2~3週前、故郷へ行った。 震災後、初めての帰郷だった。
地元にいる同級生たちだけの同期会があり、押しかけ参加の形となった。したがって、中学校卒業以来、まったく逢っていない顔ぶれが多かった。
多くの同級生たちは、雰囲気を忘れずにいてくれて、楽しく歓談することができた。
しかし、中にはしっくりいかない同級生もいた。小学校や中学校時代に悪ガキだった私の、いわば被害者たちだった。
確かに私は、「勉強のできるいい子」ぶった「ワル」であった。警察のお世話になったこともある暴力沙汰も幾つかあった。だからこそいままで、地元でのクラス会や同期会には出席しなかった。
一緒に「ワル」をしていた親しい友人の多くは、次々に他界してしまった。つまり、「孤立無援」とも言えた。
そんな気分を押して、あえて出席する気持ちになったキッカケは、「東日本大震災」であった。幾人かが僅かではあるが被害に遭っており、電話で話をしていたので、直接お見舞いを言いたかったし、その後の状況も知りたかったのだ。
また、「悪ガキ」時代の詫びごとも言いたかった。「誰と誰と誰には、是非とも詫びたいなァ」という強い思いがあった。
先日の会場では、その詫びごとを言う前に、満座の中で、恨みごとを言われてしまった。
もちろん、多くの同級生たちは懐かしがってくれ、積もる話に花が咲いた。
しかし、「被害者」の一部は、私を許してくれていなかったのだ。
歳月は忘却という粋な働きをしてくれる。反面、深く残った傷は、かえって記憶を先鋭化しているのかもしれない。
「加害者」と「被害者」の心の溝を、あらためて深く知らされた。
65年ほど前のことであっても、「風化」できるものではなかったのだ。
幸いなことに、私が上京してからの「更なる悪行」については、誰にも知られていない。
とは言え、私にとって、故郷は再び遠くなってしまった。
今年の夏、在京者を含めた「同期会」が、栃木県湯西川温泉で計画されている。
出席すべきものかどうか。気が重くなってしまった。
七十七歳にして思う悲哀だ。
放埒に生きて今ありほととぎす 鵯 一平
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