Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

弟橘媛様

2009-07-10 07:48:11 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

弟橘媛様レリーフ       吾妻神社にて

吾妻神社

今から、20年くらい昔、お友達の家でたまたま帰省していたその兄さんと3人でお喋りしていた時、突然、、お兄さんはある方向を見ながら 独り言を言い出した。

「誰か代表して言って。 みんなが話すと判らない。フンフンフン。。。。」

「それだけ言えばいいのね。後は、言ってはだめなのね。」と言って、私のほうに向きを変えた。「今、あなたに伝えるようにと、3人の巫女さんの格好をした人が、弟橘媛様の使いだと言って来た。困った時に、『弟橘媛さまにお願いしなさい。」と言った。他にもいろいろ言ったけど、話したらだめと言ったからいわないね。」と言った。

私と友人はあっけに取られていた。その兄さんの話は以前から、聞いていた。いつも通勤途中で会う人から 「自分は異星人で地球を救うために来た。あなたにはわかるだろうから話す。」とか、同じ職場の部署の違う女の人と二人だけエレベーターに乗り合わせた時、勝手にテレパシーで古代のヘブライ語で会話したとか、摩訶不思議な話を幾度か聞いていたが、(その都度、私達はケケケケと半分バカにして笑っていた)友人は「初めて見たわ」と目を丸くしていた。

その当時、私とは全く縁のない神話の中の話であり、ヤマトタケルの妃だというくらいの事しか私は知らなかったし、何処に祭られているのかもわからないので、そのうちに、記憶の底に沈んでいった。

2003年の11月伊豆にグループ旅行をした。それまで何度も上京しているのに なぜかその時になってその媛神様の事をネットで調べ、走水神社と吾妻神社に一緒に旅行した人達と分かれて、お参りすることにした。東京で 以前行ったと言うノワタリさんと会い、案内して頂いた。

走水神社の裏手をお参りしていると、ノワタリさんは「弟橘様は覚悟して海に入られたけれども、お付の人達もみんな一緒に入られてその悲しみが伝わってくる。」と言って悲しげなメロディであった。

吾妻神社は媛様のかんざしなどが流れ着いたのを祀っている神社ということだっ多数か月前、ノワタリさんがお清めに行かれた時は、とても暗かったという。

「以前と、大分変わったわね。明るくなったわ。」と言われた、私はその時が初めて訪れたので 静かで落ち着いた神社だと思った。ノワタリさんがやさしい歌声で、歌っている間、たいそう 喜ばれて、舞をまわられていたそうだ。

右上と下の写真にオーブが写っているのはそれなのかしら?

旅に出る前日に、房総半島側に弟橘媛様の像があるのをネットで見つけたが、今回は時間が無く、気になったがまたの機会と見送った。

 

 

 

 


足摺の旅2

2009-07-09 21:07:20 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

白山洞門

臼バエ

臼バエ 竜神様

ウスバエ岬

 

足摺岬おとど会パンフレットより

翌日は、鳥のさえずりで気持ちよく目覚め、足摺岬の方を散策した。その日一日中、巨石を探して、足摺の山から、海岸まで駆けずり回り、こんなにワクワクして、楽しかった事はない。初めての事だ。

岬に近ずくほど自殺の名所らしく(田宮虎彦の原作の「足摺岬 」という映画が公開された頃は多かったという)エネルギーが良くないのか足が重くなってきた。私たちは、白山神社に駆け込んで、お参りしていたら、脛から足の裏にかけてビリビリしてきた。二人にそう言うと、「浄化しているのよ。」と言われた。

巨石のことについて、その頃あったジョン万ハウスの管理人さんを訪ねた。この半島は巨石だけでなく、日本で一番最初に黒潮が接岸する臼バエがあり、また足摺岬おおど会のパンフレットによると「年に2度、彼岸の中日(春分、秋分の日)とその前後3日間の1週間、臼バエの山頂に沈む太陽が、その直前に海蝕洞門(長さ約80m、巾約4m)の松尾地区側の『トオルマ』に入り足摺岬側の『サカマ』に抜けて海面を黄金色の一条の光で染める神秘的な現象が起きますが、その不思議な光景が見られる最適な場所が大戸」と 書いてあった。

上記の場所の説明や、まだ、見つかってない巨石、白山神社の御神体などがあるとの事でした。「風神アネモスがあるのであれば、雷神もあるのでは?」とお尋ねしたら、「たぶん、在るであろうけれども、まだ 見つかってません。」と言われ、何か唐人駄馬の山も人工ピラミッドではないか?沖から、見たら...。」確かに、足元は柔らかだった。沖からと言われたが何が見えるかは残念ながら覚えていない。

私達はお清め用の水とお神酒を買い求め、お昼用に、パイなどの腹持ちの良い菓子を買い、山中へ走った。白山神社の御神体であるいわくらをお清めして他の巨石を探した。残念ながら、写真を貰っていたが、見つからないのでこのブログに載せられない。

それから、ウスバエに行った。薄暗い林の中を出ると、急に視界が開け、五葉松の緑と薄茶色ノゴツゴツとした2色のコントラストが鮮やかで、私は、思わず立ち止まった。後日、小学生と中学生だった姪といった時、二人は「ロードオブリングの冒頭シーンみたいだ。!」と言った。

降りていった先に竜神様を祭っている神社があり、お清め後、二人は朗々と歌った。金龍と銀龍が昇ったそうだ。残念、私には見えない。

岩は自然の階段のようになっており、海面まで歩いていく事ができた。はるか昔、ここに黒潮に乗って、人々が上がったのであろうと思いを寄せた。

その後、風神アネモスの庭に行き、高い石の上で、しばらく休憩し、エネルギーを頂いた。その晩、広場で催し物があるので、人が多かった。

 夜は、広場で催された土佐琵琶と踊り、ゴスペルシンガーの歌を遅くまで楽しんだ。

翌日、四万十川沿いを走って岐路についた。

ノワタリさんたちとお別れして、私の住んでいる町外れまで来たとき、それまでと違ったエネルギーの粗さを感じ現実に戻った。

 

 

 


足摺の旅1

2009-07-08 19:34:54 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

 

 

2003年の7月の中旬、ノワタリさんとお友達と3人で、2泊3日の足摺の旅は始まった。今回だけでなく、ノワタリさんの旅はいつも彼女自身にもわからない予定外のサプライズが付いてくる。

生憎と、あまりお天気は良くなく、黒い雨雲が重く垂れ込めて、レンタカーで、唐人駄馬に着いたのは午後3時近くで、小雨がボツボツと降ったりやんだりしていた。私は、始めて見るストーンサークルと巨石群に私はとてもワクワクした。

私たちは遊歩道を上ったが、なんとなく下に比べて 、足元が柔らかい感じがしたたぶん落ち葉が積もって、腐葉土のようになっているくらいに思っていた。

この景色は、そこにある、平たい千畳敷岩から、とった物であるが、半月ほど前の夢に出てきた光景に良く似ていたので 大変びっくりした。

その夢は、白い壁の公共の建物のような感じ(図書館?)の中を歩いており、後ろから茶色の小型犬が、付いてきて「ぼく、空を飛びたいんだ。」と言っていた。そしてドアを開いた途端、私は飛んでいた。下にテラス見え、、左側はずっと山の緑が続き、真ん中に草原があり右側かぐるりと木々に囲まれている。とても綺麗で、気持ちが良い、見たことのない景色だったのが、この唐人駄馬だった。犬はどうしたのかと、後方を見上げると、犬は高砂の掛け軸に出てくるような尾っぽのある亀に変わっていた。

そんな亀は、吉兆だと思っていたが、この時、本当にそれを感じた。 

千畳敷岩の上で座って、その場の良いエネルギーを楽しみながら、こういう石組みを作るのは人間技ではなく、想像を絶する発達していた古代の文明、それとも異星人が作った物だろうかと、あれこれ話した。

下に下りると、数台の県外ナンバーの車やバイクが止めてあった。地元よりも他県から、探してくる人が多いみたいだった。

 唐人石

ノワタリさんは、何か腑に落ちないと言う表情で、 「以前行った場所と違うわ。喫茶店もあって、こんなに広くなくておじいちゃんとおばあちゃんが管理されてて綺麗な庭だった。」と言っていたが、それはまた翌日に行く、その先にある風神アネモスのところだった。

足摺での宿は、足摺テルメという国民宿舎で、露天風呂のある温泉宿で、広いテラスがあり、太平洋が見える素敵なお部屋だった。また、夢の中の建物は、この宿であったのには、驚いた。

夕飯にうつぼが調理されて出てきて、なかなかあっさりして、鳥のような食感で美味でしたが、模様がそのままなので、ノワタリさんは、食べれなかった。

その夜、ノワタリさんのお友達は、インドに瞑想の修行をされた方で、海外旅行に行くようなキャリーを持って来たと思ったら、ラジカセが入っており、「グォ~ン、グォ~ン」と鐘の音がするチベットの瞑想の音楽を掛けながら1時間、瞑想をしたり、明かりを消して屋外の自然を楽しんだりして遅くまで起きていた。

 

 


大三島

2009-07-04 01:00:18 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

 

 ノワタリさんから、意外に早く連絡が来た。5月の事だった。 残念ながら、平日の為、私は仕事があるので、大三島に行く前日しかご一緒できなかった。お友達と二人で来られ 松山に着くなり、中で「鶴姫様が出てこられ、お花が欲しい。」と言われたので、白い小菊の花束を用意されていた。 確かに、10年以上前に、大晦日に鶴姫様を主人公にした ドラマがあった事を思い出したが、誰が鶴姫様を演じたか、どんなストーリーだったかも思い出せない。ただ、星由里子がお母さん役で、戦乱の中で、鶴暇様が誕生した冒頭シーンしか思い出せない。

いくらなんでも、無理があり、星由里子の顔のアップはぼかしてあるが、顔中ピンク色だった。 それしか覚えていない。(鶴姫役は後藤久美子だった)二人にそう話すと、おなかを抱えて笑った。

「お仕事、お仕事。」とノワタリさんは言われ、松山市内の神社巡りをした。まず、最初に道後に行き、公園内の神社をお参りした。そこはこの公園が、お城であった時の河野氏が祭ってあった。やはり縁があるのだろう。村上水軍は河野氏の配下であった。湯神社、伊佐爾波神社、椿神社と市内を回った。

松山市内ではないが、昭和40年代までは社務所もあり、。キチンと、管理されていたが 今はもう宮司さんも居らず、荒れたいるが、元は 広くて立派な神社があり、そこへお二人を案内した。(数年前、友人がドライブした折、境内入って歩いていると、ザワザワとするので、怖くなって、私を誘いにきた。おまけにその周辺は空き家だらけで人気は無い。)舞台づくりで、風情のある境内なのだが、拝殿も雨漏りするらしく、ポリバケツが数個置いてあった。ノワタリさんは「ほって置かれた割にはそう悪くないわね。」と言って、お二人でデュエットして、お清めされた。

また、その上に10分余り上ると、奥宮があったが、そこは、お社も潰れてしまって、荒れ放題で、竹や、蔓や雑草に覆われていた。また、デュエットしてお清めされた。なんとなく、その場が、清々しくなったような気がした。 その翌日の午後、ノワタリさんたちは、大三島に行かれ夕日の落ちる頃、鶴姫様のお参りをされた。大山祇神社の宝物館にとても細い小さな姫様の鎧があり、姫様の想い伝わり、とても悲しかったという。鶴姫様も喜ばれただろう。

 その夜中、体を清めて、神社に行くと、ずっと灯篭に明かりが灯り、扉の前に行くと、スー静かにと開いたという。(ノワタリさんの旅はいつも日を指定される)そのは日は丁度お祭りだった。そして、大山祇神様は大変厳かで、暖かいエネルギーで、鎮守の神様らしく「この国を見守っている。」とおっしゃられたという。下は境内の樹齢2600年の御神木のクスノキです。

それからマーレグラッシア大三島という大変眺めの良い温泉に行かれて、岐路についたと言う。ノワタリさんの評判を聞いて、3回行ったが、遅かったり、満員だったりして、振られ続けている。やっと今年4度目で入れたが、その日は、窓を全部ダンボールで覆われていて、何にも見えず、穴ぐらだった。絶景は見れなかった。

お聞きしてから、時間も経ち、思い出しながら書いたので、違っていたらごめんなさい。写真はその時のものではありませんが、ノワタリさんの撮影した物です。


出会い

2009-07-01 20:32:48 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

 2003年3月末の事だった。背中の痛みを感じてから、5年近く経っていた。 四六時中とまではいかなくとも、まだ、それに悩んでいた時、金比羅さんで、ボイスヒーラーのノワタリさんと、出会った。 

 その痛みを和らげるためのエネルギー製品を手に入れるために入った会の2日間の特別講習会でのことだった。同じ四国であるのだからと軽い気持ちで参加した。 

 まず最初に金比羅さんにお参りということで私たちはあの石段を登り始めた。大多数の人達は会長の歩く速度で進んだが、私は数回しか講習会に参加した事も無く、知り合いもいなかった為、自分のペースで歩いた。ノワタリさんとお友達もずっと私と同じ速度だった。

 奥の院への道になると、他之参拝者もまばらでいなくなった。 とたん、鳥居の前ごとにノワタリさんはメロディを歌いだした。初めて見る光景で大変驚いた。朗々として軽やかであった。「あちらこちらの神社をお清めに回っている。」とおっしゃられたが、お馬鹿な私は『まー、奇特な人よ。 お掃除して回ってるんだわ。』と勝手に解釈していた。後で聞くと、私はとてもくら~い顔をして、ぽつんとして、その場のいくつかのグループにも溶け込めないような感じであったと聞いた。

 その夜、会長の神様の話は面白く、名物のうどんの由来、卑弥呼の話など、明け方まで続いた。

 翌日、講習会は午後まで無いので、午前中に善通寺へ案内した。

 善通寺の駐車場の裏山の神社を見て、「よんでいるわ。」とノワタリさんは又、わかんないことを言われた。売店で、ワンカップの清酒と水を数本買って、神社に行き、それらを蒔きながら、歌いだした。 昨日と違って「オウウウウ~、オウウウウ~。」と低いどすの利いた声であったが、しばらくするとだんだん声が明るくなってきて「ご祭神様の益々弥栄とご活躍をお祈りいたします。」とご挨拶をして終了した。

 「お参りした人達がお頼みしたりして、曇ったりしている神社とか、他の物が摩り替わって入っている神社に本来のパワーを戻すため、お清めするのよ。」と言われて、なんとなく意味がわかったが、 実際、ボイスヒーラーの人とお会いするのは初めてで、歌で浄化する有様を見ることは、珍しくて、興味深かった。

 さすがに香川県、看板もないビニールハウスのうどん屋があり、たくさんの人が並んでいるので面白半分で入ったら、寄せ集めの不揃いのテーブルと椅子が置いてあり、数種類のてんぷらを自分で取ってから支払うというものだった。麺はきちきちして とてもおいしく、値段も安く 3人合わせて、トッピング料金も入れて、千円掛からなかった。

 ノワタリさんは土産にうどんと、金陵という有名な地酒を買った。その酒造元の広い中庭にしめ縄が掛けてある楠木の御神木があり、また、軽やかな声で歌いだした。すると、木は風もないのに、歌の間、ヒラヒラと揺れて、葉を落として、答えた。「ここの楠木も立派だけど、大三島の大山祇神社の楠木も立派ですよ。」と、言うと、すかさず、「行きます。どこにあるんですか?案内してください。必ず行きます。」と張り切って言われたが、『えー!ほんとに御神木ぐらいで来るのー。』と実のところ驚いた。  

 その出会いが今日まで続くとはその時は、オモワナッカタ。また、そのエネルギー製品は用途が違っていた為、余り効果が無かった。これも後に教えられたが、背中の痛みは前世の袈裟懸けに切られた刀傷だった。

講習会を終えて、ノワタリさんと数人の人を駅まで送って、別れた。5人しか乗れない所6人乗っていたので、ひやひやものだったが、降ろして国道に出た途端、パトカーにすれ違った。ふ~っ