浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

アメリカにも阿弥陀如来は届いている

2024-05-21 22:04:00 | お知らせ
先日の神奈川新聞には、開教使と言って、アメリカで浄土真宗の教えを、伝えていらっしゃる方の活動が、ご紹介されていました。その方はアメリカ人でたまたま日本に留学をされた時、浄土真宗の教えに出会われ、僧侶の資格までとられたのであります。アメリカのお寺に通っておられる方も、アメリカ人が多く、キリスト教から仏教に変わられたそうであります。死を前提にして生きる、これが浄土真宗であります。ほとんどの方は、ごまかしているのであります。阿弥陀如来の救いに出会ったら、どこで死んでも同じです。阿弥陀如来は、どんなところでも私とご一緒だからです。外国で死のうが、日本で死のうが、病院で死のうが、自宅で死のうが、関係ないのです。死の瞬間に、悟り仏となるのです。阿弥陀如来は、死に方を問わないのです、そして、生き方も問わないのです。ほとんどの方は、まさか自分が地獄に堕ちるとは考えもしないでしょう。自分はそれほど悪いことをした事は無いと、心のどこかで思っているのです。私もそうであります。死んだら、どうなるかわからないけれども、まさか、地獄には行かないと思っているのではないでしょうか。しかし、阿弥陀如来に出会わなければ、間違いないです。しかし、堕ちる者を、必ず救うのが如来の願いです。その願いは、既に成就し、南無阿弥陀仏の声の仏となって、私に届いているからこそ外国だろうが、どこで死ぬかは、関係ないのです。いつでも、阿弥陀如来の救いは届いているのです。死をごまかすことなく、死を前提に生きられるのです。そうしましたら、残された人生はありがたい人生に変わるのであります。




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遺骨引き取り手なし

2024-05-20 21:53:00 | お知らせ
近年、身元はわかっているのに、引き取り手がいない遺骨が激増しているとの記事が、今日の朝日新聞に載っておりました。私としては特に驚くべきこともなく、まぁそうだろうなと思った次第です。引き取り手がいなければ、市町村が代わって、火葬にして、市町村で、市営の合葬墓がある自治体は、そちらに納骨する形になるようでございます。もし、市町村でも取り扱っていただかなければ、いつまでたっても火葬されずに、ご遺体はそのままになってしまうのであります。親族が見つかっても、ご遺体の引き取りを拒否することもできるのだと言うことであります。もし、その方に遺産がございましたら、それから親族が火葬費用、納骨費用などをまかなえるのでありますが、全く貯金もなければ、残念ながら、そのような面倒なことに巻き込まれたくないと思われるのは、心情だと思われます。今は一人暮らしの高齢者の方が、どんどん増えています。ぜひ、お元気なうちに、家族、親族の方やお友達にでも頼んで、もし自分がもし何かあったときのためのことをお考えなるのは、良いと思います。一時期、エンディングノートと言うのが、流行りましだが、あれからあんまり騒がれなくなりました。多分、みんな自分が死ぬとは思っていないからだと思います。何十年後かの未来の出来事だと思っているからであります。しかし、お互い明日生きてるかどうかはわからないのであります。生きてるところに常に死は存在しています。それにしても、その記事の下には、早速仏教書の広告が出てまして、その広告のための記事なんじゃないか?と思ってしまいました。


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反応しない

2024-05-19 22:21:00 | お知らせ
今日は、ご法事が7件、ご葬儀が1件ございまして今日も慌ただしい1日でした。お坊さんが忙しいのは良いことでは無いのです。しかし、どういうわけだか、重なるのでございます。今日もご法事が終わった後、つなぎに着替えて作業を色々と考えていたのですが、雨が降ってきたので、それができなくなり、パソコンに向かって事務仕事を始めたのですが、ご法事の疲れでさっさとやめてしまいました。さて、今年の梅の不作がどうにも納得できなくて、ネットで検索してみると、あちらこちらで不作と言う記事がたくさん出てまいりました。なるほど、理由はよくわかりました。気になる方は検索すればたくさん出てまいります。私は、テレビ、新聞、ネットの記事をすぐに信じてしまうのです。本当に正しいことなのかどうかもわからないのに、勝手に正しいと判断しているのであります。しかし、私はそんな時、昔見た記事を思い出すのです。それは、墓が足らなくなるという墓ブームの記事です。確かにその当時は、そのような推測が成り立ったのでしょうが、いくらでも、情報操作はできるのであります。仏教では、いちいち反応しない、無視しろとそのように教えてくれていると思っています。テレビは正しい、ネットは正しい、新聞は正しい。そのような偏った見方はやめたほうが良いのです。しかし、私には正しい見方ができないためにすぐに反応してしまいます。困ったものでございます。お寺に相談にいらっしゃる方も、必ずおっしゃるのは、ネットでこのような記事が出てましたということなのです。私はそれを聞いて、やっぱりみんなネットを信用するんだなぁと気づかされるのであります。いくらでも情報操作はできるし、自分の会社の都合の良いように記事など、いくらでも書けるのにと、他人の事は冷静になれるのであります。



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何故か小さい字

2024-05-18 21:50:00 | お知らせ
今日も、ご法事の後は、ご相談やら介護施設への訪問やらと慌ただしい1日でありました。合間には、相変わらずキウイの受粉作業や、ビワの取り除けネットの風で飛ばされたものを、またつけ直したりと動き回っておりました。ちょうど介護施設に訪問に行ったお宅の新聞チラシにも、お寺の樹木葬のチラシが入ってました。私のお寺とは、違う地域の新聞の折り込みチラシを見ていると、なかなか面白かったです。今お寺にとって良い風向きになっているのです。お寺は今必死でがんばっております。今までお墓と言えば、みんな霊園さんを探したものでありますが、今は近くのお寺さんの樹木葬やら永代供養墓を探す方が結構いらっしゃるのだろうと思います。なんといっても、近いのは1番です。いつでも気軽に行けて、毎日でもお参りに行ければ1番良いのです。自分でお車を運転できるのであれば問題ないですが、年齢を重ねるうちに、車は手放さなければならなくなるのであります。親孝行の子供さんが近くにいれば問題ございませんが、子供さんも忙しいのです。しかし、いつも思うのですが、どんな業種も折り込みチラシを見ると、本当に重要な事は、小さく書いてあるものです。そして、それこそちゃんと読まなければならないところなのに、相手にとっては都合が悪いのか、なぜか小さく書いてあるのです不思議なものでございます。例えば、別途〇〇金がかかりますとか。




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ちょっと待てよ?

2024-05-17 22:03:00 | お知らせ
今日から、永代供養式個別墓地の工事が始まりました。今日基礎工事をしてくれたので、今月中には1基目が完成する予定になっておりますので、ぜひ、ご覧いただきたいと思います。
どういうわけだか、今月は、ご葬儀が多いのでございます。お坊さんが忙しいのは良いことではございませんが、やはり、多死社会に突入したような気がいたします。
さて、ここ数年の大河ドラマを観ておりますと、私は最初、麒麟がくるの明智光秀の戦国時代や、鎌倉殿の13人の源頼朝の鎌倉時代、その時代背景を見ていると、このような戦ばかりの世の中に生まれなくて、本当によかった。今日のような平和な日本に生まれて、私は本当に良かったと思ったのであります。ところが、ちょっと待てよ?と思いました。仏教は、過去世、現世、来世の3世をときます。私にも、過去世があったのです。ただ、記憶にないだけなのであります。もしかしたら、戦国時代や室町時代や、鎌倉時代のような戦乱の世に生まれ、戦に加わっていたかもしれないのであります。きっと、その時、もうこんな毎日、戦ばかりの世の中は嫌だ。早く極楽浄土に救われたいと思ったはずなのであります。しかし、今も人間に生まれているという事は、戦の世で阿弥陀如来に出会えなかったのです。武士の仕事は、人を殺すことであります。その武士の1番の悩みは、人殺しは地獄堕ちだと言うことであります。その当時の人々は、自業自得という自らの行いによって、次の世が決まるという因果の道理をちゃんと知っていたのであります。鎌倉時代には、今も残る多くの宗派が誕生しました。それは、戦乱の世を平和にするためにお釈迦様が、この世に、高僧をつかわせたのです。人間の姿をとっておられますが、菩薩方なのであります。親鸞聖人もそのお一人であります。その武士の1番の悩みに答えたのは、法然上人であり、親鸞聖人であります。武士を辞める必要は無い、阿弥陀如来の救いに条件は無い。無条件の救いであります。それで武士は救われたのであります。




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