■ブラックバード/マイケル・フィーゲル 2020.10.12
『ブラックバード』 を読みました。
ぼくには、理解できない、よく分からないミステリでした。
彼女を見たのは、どこにでもあるようなありふれたバーガーショップの列に並んでいるときだ。
グループのなかで二番めに背が小さく、たぶん八歳くらい、くすんだブルーグレーの瞳----頑固さと、怯えと、悲しみをたたえた目
おれに連れ去られるとき、彼女はそのコインを取り落とす。
八つのとき、わたしはバーガーショップから連れ去られた。
わたしをさらった男がそんなことをした理由は、どうやら自分のバーガーにマヨネーズがはいっていたことらしい。だからわたしは、自由意思も定められた運命も、どちらも信じない。
わたしが信じるのは調味料だ。
“背はそんなに高くないな”というのが彼の第一印象だった。
彼は通りで目につくような人じゃない。地下鉄でも、ファストフードの列にいても、彼は誰でもない。もちろん、それこそが彼の彼たる所以なのだ。
自分の人生を完全にコントロールしているという人たちがいる。自分は現在と未来を変える力を持っていると。人生のメニューから小さな選択を積み重ねることで、いまの自分や将来なりたい自分の物語をゆっくりと組み立てていくのだと。
連れ去られた少女の名は、クリスチャン。
彼とは、殺し屋、エディソン・ノース。
おれは黙って彼女を見つめ、そしてまた考えるだろう。そもそもなぜ彼女をさらってきたのかと、彼女がいずれひとりになる運命だとわかっていたのなら、なぜそのままひとりにしておかなかったのかと。たぶん、同じ質問を形を変えて問い続ければ、いずれ最終的な答えは出るだろう。
もしそうでなかったら? そのときはこう言おう----ひととき、おれはクリスチャンという名の少女とともに歩み、彼女はおれとともに歩んだ。だからおれたちは孤独ではなかった。
大事なのはそのことだった。
日記をつける連中がいる。・・・・・・
おれの場合は年代記のような日記だ。
おれにはマイクロソフトの<ワード>がインストールされた頼りになるノートパソコンがあり、それで充分に事足りる。おもしろいこと、覚えておく価値のあること、特筆すべきことなどを列記する。そのときどきにこれは大事だと思えるようなことを。
誰にあてたものか、正直よくわからない。自分、だろうか。ひょっとしたら、自分でもまだ気づいていないもうひとりのおれ、まだ認める気になれない将来のおれか。そのおれは、忘れてしまわないよう覚えておきたいと思い始めている。
近頃は書くこともあまりなかった。・・・・・・することもない、話すこともない、そんな時間があれほど長く続いたことが----こうして書きながら----とても信じられない気がする。何年もだ。ところがいま、気がつくとおれは突如として幼い少女のことで頭をかかえている。
なぜだ? 現時点ではっきり言えるのはこういうことだ。----いまのおれは書くことが山のようにある。
そして、あのバーガーショップのすぐそばにあった道路標識のことをふっと思い出す。
<N・EDISON>
「エディソン・ノース」手探りするような口調で、彼は言う。「おれの名前は、エディソン・ノース」
それが彼だった。
わたしにとっては。
“なんでおれは子どもなんかさらってきてしまったんだ?”と自問し続ける殺し屋。
“逃げるチャンスがあったのになんであたしは逃げなかったの?”と自問し続ける少女。
ぼくにも二人のことがさっぱり理解できない。読んでも分からなかった。
派手なバイオレンスクライム小説で、殺し屋と少女の逃避行物語。
ちょっと切ない変形ラブストーリでもあります。
彼は、大量殺人、放火など人を殺すことを屁とも思わないテロリスト。なのに、クリスチャンには妙にこだわる。
『 ブラックバード/マイケル・フィーゲル/高橋恭美子訳/ハーパーBOOKS 』
『ブラックバード』 を読みました。
ぼくには、理解できない、よく分からないミステリでした。
彼女を見たのは、どこにでもあるようなありふれたバーガーショップの列に並んでいるときだ。
グループのなかで二番めに背が小さく、たぶん八歳くらい、くすんだブルーグレーの瞳----頑固さと、怯えと、悲しみをたたえた目
おれに連れ去られるとき、彼女はそのコインを取り落とす。
八つのとき、わたしはバーガーショップから連れ去られた。
わたしをさらった男がそんなことをした理由は、どうやら自分のバーガーにマヨネーズがはいっていたことらしい。だからわたしは、自由意思も定められた運命も、どちらも信じない。
わたしが信じるのは調味料だ。
“背はそんなに高くないな”というのが彼の第一印象だった。
彼は通りで目につくような人じゃない。地下鉄でも、ファストフードの列にいても、彼は誰でもない。もちろん、それこそが彼の彼たる所以なのだ。
自分の人生を完全にコントロールしているという人たちがいる。自分は現在と未来を変える力を持っていると。人生のメニューから小さな選択を積み重ねることで、いまの自分や将来なりたい自分の物語をゆっくりと組み立てていくのだと。
連れ去られた少女の名は、クリスチャン。
彼とは、殺し屋、エディソン・ノース。
おれは黙って彼女を見つめ、そしてまた考えるだろう。そもそもなぜ彼女をさらってきたのかと、彼女がいずれひとりになる運命だとわかっていたのなら、なぜそのままひとりにしておかなかったのかと。たぶん、同じ質問を形を変えて問い続ければ、いずれ最終的な答えは出るだろう。
もしそうでなかったら? そのときはこう言おう----ひととき、おれはクリスチャンという名の少女とともに歩み、彼女はおれとともに歩んだ。だからおれたちは孤独ではなかった。
大事なのはそのことだった。
日記をつける連中がいる。・・・・・・
おれの場合は年代記のような日記だ。
おれにはマイクロソフトの<ワード>がインストールされた頼りになるノートパソコンがあり、それで充分に事足りる。おもしろいこと、覚えておく価値のあること、特筆すべきことなどを列記する。そのときどきにこれは大事だと思えるようなことを。
誰にあてたものか、正直よくわからない。自分、だろうか。ひょっとしたら、自分でもまだ気づいていないもうひとりのおれ、まだ認める気になれない将来のおれか。そのおれは、忘れてしまわないよう覚えておきたいと思い始めている。
近頃は書くこともあまりなかった。・・・・・・することもない、話すこともない、そんな時間があれほど長く続いたことが----こうして書きながら----とても信じられない気がする。何年もだ。ところがいま、気がつくとおれは突如として幼い少女のことで頭をかかえている。
なぜだ? 現時点ではっきり言えるのはこういうことだ。----いまのおれは書くことが山のようにある。
そして、あのバーガーショップのすぐそばにあった道路標識のことをふっと思い出す。
<N・EDISON>
「エディソン・ノース」手探りするような口調で、彼は言う。「おれの名前は、エディソン・ノース」
それが彼だった。
わたしにとっては。
“なんでおれは子どもなんかさらってきてしまったんだ?”と自問し続ける殺し屋。
“逃げるチャンスがあったのになんであたしは逃げなかったの?”と自問し続ける少女。
ぼくにも二人のことがさっぱり理解できない。読んでも分からなかった。
派手なバイオレンスクライム小説で、殺し屋と少女の逃避行物語。
ちょっと切ない変形ラブストーリでもあります。
彼は、大量殺人、放火など人を殺すことを屁とも思わないテロリスト。なのに、クリスチャンには妙にこだわる。
『 ブラックバード/マイケル・フィーゲル/高橋恭美子訳/ハーパーBOOKS 』