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同志少女よ、敵を撃て 戦後、狙撃兵はどのように生きるべき存在でしょうか

2022年02月07日 | もう一冊読んでみた
同志少女よ、敵を撃て/逢坂冬馬 2022.2.7

逢坂冬馬の 『 同志少女よ、敵を撃て 』 を読みました。

戦争小説は、余り好きではないが最後まで読み切りました。
登場人物が、次々、死んでゆく切なさがたまらなく嫌だ。

 「だからよくなって、ユリアン」
 「ありがとう、同志少女、セラフィマ・・・・・・」
 ユリアンは目を閉じた。
 「丘の上に立ったら、その向こうを見てくれ」
 その言葉が最後だった。ユリアンはふーっと息を長く吐き、二度と吸うことはなかった。
 「ユリアン!」
 床に座っていたマクシム隊長が、彼の腕を引いて抱きかかえた。
 親子のように過ごした二人。マクシム隊長は涙を流していた。
 ......死に際に、彼の知る誰かは助かったのだという幻想を与えたかった。
 だが、もの言わぬ屍となったユリアンを前に、そのむなしさを知った。
 死に際に安らぎを与えて救われるのは、生きている自分であって彼ではなかった。
 丘の上に立とう。
 そう心に刻んだ。ユリアンが行けなかった場所、立てなかったところへ。


1924年生まれの少女、セラフィマ。狙撃訓練学校教官のイリーナに見出され、彼女と同様に見出された同じ境遇の少女たちとともに狙撃兵として特訓を受け、戦場に送り出される。そんな物語。
待ち受けていたのは地獄。戦場は、地獄だった。
地獄では、天使に遭い、戦友の死を身をもって体験する。狙撃兵として技術を磨き、敵を殺し、人間として成長する。

 「やめてください。思い出とともに死なせてください」
 「どのみちその後にすべてを壊す。いいか、死者は存在しない。そしてお前が死ねば思い出とやらも消えてなくなる。どのみちこの家には、さしたるものもないだろう」


 「お前は戦うのか、死ぬのか!」
 「殺す!」
 這いつくばったまま、セラフィマは答えた。


 イワノフスカヤ村の人々が殺されたあの日、母は確かに敵を捉えていた。けれど、撃つことはできなかった。できるはずもない。人を殺すことなど考えたこともない漁師だ。
 兵士と漁師を分かつものは、敵を殺すという明確な意志を持つか否かにある。
 「殺せ・・・・・・」
 口にした途端、その言葉は内面かされていった。


 個々の兵士にはその兵科に特化した精神性の持ち主が必要とされるし、望むと望まざるとにかかわらず、戦火の選別を経て生き残った兵士たちの精神は、兵科に最適化されてゆく。もし歩兵に求められる精神性で狙撃兵になれば一日であの世行きであるし、狙撃兵の精神性で歩兵になれば戦いに行くこと自体がままならない。
 故に、生き残った歩兵は大胆で粗野に、狙撃兵は冷静で陰気になってゆく。
 以上の、職能によって求められる精神性自体が水と油の如く相性の悪いものであり、実際にはこれに兵科同士の派閥争い、自らの兵科以外を見くだす普遍的な傾向が加わる。
 最も仲が悪い場合、歩兵から見た狙撃兵とは自分たちを前面に出して距離を置いて敵を撃つ陰気な殺し屋集団であり、狙撃兵から見た歩兵とは、狙撃兵の損耗率が歩兵より高いという事実を無視して自分たちを蔑視し乱暴な戦闘技術で粗暴に振る舞う未開の野蛮人だ。


それでも、何時の日か戦争は終わる。

 「戦後、狙撃兵はどのように生きるべき存在でしょうか

戦後、セラフィマとイリーナは如何に生き抜いたのか。

  『 同志少女よ、敵を撃て/逢坂冬馬/早川書房 』



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