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半席/青山文平

2017年02月04日 | もう一冊読んでみた
半席   2017.2.4

『2017年版 このミステリーがすごい』 国内編第4位 『半席』 を読みました。

物語は、この言葉につきると思います。

 なぜ、その事件が起きなきゃなんなかったのかを、解き明かして欲しいのさ

それにしても、半席とは、聞き慣れない言葉ですね。

 当人のみならず、その子も旗本と認められる永永御目見(えいえいおめみえ)以上の家になるには、少なくとも二つのお役目に就く必要がある。これを果たせなければ、その家は一代御目見の半席となる。

 元々は御家人だった家が旗本の家となるためには、当主が一度、御目見以上のお役目に就くだけでは足りない。二度、拝命しない限り、一代御目見の半席となる。二度の御目見以上、父子二代にかけて成し遂げてもよいことになっている。


 近世の御家人(Wikipediaより)
 御家人は知行が1万石未満の徳川将軍家の直参家臣団(直臣)のうち、特に御目見以下(将軍に直接謁見できない)の家格に位置付けられた者を指す用語となった。
 御家人に対して、御目見以上の家格の直参を旗本という。


『半席』は、6編からなる短編集です。
どこから読んでも、かまわないでしょうから、まず「蓼を喰う」を最初に読まれることを、ぼくはお薦めします。
この小説全体の見通しが良くなります。

主人公の片岡直人は、徒目付。
一代御目見の半席から、永永御目見に、はやく出世したい御用に励む、上昇志向の強い若者。

 「この前、御用をお請けしたとき、なんでそれがしなのかと尋ねたら、爺殺しだから、と言われましたね。年寄りは、青くて、硬くて、不器用な若いのが大好きで、それで口を割る、と」

直人を取り巻く、内藤雅之と沢田源内は、ゆったりと人生を味わいながら生きている。

 徒目付組頭の内藤雅之
 雅之が振ってくる頼まれ御用は、表の御用とは比べるべくもないほど人臭い。

 系図屋 沢田源内
 「沢田源内殿と申されるか」
 「凌ぎの上での名だ。百年よりずっと前の、いんちき系図づくりの元祖でな。」

 商う三十がらみの浪人がまたやくざな家業にもわるびれることなく、いつもにこにことしていて、どこかしら雅之に似ている。酷い暑さにも、不意の雨にも変わることのない笑顔を認めると、どんな場処にも彼岸はあるのだと思えてきて、そこを通りかかるときは、つい露天を目で追ってしまう。


 すべての御用を監察する目付の耳目となって、徒目付は動く。

読者は、徒目付直人と一緒に江戸の町を駆け巡る。
時には、多町の七五屋で「旬の魚」に舌鼓を打ち、雅之と直人と猪口を満たした錯覚で笑顔となる。

 「旨いもんじゃなきゃいけねえなんてことはさらさらねえが、旨いもんを喰やあ人間知らずに笑顔になる」というのが雅之の口癖だ。

江戸文化が好きで、旨いものには目がないぼくには、この『半席』、充分楽しめた。

こんな文章に出会えば、はっとして自戒しなくてはねえ、ご同輩。

 齢を喰ってみて初めて、人がどう転ぶかは、あらかた運であることに気づくそうだ。

 おまえの親父は好漢ではあったが、考え足らずだった。なにも考えずにものを言うから、言葉が勝手に毒を持つ。ずいぶんと、おまえの親父の毒にはつきあわされた。


気になったので調べてみた。

御徒町の由来(Wikipediaより)
 江戸時代、江戸城や将軍の護衛を行う下級武士、つまり騎乗が許可されない武士である御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来する。
 御徒町周辺に於いては長屋に住み禄(現在の給与)だけでは家計を賄い切れず内職をし生活していた下級武士を指す 。


     『 半席/青山文平/新潮社 』


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