新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

友逝く

2021年10月31日 19時47分06秒 | 写真と俳句

  ふるさとのM君逝く

  丸く寄せ白く引くなり秋の波  ひよどり 一平

 (まるくよせしろくひくなりあきのなみ)

   ・・・・・・・

 小学生時代からの旧友M君が亡くなった。

 昨日の当ブログに戴いた娘さんからのコメントで知った。

 M君も私も、昭和9年生まれ。

 太平洋戦争が始まったのは小学校1年生の冬であり、小学校5年生の夏に終戦となった。

 旧友が亡くなるのは、とても淋しい。

 謹んでご冥福を祈りたい。

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気儘にずいと

2021年10月30日 18時16分46秒 | 写真と俳句

   

   秋茄子気儘にずいと曲がりけり     ひよどり 一平

  (あきなすびきままにずいとまがりけり)

   ・・・・・・・ 

 伸び始めた茄子が、障害物がないのに、突然、ずいと曲がっていた。

 「へえー、なんで・・・?」

 そこに障害となる何かがあれば、曲がる必然性を理解できるのだが、その場の私には、障害となるモノを見出せなかった。

 なんともへそ曲がりな茄子ではないか。

  ・・・・・・・

 明日は衆院議員選挙。故あって、今日、期日前投票に行ってきた。

 凄い混雑であった。

 投票日当日でも、これほどの混雑に出逢ったことがない。

 ひょっとしたら、かなり高い投票率となるのだろうか。

  ・・・・・・・

 この秋に入ってから、考えることが多くなった。

 まずはこのブログのこと。

 撮影の機会も減ってきたし、おいそれと俳句が出来るものでもない。ヘボはヘボなりに考えているのだ。

        

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椋の夜

2021年10月29日 18時58分55秒 | 写真と俳句

                

    手を振るは別れの仕草椋の夜   ひよどり 一平

   (てをふるはわかれのしぐさむくのよる)

     ・・・・・・・

 元来、私は椋鳥が好きではない。

 群らがってギャーギャー鳴かれると、鳥類とは思えなくなる。

 しかし、夜が更けて、大きな駅の駅前広場で聞く椋鳥の声には、とても温もりのある親しみを感じるから不思議だ。

 「あっ、お前さんもまだ起きていたのか」と、声を掛けたい気分。

 家路を急ぐこちら側の淋しい気分を、盛り立ててくれているようでもある。

 ところが実は、あの鳴き声が公害だとして問題視されているのだから、私の感覚がおかしいに違いない。

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隣家の犬

2021年10月28日 23時25分12秒 | 写真と俳句

           

        秋天や隣家の犬に吠えらるる   ひよどり 一平

  (しゅうてんやとなりのいぬにほえらるる)

   ・・・・・・・

 今日はまずまずの上天気だったのではなかろうか。

 実は体調がちょっと心配だったので、カメラ持参の散歩はしなかった。

 体調が心配と言っても、軽い腰痛なのだから、さほどのことではない。横着病みたいなものだ。

 写真は隣家の犬。先ごろまでは別なところにいたのだが、一か月ほど前に引っ越してきた。

 新しいところに馴れないせいかどうか知らないが、かなり吠える。

 隣家の主人のハナシによると、ドーベルマンの七歳だとか。

 かなり吠えるのだが、私にはあまり吠えない。まさか私が戌年なだからではあるまいが。

 今日は適当な写真が無かったので、ワンちゃんで一句を作った。

 先ほども書いたが、私はあまり吠えられないのだが、吠えられた句にした。

  ・・・・・・・

 今日はあまり愉快でない仕打ちに遭遇した。

 私をストーカーとでも思ったらしい仕打ちだった。クワバラ、クワバラだ。

 ラインにしてもメールにしても、よほど慎重に扱わないと、ストーカーにされるかもしれない。

 私の甘さと不手際が原因だった。そのことを強く強く反省しよう。

 

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カラオケは一から始める

2021年10月28日 12時03分37秒 | 写真と俳句

 

  秋薔薇に無疵な日などあるものか    ひよどり 一平

 (あきばらにむきずなひなどあるものか)

  ・・・・・・・

 大袈裟に言うつもりはないが、ひとは他人を疵つけたり、他人から疵をつけられたりしながら生きているのではないだろうか。そのように思えてならない。 

 決して気分がいいものではない。

 しかし、そのほとんどは、「はからずも」なのだ。「意図的に」疵をつけたりはしない。

 そんなことを繰り返しながら、八十余年が過ぎてしまった。

 時折り、索漠たる気分に陥入ることがある。

 とても寂しい。

  ・・・・・・・ 

 友人に誘われて、カラオケに行ってきた。コロナ以来だから、二年余ぶりだったろうか。

 カラオケの装置が、大きく変わってしまったのには驚いた。

 わがノドが、ひどく退化したこともショックの一つだった。歌い続けるエネルギーも気力も減退していた。あの頃は、二十曲歌っても平気だったのに、昨日は、五曲も行かないのに、心身共に悲鳴を上げた。

 もちろん、結果は最悪。「やっと歌いました」というような成績だった。

「今後、どうしようか?」と考えたくなるほど、「身体」にも「心」にもダメージがあった。

 しかし、今後の健康な日々を求めるならば、やはりカラオケは必要ではないかと思い直し、「よし、いちから出直そう」と思い始めているところだ。

 それには、以前に使っていた「カラオケのメモ帳」を探すことから、始めなければならない。

 

 

 

 

 

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