■嗤う猿/J・D・バーカー 2020.12.14
殺してから蘇生させる。神を演じているのか?
「訳者あとがき」の「本書の魅力を語る評」は、このミステリを実によく表している。
ずば抜けた完成度を持つ作品。複雑なストーリーだが、ぐいぐい引き込まれる。登場人物が実に巧みに描かれ、会話はなめらかで、エンディングは----まるで全速力で走る列車がいきなり山の側面にぶちあたるように、意外かつ衝撃だ。 ---- ブックリスト
『嗤う猿』の筋書きを、分かりやすく書きなさい。という課題が出されたら、ぼくは困ってしまう。
本当に面白いミステリなのですが、分かりやすく紹介するのは難しい。
言っていること、読んでもらえばよく分かっていただけると思うのですが。
書評も確認してみました。
登場人物の多さ、話の複雑さ、めまぐるしい展開などが語られるも、面白いという評価でした。
意外なエンディングには、みなさんビックリ。
「“神になりたければ、まず悪魔を知れ”」ナッシュはボードの一説を読んだ。「ビショップがこの子どもたちを使ってしているのは、そういうことか? 殺してから蘇生させる。神を演じているのか?」
人間にとって自己防衛と不安はもっとも強い本能だ。だが恐ろしいことに、この犯人はそのどちらも持っていないようだった。
「雪だるまを作ったり、ちょうどいい具合に死体を立たせ、何時間もかけて雪と氷で覆ったり、取り立て屋にしては回りくどすぎる。あそこまでしたのは、なんらかのメッセージを送るためじゃないかしら」
「それに捕まるのも恐れていないわね。しばらく姿をさらしていたはずだもの」
クレアはうなずいた。「何も失うものがない人間は恐れも後悔もしない。ただ行動するだけ。だとすると、犯人はすごく危険なやつね」
四猿の被害者が殺された現場は、これまでひとつとして発見されていなかった。ビショップは常に、“発見されたい場所”に死体を残した。殺害場所で死体が見つかったことは一度もない。
ナッシュはポーターの肩をぎゅっとつかんだ。
「ちゃんと進めるようになるさ。そのときが来れば、自然とそうなる。急ぐ必要はないよ。ただ俺たちがいるってことを心の片隅に置いといてくれ。必要なら、いつでも、どんなことでも頼っていいんだぞ」
「思い切って引っ越したらどうだ? 新しい場所で、新しく出発するんだ」
ポーターは昔を思い返した。長いトンネルの向こうにぼんやりと見える記憶が頭の隅をくすぐる。「何もかもはるか昔の出来事のように思えることもあるが、つい昨日の出来事のようにあざやかによみがえることもあるな」
「その違いは記憶の種類が決めるらしいわ」
「どういう意味だい?」
サラはため息をついた。「大学時代の心理学の教科書によると、脳は幸せな記憶を最近の活動とみなすの。でも、恐ろしい記憶は遠くに押しやる。ときには忘れたり、完全にブロックしてしまう。なんらかの防衛メカニズムね。よい記憶、新しい記憶だけで自分を取り巻き、いやな記憶は遠ざける。」
「弁護のほかに精神分析もやるとは知らなかった。その机に横になって診てもらうべきかな。ドクター」
ふいにリビー・マッキンリーの家とそこで見つけたものが頭に浮かび、口のなかを苦い味が満たした。忘れてしまいたいのに、陰惨な光景ほど脳は鮮明に覚えておきたがる。
「家庭教師のバロウさんにも何度か訊かれたのよ。自分が聞きたいからじゃなく、話したほうが楽になるから、って。だけど、どうしても話せないの。だって細かいことを話して、ほかの人まで苦しめて何になるの? あれはあたしの悪夢だった。ほかの人まで苦しむ必要はないわ」
子どもの目を通して見た世界は、大人の目で見た世界とはだいぶ違う。
人の筆跡は年月の経過、その人が歳をとるにつれて進化する。
子どもの筆跡には、常に柔軟性というか、ためらいがある。
実際にそれが紙に書かれる前に、まず脳がその文字や言葉がどういう形かを思い出すからだ。だが大きくなるとそのためらいが消え、脳の記憶より潜在意識から引きだす部分が多くなる。子どもが書く文字はたとえへたくそに見えても、通常は丹念に考え抜かれ、ゆっくり書かれたものなのだ。大人はじっくり思い出す手間をかけずに急いで書く。プールはクアンティコで筆跡分析コースを取った。筆跡で常に注目を集めたのは子どもと大人の書き方の違いだった。
日記で使われている言い回し、言葉の選択、流れ、それはまさしく子どものものだった。だが、筆跡自体は大人のものだった。ビショップが最近書いたものとこの日記を比べれば、この事実が証明されるはずだ。ビショップはこれを最近書いたのだ。
シカゴの秋の空はほとんどの場合灰色だが、娘がこの自転車に乗っていたのは幸せなころだった。幸せには青い空が相応しい。
『 嗤う猿/J・D・バーカー/富永和子訳/ハーパーBOOKS 』
殺してから蘇生させる。神を演じているのか?
「訳者あとがき」の「本書の魅力を語る評」は、このミステリを実によく表している。
ずば抜けた完成度を持つ作品。複雑なストーリーだが、ぐいぐい引き込まれる。登場人物が実に巧みに描かれ、会話はなめらかで、エンディングは----まるで全速力で走る列車がいきなり山の側面にぶちあたるように、意外かつ衝撃だ。 ---- ブックリスト
『嗤う猿』の筋書きを、分かりやすく書きなさい。という課題が出されたら、ぼくは困ってしまう。
本当に面白いミステリなのですが、分かりやすく紹介するのは難しい。
言っていること、読んでもらえばよく分かっていただけると思うのですが。
書評も確認してみました。
登場人物の多さ、話の複雑さ、めまぐるしい展開などが語られるも、面白いという評価でした。
意外なエンディングには、みなさんビックリ。
「“神になりたければ、まず悪魔を知れ”」ナッシュはボードの一説を読んだ。「ビショップがこの子どもたちを使ってしているのは、そういうことか? 殺してから蘇生させる。神を演じているのか?」
人間にとって自己防衛と不安はもっとも強い本能だ。だが恐ろしいことに、この犯人はそのどちらも持っていないようだった。
「雪だるまを作ったり、ちょうどいい具合に死体を立たせ、何時間もかけて雪と氷で覆ったり、取り立て屋にしては回りくどすぎる。あそこまでしたのは、なんらかのメッセージを送るためじゃないかしら」
「それに捕まるのも恐れていないわね。しばらく姿をさらしていたはずだもの」
クレアはうなずいた。「何も失うものがない人間は恐れも後悔もしない。ただ行動するだけ。だとすると、犯人はすごく危険なやつね」
四猿の被害者が殺された現場は、これまでひとつとして発見されていなかった。ビショップは常に、“発見されたい場所”に死体を残した。殺害場所で死体が見つかったことは一度もない。
ナッシュはポーターの肩をぎゅっとつかんだ。
「ちゃんと進めるようになるさ。そのときが来れば、自然とそうなる。急ぐ必要はないよ。ただ俺たちがいるってことを心の片隅に置いといてくれ。必要なら、いつでも、どんなことでも頼っていいんだぞ」
「思い切って引っ越したらどうだ? 新しい場所で、新しく出発するんだ」
ポーターは昔を思い返した。長いトンネルの向こうにぼんやりと見える記憶が頭の隅をくすぐる。「何もかもはるか昔の出来事のように思えることもあるが、つい昨日の出来事のようにあざやかによみがえることもあるな」
「その違いは記憶の種類が決めるらしいわ」
「どういう意味だい?」
サラはため息をついた。「大学時代の心理学の教科書によると、脳は幸せな記憶を最近の活動とみなすの。でも、恐ろしい記憶は遠くに押しやる。ときには忘れたり、完全にブロックしてしまう。なんらかの防衛メカニズムね。よい記憶、新しい記憶だけで自分を取り巻き、いやな記憶は遠ざける。」
「弁護のほかに精神分析もやるとは知らなかった。その机に横になって診てもらうべきかな。ドクター」
ふいにリビー・マッキンリーの家とそこで見つけたものが頭に浮かび、口のなかを苦い味が満たした。忘れてしまいたいのに、陰惨な光景ほど脳は鮮明に覚えておきたがる。
「家庭教師のバロウさんにも何度か訊かれたのよ。自分が聞きたいからじゃなく、話したほうが楽になるから、って。だけど、どうしても話せないの。だって細かいことを話して、ほかの人まで苦しめて何になるの? あれはあたしの悪夢だった。ほかの人まで苦しむ必要はないわ」
子どもの目を通して見た世界は、大人の目で見た世界とはだいぶ違う。
人の筆跡は年月の経過、その人が歳をとるにつれて進化する。
子どもの筆跡には、常に柔軟性というか、ためらいがある。
実際にそれが紙に書かれる前に、まず脳がその文字や言葉がどういう形かを思い出すからだ。だが大きくなるとそのためらいが消え、脳の記憶より潜在意識から引きだす部分が多くなる。子どもが書く文字はたとえへたくそに見えても、通常は丹念に考え抜かれ、ゆっくり書かれたものなのだ。大人はじっくり思い出す手間をかけずに急いで書く。プールはクアンティコで筆跡分析コースを取った。筆跡で常に注目を集めたのは子どもと大人の書き方の違いだった。
日記で使われている言い回し、言葉の選択、流れ、それはまさしく子どものものだった。だが、筆跡自体は大人のものだった。ビショップが最近書いたものとこの日記を比べれば、この事実が証明されるはずだ。ビショップはこれを最近書いたのだ。
シカゴの秋の空はほとんどの場合灰色だが、娘がこの自転車に乗っていたのは幸せなころだった。幸せには青い空が相応しい。
『 嗤う猿/J・D・バーカー/富永和子訳/ハーパーBOOKS 』