新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

放埒の報い

2011年07月15日 07時35分24秒 | 身辺雑記

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 2~3週前、故郷へ行った。 震災後、初めての帰郷だった。

 地元にいる同級生たちだけの同期会があり、押しかけ参加の形となった。したがって、中学校卒業以来、まったく逢っていない顔ぶれが多かった。

 多くの同級生たちは、雰囲気を忘れずにいてくれて、楽しく歓談することができた。

 しかし、中にはしっくりいかない同級生もいた。小学校や中学校時代に悪ガキだった私の、いわば被害者たちだった。

 確かに私は、「勉強のできるいい子」ぶった「ワル」であった。警察のお世話になったこともある暴力沙汰も幾つかあった。だからこそいままで、地元でのクラス会や同期会には出席しなかった。

 一緒に「ワル」をしていた親しい友人の多くは、次々に他界してしまった。つまり、「孤立無援」とも言えた。

 そんな気分を押して、あえて出席する気持ちになったキッカケは、「東日本大震災」であった。幾人かが僅かではあるが被害に遭っており、電話で話をしていたので、直接お見舞いを言いたかったし、その後の状況も知りたかったのだ。

 また、「悪ガキ」時代の詫びごとも言いたかった。「誰と誰と誰には、是非とも詫びたいなァ」という強い思いがあった。 

 先日の会場では、その詫びごとを言う前に、満座の中で、恨みごとを言われてしまった。

 もちろん、多くの同級生たちは懐かしがってくれ、積もる話に花が咲いた。

 しかし、「被害者」の一部は、私を許してくれていなかったのだ。

 歳月は忘却という粋な働きをしてくれる。反面、深く残った傷は、かえって記憶を先鋭化しているのかもしれない。

「加害者」と「被害者」の心の溝を、あらためて深く知らされた。

 65年ほど前のことであっても、「風化」できるものではなかったのだ。

 幸いなことに、私が上京してからの「更なる悪行」については、誰にも知られていない。

 とは言え、私にとって、故郷は再び遠くなってしまった。

 今年の夏、在京者を含めた「同期会」が、栃木県湯西川温泉で計画されている。

 出席すべきものかどうか。気が重くなってしまった。

 七十七歳にして思う悲哀だ。

    放埒に生きて今ありほととぎす   鵯 一平  

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滅びの予感

2011年07月10日 16時28分00秒 | 写真俳句・エッセー

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 日本政治の混迷には呆れています。

 我が国は、今、とても重大な局面にあります。

 少子高齢化の進展の中で、社会保障制度と財政問題をどうするのでしょうか。

 国際社会における日本の位置づけを、どのように考えるのでしょうか。

 なによりもの焦眉の急は、震災の復興であり、原発事故の収束。

 エネルギー問題も急浮上しました。

 私たちはとんでのない政権選択をしてしまったようです。

 菅直人氏は、政権維持自体を目的化した様子です。

「殿ご乱心!」と押し留めるヤツもいない。

「社会保障と財政」にしても、「エネルギー政策」にしても、国民の一人ひとりの覚悟が問われています。

 単に政権維持のテーマではない。

 我々の生き方が問われているのです。

 落ち着いた社会的雰囲気の中で、 子孫のために、しっかり論議したいではありませんか。

 私は間もなく、あの世へ旅立つ身です。

 戦後復興に見せてくれた先人たちの獅子奮迅の姿を見習い、せめて議論のとっかかりなりと残したい。

 にもかかわらず、政治家たちのなんとも卑しい右往左往ぶり。

 そんな「選良?」を選んだ愚かな私自身を、今になって痛切に恥じています。 

    梅雨明けや國滅びゆく予感あり   鵯 一平

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昼顔の似合う歌人

2011年07月09日 07時38分00秒 | 身辺雑記

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 歌人・河野裕子さんの遺歌集「蝉声」を読んだ。

 歌集の「あとがき」で、夫君・永田和宏氏が、「これ以降の歌集はもう決して出ることはないのだということに、あらためて無念の思いが強い」と書いている。

 かねてより密かな愛読者だった私としても、とても残念でならない。

 亡くなったのは平成22年8月12日。享年64歳であった。

 昭和47年(26歳)のころの歌に、

   「青林檎与へしことを唯一の

             積極として別れ来にけり」 

 があった。   

 なんと初々しいことであろうか。 この頃、夫君永田氏と結婚した。

   「明日になれば切られてしまふこの胸を

             覚えておかむ湯にうつ伏せり」

 乳癌を切除するにあたっての慟哭であったろうか。

 永田氏の「あとがき」によれば、最後の頃は鉛筆も持てなかったようだ。

 次の歌は、夫君による口述筆記(平成22年8月11日)とのこと。

   「手をのべてあなたとあなたに触れたきに

                   息が足りないこの世の息が」

 ご冥福をお祈りします。

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フクシマ

2011年07月05日 07時16分01秒 | 身辺雑記

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 過日、震災後はじめて、郷里へ行った。

 今まで、怖ろしくて行けなかった。

 余震や放射能の恐怖というより、津波の爪痕を見るのが怖ろしかったのだ。

 私が親しんだ浜は、やはり、姿を変えていた。

 上の写真は、変わっていない風景を切り取った。

 写真中央部分の80キロほど彼方が、あのフクシマの方向だ。

 原発問題は、まだ収束に到っていない。

 一泊して帰宅した。

 見事に疲れてしまった。情けないわが身を、しみじみ知った次第。

 ブログからもすっかり遠ざかってしまった。

 これが老いというものかもしれない。

   夏の海かのフクシマは烟りをり   鵯 一平

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