、周囲の指導者の問題なのだ。
多くを期待されながら、当初はつまづき、最後にいたって相応の結果を残すことができたある選手に注目していた。
はじめの競技で、金メダルを得られず銀メダルとなったとき、「金メダル以外は頭になかったので、銀メダルを取れたからといって、特別の感想はない」といった意味の言葉を吐いていた。自らの失敗に対し、よほど許せなかったのに違いない。
その彼が、競技にも言葉にも次第に落ち着きを取り戻し、その後の競技で金と銀を得た。
その際のコメントは、「元気や希望を感じていただければありがたい」というものであった。
すがすがしい彼の競技とコメントに、私の涙腺はすっかりゆるんでしまった。やはり「機会」は人を育てるのだ。周囲の暖かい支えがあったのかもしれない。
五輪は閉幕した。しかし日本のメデイアは、メダルを下げて凱旋してきた選手たちに群がっている。苦労を重ねつつも結果を出せなかった選手たちには目もくれない。
一方では、竹島や尖閣諸島の問題が、無様な進行を見せている。
そんな様子を見ながら、無為の日を送っているわが身を、つくづく情けなく思う。
怠りて日の暮るるなり敗戦日 鵯 一平
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