■薫大将と匂の宮/岡田鯱彦 2017.8.2
『ミステリ国の人々』(有栖川有栖)紹介の名作から、先ずは、この一冊を読んでみた。
『薫大将と匂の宮』 岡田鯱彦著
「ミステリ国の人々」の紹介文。
持ち帰って読んでみたら、びっくり。なんと紫式部が書いた『源氏物語』の後日談ではないか。しかも、未完に終わった宇治十帖の続きではなく、式部がどうして『源氏』を完成させられなかったのかの事情が綴られている。作中人物のモデルになった貴人らが血腥い事件に巻き込まれたために書けなくなってしまったのだという。......
人物関係をつぶさに説明したら長くなるから、かいつまんで書く。薫大将と匂の宮の間には、浮舟と中君という二人の女性を巡る確執があった。
ぼくは、予てより浮舟をめぐる薫大将と匂の宮の話が好きです。これは是非、読んでみたい。それで、この異色のミステリを早速読むことにしました。
薫の君は中宮のところへ祈祷にきた横川の僧都の話から浮舟の生きていたことを知って、あらためて僧都にあいに行く。しかるに、この時すでに浮舟は中将に迫られるのを苦痛に感じ、またわが身のつたない運命をはかなんで髪を切って出家してしまっている。
紫式部は、不吉な予感におののいた
その後のうわさによると、またまた匂の宮が近づいて行くらしいのである。宮もいよいよ決心して浮舟のために、京に邸をこしらえつつある。薫もかねてからの計画どおり、早く京の邸へ迎えようと急いでいる。ふたたびくりかえす二人の愚かしい恋のせり合い! 心のよるべなき浮舟という女は、ふたたび薫と匂とをまき込んで、宇治の流れのように荒ら荒らしい愛欲の渦巻に二人を誘いこもうとするのであろうか……
私は不吉な予感を感じた。不祥な事件がこの三人の未来に待っているように思われた。
ここまでの幾分、長い引用によって、浮き舟をめぐる「薫大将と匂の宮」の雰囲気をつかんでいただけたでしょうか。さらに話を進めると。
清少納言というお人は……
いったい、清少納言は私から見れば大先輩で、十歳も年上だし、宮中へ上がったのもそのくらい私より先んじている。私がまだ藤原宣孝の妻であったころ、彼女はもう宮中であの天才的な才知をひらめかして、公卿殿上人をあっといわせて得意になっていたのである。彼女はすぐれた同性として私の一つのあこがれの的であったと同時に、実はそのころから私にはうわさに聞いただけで虫の好かぬ対象であった。いわば、彼女はそのころからすでに私の好敵手であったのである。もっともそのころは、私は何人の目にもとまらぬ名もなき女で、彼女は当代の女流を代表する第一人者であったのだから、好敵手といっても、それは私の心の中でだけの話だったけれど……
私が二十五歳で寡婦になり、つれづれをまぎらすために宮中にはいって中宮にお仕え申すようになったころ、彼女の有名な『枕の草子』が出はじめて、清少納言の名はいやが上にも内裏の内外に鳴り響いていた。私は『枕の草子』にあらわれる鋭敏な感覚と、簡潔無比、なんとも言えないきびきびした文章とには、まったく頭のさがる思いがしたが、彼女がその頓才! をひけらかして男たちを手玉に取りながら、実は、男たちのいい嬲り者になっているのに気のつかない愚劣さをあざ笑わずにはいられなかった。
では、当の清少納言は、紫式部をどのように見ていたのか。
私はびっくりした。彼女は私の『日記』を示して苦々しげにこういうのだそうだ。
「これが女の困ったところですよ。私の『枕の草子』を見て下さい。ずいぶん男の悪口は書いてるけれど、同性の悪口は一ト言も書いちゃいません。女が女同志で悪く言うなんて、見っともないじやありませんか。すくなくとも宮仕えするほどの者の、なすべきことじやありますまい。私は紫式部の悪口なぞ一個所も書いておりませんよ。もっとも書くほど、私はあの人のことなぞ問題にしては、いないのだけれど……」
どうか目をあいて、現実を直視して下さい。現実は、あなたのあの古めかしい物語のように甘くはないのですよ。私はあなたが現実のきびしさにたえかねて宇治の物語の筆を絶ったことを、いかにもあなたらしいと思い、なるほどと感じました。あなたはきびしい現実にたえ、それにうち克って行く才知・胆力・勇気は、お持ちにならないからです。現実にうち克って行く能力は、一朝一タに得られる生やさしいものではないのです。あなたは賢明にもあなたの物語を中絶なさったように、このきびしい現実の事件にも、つまらぬ口出しはやめて手をひくのが、いっそう賢明な態度と申すものでしょうよ。
紫式部の反論は。
このうわさをある一部にだけは伝われかしと、私の心の中で望んでいなかったかと言い切れないところがある。それは言うまでもなく、あの清少納言だったのだ。この騒がしい評判は、彼女の聞き耳たてた早耳に達せぬはずはなかろう。私は彼女の先日の警告めいた挑戦状に、まだ返事もやらずにいたが、このうわさが彼女へのよい返事となるであろう。あのさかしらぶった才女が、あいた口がふさがらず、くやしがっているであろう姿が目に見えるようで、バカバカしい話だが、私は正直のところ、心の中では、おもしろくてしかたがなかったのである。
あなたは、紫式部が好きですか、それとも清少納言ですか。
二人のうち、どちらかを選べと言われれば、ぼくは、清少納言です。
しかし、この物語で描かれた清少納言の晩年の姿は、.........
「薫大将と匂の宮」は、1993年6月に出版された作品です。
『 薫大将と匂の宮/岡田鯱彦/国書刊行会 』
『ミステリ国の人々』(有栖川有栖)紹介の名作から、先ずは、この一冊を読んでみた。
『薫大将と匂の宮』 岡田鯱彦著
「ミステリ国の人々」の紹介文。
持ち帰って読んでみたら、びっくり。なんと紫式部が書いた『源氏物語』の後日談ではないか。しかも、未完に終わった宇治十帖の続きではなく、式部がどうして『源氏』を完成させられなかったのかの事情が綴られている。作中人物のモデルになった貴人らが血腥い事件に巻き込まれたために書けなくなってしまったのだという。......
人物関係をつぶさに説明したら長くなるから、かいつまんで書く。薫大将と匂の宮の間には、浮舟と中君という二人の女性を巡る確執があった。
ぼくは、予てより浮舟をめぐる薫大将と匂の宮の話が好きです。これは是非、読んでみたい。それで、この異色のミステリを早速読むことにしました。
薫の君は中宮のところへ祈祷にきた横川の僧都の話から浮舟の生きていたことを知って、あらためて僧都にあいに行く。しかるに、この時すでに浮舟は中将に迫られるのを苦痛に感じ、またわが身のつたない運命をはかなんで髪を切って出家してしまっている。
紫式部は、不吉な予感におののいた
その後のうわさによると、またまた匂の宮が近づいて行くらしいのである。宮もいよいよ決心して浮舟のために、京に邸をこしらえつつある。薫もかねてからの計画どおり、早く京の邸へ迎えようと急いでいる。ふたたびくりかえす二人の愚かしい恋のせり合い! 心のよるべなき浮舟という女は、ふたたび薫と匂とをまき込んで、宇治の流れのように荒ら荒らしい愛欲の渦巻に二人を誘いこもうとするのであろうか……
私は不吉な予感を感じた。不祥な事件がこの三人の未来に待っているように思われた。
ここまでの幾分、長い引用によって、浮き舟をめぐる「薫大将と匂の宮」の雰囲気をつかんでいただけたでしょうか。さらに話を進めると。
清少納言というお人は……
いったい、清少納言は私から見れば大先輩で、十歳も年上だし、宮中へ上がったのもそのくらい私より先んじている。私がまだ藤原宣孝の妻であったころ、彼女はもう宮中であの天才的な才知をひらめかして、公卿殿上人をあっといわせて得意になっていたのである。彼女はすぐれた同性として私の一つのあこがれの的であったと同時に、実はそのころから私にはうわさに聞いただけで虫の好かぬ対象であった。いわば、彼女はそのころからすでに私の好敵手であったのである。もっともそのころは、私は何人の目にもとまらぬ名もなき女で、彼女は当代の女流を代表する第一人者であったのだから、好敵手といっても、それは私の心の中でだけの話だったけれど……
私が二十五歳で寡婦になり、つれづれをまぎらすために宮中にはいって中宮にお仕え申すようになったころ、彼女の有名な『枕の草子』が出はじめて、清少納言の名はいやが上にも内裏の内外に鳴り響いていた。私は『枕の草子』にあらわれる鋭敏な感覚と、簡潔無比、なんとも言えないきびきびした文章とには、まったく頭のさがる思いがしたが、彼女がその頓才! をひけらかして男たちを手玉に取りながら、実は、男たちのいい嬲り者になっているのに気のつかない愚劣さをあざ笑わずにはいられなかった。
では、当の清少納言は、紫式部をどのように見ていたのか。
私はびっくりした。彼女は私の『日記』を示して苦々しげにこういうのだそうだ。
「これが女の困ったところですよ。私の『枕の草子』を見て下さい。ずいぶん男の悪口は書いてるけれど、同性の悪口は一ト言も書いちゃいません。女が女同志で悪く言うなんて、見っともないじやありませんか。すくなくとも宮仕えするほどの者の、なすべきことじやありますまい。私は紫式部の悪口なぞ一個所も書いておりませんよ。もっとも書くほど、私はあの人のことなぞ問題にしては、いないのだけれど……」
どうか目をあいて、現実を直視して下さい。現実は、あなたのあの古めかしい物語のように甘くはないのですよ。私はあなたが現実のきびしさにたえかねて宇治の物語の筆を絶ったことを、いかにもあなたらしいと思い、なるほどと感じました。あなたはきびしい現実にたえ、それにうち克って行く才知・胆力・勇気は、お持ちにならないからです。現実にうち克って行く能力は、一朝一タに得られる生やさしいものではないのです。あなたは賢明にもあなたの物語を中絶なさったように、このきびしい現実の事件にも、つまらぬ口出しはやめて手をひくのが、いっそう賢明な態度と申すものでしょうよ。
紫式部の反論は。
このうわさをある一部にだけは伝われかしと、私の心の中で望んでいなかったかと言い切れないところがある。それは言うまでもなく、あの清少納言だったのだ。この騒がしい評判は、彼女の聞き耳たてた早耳に達せぬはずはなかろう。私は彼女の先日の警告めいた挑戦状に、まだ返事もやらずにいたが、このうわさが彼女へのよい返事となるであろう。あのさかしらぶった才女が、あいた口がふさがらず、くやしがっているであろう姿が目に見えるようで、バカバカしい話だが、私は正直のところ、心の中では、おもしろくてしかたがなかったのである。
あなたは、紫式部が好きですか、それとも清少納言ですか。
二人のうち、どちらかを選べと言われれば、ぼくは、清少納言です。
しかし、この物語で描かれた清少納言の晩年の姿は、.........
「薫大将と匂の宮」は、1993年6月に出版された作品です。
『 薫大将と匂の宮/岡田鯱彦/国書刊行会 』