春の鴨首をうずめてゐたりけり ひよどり 一平
(はるのかもくびをうずめていたりけり)
・・・・・・・
この池にも多くの鴨が飛来して来ていたが、今はかなり少なくなってしまった。故郷へ帰ったのだろうか。
そんな中、残った二組の鴨が眼に止まった。
遅れて飛び立つのか、残った鴨なのか、私は知らない。
寄り添って浮いている様子から、つい私は、哀愁を感じてしまった。
春の鴨首をうずめてゐたりけり ひよどり 一平
(はるのかもくびをうずめていたりけり)
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この池にも多くの鴨が飛来して来ていたが、今はかなり少なくなってしまった。故郷へ帰ったのだろうか。
そんな中、残った二組の鴨が眼に止まった。
遅れて飛び立つのか、残った鴨なのか、私は知らない。
寄り添って浮いている様子から、つい私は、哀愁を感じてしまった。
牡丹のかくもかなしき白さかな ひよどり 一平
(ぼうたんのかくもかなしきしろさかな)
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近所の家の牡丹が咲いた。見事な大輪だ。
大急ぎでカメラに納めた。
撮ったはいいが、俳句はできない。
高浜虚子の句に、
白牡丹といふといへども紅ほのか 虚子
俳誌「河」の角川春樹主宰の句には、
をみなにてまた生まれまし夕牡丹 春樹
があった。
私は、うーんと唸る。未熟を知らされるだけだ。
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しゃぼん玉泣く子笑ふ子むずかる子 ひよどり 一平
(しゃぼんだまなくこわらうこむずかるこ)
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へぼカメラマンにとって、しゃぼん玉の撮影はそれなりに難しい。
まずはしゃぼんを吹き出して貰わなければならない。
子供たちだけでしゃぼん玉を吹いているところへ近づいても、思うようには吹いて貰えない。カメラ持参の男が子供に近づくことだけで警戒されてしまう。
不用意に近づきでもしようものなら、「▽▽ちゃん、こっちへいらっしゃい!」という声がかかり、子供は母親のほうへ呼び戻されてしまう。
まずは、子供さんを写さないことを親御さんに確約のうえでなければ、カメラ持参の男は、子供には近寄れない。
その上で、「撮った画像はご覧いただきます」と確約し、しゃぼん玉を吹いてもらう段取りだ。
悪い奴がいるからこのようなことになったのだろうから、しゃぼん玉の親子を恨むわけにはいかない。
それとも、私の人相が悪いからだろうか?
惜春の犬に見られてしまゐけり ひよどり 一平
(せきしゅんのいぬにみられてしまゐけり)
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またこの犬に会ってしまった。
犬のほうも、「また爺さまに会ってしまった」と思っているかもしれない。
割と小づくりな女性が連れている犬だ。
愛くるしい犬だが、油断は見せていない。まさに忠犬らしい。
葦の角ごみ従えてゐたりけり ひよどり 一平
(あしのつのごみしたがえてゐたりけり)
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こんなにもゴミがあったかと思うほど、流れ着いたゴミが葦の芽にまとわりついていた。
小さな池なのに、よくもこれほどのゴミがあったものだと思うほど。
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コロナ自粛から脱却しないと、「一億総不健康」時代を招きそうで怖ろしい。
慢性疾患の悪化と子供たちの体力低下が心配だ。