下がりゐて陽に恥じらふや烏瓜 ひよどり 一平
(さがりいてひにはじらうやからすうり)
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私の散歩コースの三か所で、烏瓜が下がっていた。
そのうち二か所は、今年は下がっていない。根こそぎ排除されたのかも知れない。
その代わり、新しい一か所で烏瓜を見つけた。それが写真の烏瓜だ。
小さくて写真写りは悪いのだが、下がってくれていたので、満足している。
下がりゐて陽に恥じらふや烏瓜 ひよどり 一平
(さがりいてひにはじらうやからすうり)
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私の散歩コースの三か所で、烏瓜が下がっていた。
そのうち二か所は、今年は下がっていない。根こそぎ排除されたのかも知れない。
その代わり、新しい一か所で烏瓜を見つけた。それが写真の烏瓜だ。
小さくて写真写りは悪いのだが、下がってくれていたので、満足している。
別れ来て桜紅葉の下通る ひよどり 一平
(わかれきてさくらもみじのしたとおる)
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素晴らしい快晴なので、少し遠回りして帰った。
♪ 月がとっても青いから、遠回りして帰ろう ♪ という歌を思い出した。
「月が青かったから、遠回り」というのは詩的で理解できるが、真っ昼間、「日差しがよかったから遠回り」なんて、まるで詩的ではない。
勿論、遠回りして帰ったからと言って、特別に嬉しいことは起きなかった。ただ、綺麗な桜紅葉に出会った。
綺麗な桜紅葉だったが、上手くは撮れなかった。
池の面のビルの揺らぎや花芒 ひよどり 一平
(いけのものビルのゆらぎやはなすすき)
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自分が死んだ後はどうなるか?
もともと分かりはしない。
無理に分かろうと思わなくても、分かるべきものであれば、いずれは分かるはず。
だから今は、無理に分かろうとしていない。
死後には何も無いかも知れないし、何か有るかも知れない。
願望はある。
勝手な望みなのだけれど、もし出来るのであれば、私が関わった人々が少しでも幸せになれるよう、微力を尽くしたい。
コスモスの薫りの渦に巻かれけり ひよどり 一平
(こすもすのかおりのうずにまかれてけり)
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8千歩歩いた結果の一つがこのコスモスです。
残念ながら、上手く行きませんでした。コスモスの素晴らしさに有頂天になってしまいました。
今日からは、その反省に立って、撮ろうと思っています。
草の実の池にさきがけ暮れにけり ひよどり 一平
(くさのみのいけにさきがけくれにけり)
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昨日は好天気だった。
カメラを持って歩いた。久し振りに8千歩。お陰で帰路はヘロヘロになった。
その効果かどうか判らないが、腰痛に変化があった。つまり、痛み方が違ったのだ。
好転したのだと思って、努力を重ねたい。
しかし8千歩は多過ぎたかもしれない。
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新型コロナウイルス以来、「不要不急」という言葉が流行した。
これには参った。「不要」な「私」の行動は、「不要不急」ではないのか。
病院の定期検診が近づいてきた。
おずおずと病院に訊ねた。
「私は〇月▽日に定期検診なのですが、そちらへ伺ってよろしいのでしょうか?」
「何を仰っているのですか、定期検診ですから必ずお出で下さい!」とは病院の回答。
笑えない笑い話であった。