岐阜市教育委員会は12/26、金華山上部の発掘調査で、
岐阜城天守閣の周辺で見つかっている石垣の一部は、
織田信長が城主だった1567〜76年に築かれたと発表しました。
信長が岐阜城にいた頃、
山上部に石垣が張り巡らされていた
可能性が高まった。
としています。
信長期に築かれた石垣等を確認しました!
現地見学について
11月27日(火曜日)~12月1日(土曜日)
10時00分~12時00分 13時00分~15時00分の間
担当者が現地に常駐し、随時説明します。
(雨天中止、中止の際はこのホームページ上でお知らせいたします。)
※鉄の矢じりは、11月29日(木曜日)~12月3日(月曜日)の間、
岐阜公園内の発掘調査案内所にて展示します。
https://sites.google.com/site/hakutuanaijo/
平成30年度発掘調査の概要
〈所在地〉 岐阜城山上部
〈調査場所〉 馬場~二ノ門の間の登山道周辺の2ヶ所
(ロープウェー山頂駅から天守閣までの道沿いの中間地点です)
〈調査期間〉 平成30年10月24日~平成30年12月1日(予定)
〈調査面積〉 約140平方メートル
〈調査目的〉 石垣の基礎構造及び関連遺構の確認
発掘調査でわかったこと
◎信長期に築かれた石垣を確認(1区)
石垣石材が比較的大きく、 石材の間に間詰石(まづめいし)を入念に入れて
構築している。
→山麓の信長公居館の石垣と共通する特徴
※『稲葉城趾之図』(伊奈波神社所蔵)に描かれた石垣と対応すると考えられる
⇒中腹の石垣に続き、今回も現地との対比ができたことで、絵図の信頼性がより高まった。
◎岐阜城跡で初めて鉄の矢じりを発見(2区)
鉄鏃(てつぞく)の長さ14.6cm、幅2.0cm
→慶長5年(1600)8月23日の関ヶ原の戦いの前哨戦で使用された可能性がある。
遺物は軒平瓦、飾り瓦、鉄鏃など コンテナ4箱、破片数約500点が出土