■指差す標識の事例 上/イーアン・ペアーズ 2021.2.22
『指差す標識の事例 上』 は、この物語を構成する四つの手記のうちの二つが語られます。
解説には、「衝撃的な結末の第一の手記に続き、同じ事件を別の人物が語る第二の手記では、物語は全く異なる様相を呈していく」とありました。
第一の手記は、医学を学ぶヴェネツィア人マルコ・ダ・コーラがしたためたものです。
この第一の手記をオックスフォード大学トリニティ・カレッジの法学徒ジャック・プレストコットが、訂正補足したものが第二の手記です。
この二つの手記は、別々の訳者によって語られます。
これも面白い試みだと感じました。
ひとつの事実が、見る人によって全く異なる様相に映る。このことが、二つの手記では見事に表現されています。
ぼくが読みながら感じたことは、人の評価などもあながちこれと同様の事が起こりうるだろうなあ、ということです。
この手記でも、力もあり上昇志向旺盛でありながら、何故か、順調に立身出世が出来なかった医師のリチャード・ローワーのことが語られていました。理由はわからないが、彼は、そんな人生を送らざるを得ませんでした。
下巻は、次の二人の手記です。
ジョン・ウォリス オックスフォード大学の幾何学教授
アントニー・ウッド 歴史学者
さて、続く二つの手記では何が語られるのでしょうか。楽しみです。
2021年版 このミステリーがすごい! 海外編3位
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/34/35c31afcc4dce6df6c668fcc55982e64.png)
第一の手記
事務所にディ・ピエトロの姿はなく、あの悪党、ジョン・マンストンは、私に門前払いをくらわせたのだ。マンストンはすでにこの世にない。その魂よ安かれ、と祈る気持ちはあるものの、私の本意を察した情け深い神が、当然の報いとして長いあいだあの男を業火で焼いてくださるとしたら、それに越したことはないと思っている。
ロンドンの季候は、どんな強い男にも惨めな絶望をもたらす。晴れることのない霧と、小止みなく降りつづいて人を衰弊させる小糠雨と、薄地の外套を吹き抜ける風の、骨身に染みとおるような寒さとで、私はすっかり参ってしまった。
ここで私は少し横道にそれて、オナラブル・ロバート・ボイルのことを書いておきたい。この数百年のあいだに生を受けたどの学者よりも多くの賞賛と名誉に包まれている人物、それがボイルである。最初に気がついたのは、思いがけない若さだった。その名声を考えても、五十は過ぎているに違いないと予想していたが、実際には私より少し上といった程度の年配ではないかと思われた。長身痩躯で、あまり健康ではないらしく、顔色は悪い。細面の顔の口もとには不思議な色気かあり、椅子にすわっている姿は物静かで、いかにも無理がなく、一目で高貴な育ちだとわかった。だが、それほど好人物には見えず、むしろ偉そうに構えているような印象を受けた。自分が人よりも優れているのを充分に承知していて、他人にも分際をわきまえることを要求しているようなところがある。あとでわかったことだが、それはボイルの一面にすぎず、衿持が高い分、寛容の精神も備えていたし、傲慢に見合うだけの謙虚さや、氏育ちに負けない敬神の心、厳しさに匹敵する思いやりも持ち合わせていたのである。
とにかく、近づく際にはくれぐれも気をつけなければならない。実利さえあればどんな嫌な人間とも付き合ってくれるだろうが、山師や馬鹿の相手をするほど我慢強くはないだろう。短いあいだではあったが、この人物と親しく付き合えたことを、私は一生にそう何度もない誉れであったと考えている。他人の悪意によってその交際が絶たれてしまったことは、まさしく痛恨の極みである。
ボイルはいった。「ローワー、ちょっと聞いてくれ。シルヴィウスによると、きみの友だちは、癇性で、議論好きで、権威を疑う傾向があるそうだ。身の程知らずで、興味のあることに対しては食いついてはなれない」
弁明しようとした私を、ローワーが手振りで黙らせた。「ヴェネツィアの豪商の一族か」と、ボイルは続けた。「じゃあ、ローマ・カトリックの信者だな」
万事休す、と思った。
「血を好むこと鬼畜の如し、とも書いてある」私を無視して、ボイルはさらに読み続けた。
「バケツに溜めた血を始終もてあそんでいる。ただし、刃物の扱いは上手で、標本のデッサンもうまい。なるほどね」
わたしはシルヴィウスを恨んだ。実験をしていたのに、もてあそんでいるとはどういうむことか。怒りで体が熱くなるのを覚えた。
ローワーは機嫌を直し、また以前のように気さくな態度を取り始めた。いずれにしても、一瞬ながら、私はローワーの裏の顔を覗いたことになる。表向きはものにこだわらない陽気な人物であるかのように装っているが、実は結構自負心が強く、怒りっぽいところもあるらしい。しかし、その暗い面は、現れるのも早ければ、消えるのも早かった。ローワーの心をとらえることができたと思って、私は度が過ぎるくらいの喜びを感じた。
ヴェネツィア人はイングランドの天候になかなか馴れることができないが、それ以上に食事に馴れることは難しい。その量で判断するなら、たしかにイングランドはこの地上で一番豊かな国である。あまり裕福でない者でも月に一度は肉を食べているしフランス人と違って、筋っぽい肉質や不快な味を隠すためにソースをかける必要はないと豪語している。神の意図するように、ただ火で炙って食べればいいのだという。過剰な調理は罪悪であり、天界の住人たちも正餐にはロースト・ビーフを食べ、ビールを呑むと固く信じているのだ。
残念ながら、ほかには何も出ないことのほうが多い。
「素晴らしいだろう? それなら何も無駄にならない。そのために必要なのは、きみの委任状だけだ。刑罰を終えたあとの体は解剖のために私に譲る。死ぬ前にそう書くだけでいい」
理性のある人間なら拒みようのない提案であることを確信して、ローワーは壁に寄りかかり、相手に期待の目を向けた。
「いやです」と、プレスコットはいった。
「え?」
「いやだといったんです。ご免こうむります」
「私のいったことを聞いていなかったのか? どっちにしてもきみは解剖されるんだぞ。どうせならきちんとやってもらったほうがいいだろうが」
「そんなこと、されたくないんです。それどころか、されるはずないと思っています」
わが父が前にいったように、もしも愛のために結婚するのが神の御心であるなら、なぜ神は愛人なるものを造りたもうたのか。
「動機がわからない。一番大事なのはそれだ。こういってよければ、なぜ、いかにして、という問題が、シュタールのやり方では解明されない。なぜがわからないかぎり、いかにしてを追求しても意味がない。どういう犯罪であったか。その動機は何か。それを突き止めないと話にならん。あとは枝葉末節にすぎない。悪事により利を得る者はそれをなせる者なり」
「オヴィディウスか?」
「セネカだよ」
第二の手記
わたしは、ふとそのとき、自分が望みさえすれば、この場でグローブの好機の芽を永遠に摘み取り、トマスの立場を確かなものにすることができるのだと思った。頼み込んで懺悔を聞いてもらい、あとで博士を隠れカトリックとして告訴すればいい。それだけで、聖職者にふさわしくない危険人物と見なされるだろう。
わたしはそうしなかった。そして、それが間違いのもとだった。
居心地のよい家ではあったが、思ったほど大きくも華やかでもなかった。しかし、それもまた、敬虔さを誇示し、世俗的な所有物をことさらに卑しめる清教徒の、謙徳という名の倨傲の表われだと考えれば得心がいく。片手で祈りながら、もう一方の手で金品をつかんで離さぬその心性を、わたしは常々軽侮してきた。たとえ贅を好まなくとも、身分なりの暮らしを営むのが、高位の者の務めだろう。
『 指差す標識の事例 上/イーアン・ペアーズ/宮脇孝雄訳・東江一紀訳/創元推理文庫 』
『指差す標識の事例 上』 は、この物語を構成する四つの手記のうちの二つが語られます。
解説には、「衝撃的な結末の第一の手記に続き、同じ事件を別の人物が語る第二の手記では、物語は全く異なる様相を呈していく」とありました。
第一の手記は、医学を学ぶヴェネツィア人マルコ・ダ・コーラがしたためたものです。
この第一の手記をオックスフォード大学トリニティ・カレッジの法学徒ジャック・プレストコットが、訂正補足したものが第二の手記です。
この二つの手記は、別々の訳者によって語られます。
これも面白い試みだと感じました。
ひとつの事実が、見る人によって全く異なる様相に映る。このことが、二つの手記では見事に表現されています。
ぼくが読みながら感じたことは、人の評価などもあながちこれと同様の事が起こりうるだろうなあ、ということです。
この手記でも、力もあり上昇志向旺盛でありながら、何故か、順調に立身出世が出来なかった医師のリチャード・ローワーのことが語られていました。理由はわからないが、彼は、そんな人生を送らざるを得ませんでした。
下巻は、次の二人の手記です。
ジョン・ウォリス オックスフォード大学の幾何学教授
アントニー・ウッド 歴史学者
さて、続く二つの手記では何が語られるのでしょうか。楽しみです。
2021年版 このミステリーがすごい! 海外編3位
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/34/35c31afcc4dce6df6c668fcc55982e64.png)
第一の手記
事務所にディ・ピエトロの姿はなく、あの悪党、ジョン・マンストンは、私に門前払いをくらわせたのだ。マンストンはすでにこの世にない。その魂よ安かれ、と祈る気持ちはあるものの、私の本意を察した情け深い神が、当然の報いとして長いあいだあの男を業火で焼いてくださるとしたら、それに越したことはないと思っている。
ロンドンの季候は、どんな強い男にも惨めな絶望をもたらす。晴れることのない霧と、小止みなく降りつづいて人を衰弊させる小糠雨と、薄地の外套を吹き抜ける風の、骨身に染みとおるような寒さとで、私はすっかり参ってしまった。
ここで私は少し横道にそれて、オナラブル・ロバート・ボイルのことを書いておきたい。この数百年のあいだに生を受けたどの学者よりも多くの賞賛と名誉に包まれている人物、それがボイルである。最初に気がついたのは、思いがけない若さだった。その名声を考えても、五十は過ぎているに違いないと予想していたが、実際には私より少し上といった程度の年配ではないかと思われた。長身痩躯で、あまり健康ではないらしく、顔色は悪い。細面の顔の口もとには不思議な色気かあり、椅子にすわっている姿は物静かで、いかにも無理がなく、一目で高貴な育ちだとわかった。だが、それほど好人物には見えず、むしろ偉そうに構えているような印象を受けた。自分が人よりも優れているのを充分に承知していて、他人にも分際をわきまえることを要求しているようなところがある。あとでわかったことだが、それはボイルの一面にすぎず、衿持が高い分、寛容の精神も備えていたし、傲慢に見合うだけの謙虚さや、氏育ちに負けない敬神の心、厳しさに匹敵する思いやりも持ち合わせていたのである。
とにかく、近づく際にはくれぐれも気をつけなければならない。実利さえあればどんな嫌な人間とも付き合ってくれるだろうが、山師や馬鹿の相手をするほど我慢強くはないだろう。短いあいだではあったが、この人物と親しく付き合えたことを、私は一生にそう何度もない誉れであったと考えている。他人の悪意によってその交際が絶たれてしまったことは、まさしく痛恨の極みである。
ボイルはいった。「ローワー、ちょっと聞いてくれ。シルヴィウスによると、きみの友だちは、癇性で、議論好きで、権威を疑う傾向があるそうだ。身の程知らずで、興味のあることに対しては食いついてはなれない」
弁明しようとした私を、ローワーが手振りで黙らせた。「ヴェネツィアの豪商の一族か」と、ボイルは続けた。「じゃあ、ローマ・カトリックの信者だな」
万事休す、と思った。
「血を好むこと鬼畜の如し、とも書いてある」私を無視して、ボイルはさらに読み続けた。
「バケツに溜めた血を始終もてあそんでいる。ただし、刃物の扱いは上手で、標本のデッサンもうまい。なるほどね」
わたしはシルヴィウスを恨んだ。実験をしていたのに、もてあそんでいるとはどういうむことか。怒りで体が熱くなるのを覚えた。
ローワーは機嫌を直し、また以前のように気さくな態度を取り始めた。いずれにしても、一瞬ながら、私はローワーの裏の顔を覗いたことになる。表向きはものにこだわらない陽気な人物であるかのように装っているが、実は結構自負心が強く、怒りっぽいところもあるらしい。しかし、その暗い面は、現れるのも早ければ、消えるのも早かった。ローワーの心をとらえることができたと思って、私は度が過ぎるくらいの喜びを感じた。
ヴェネツィア人はイングランドの天候になかなか馴れることができないが、それ以上に食事に馴れることは難しい。その量で判断するなら、たしかにイングランドはこの地上で一番豊かな国である。あまり裕福でない者でも月に一度は肉を食べているしフランス人と違って、筋っぽい肉質や不快な味を隠すためにソースをかける必要はないと豪語している。神の意図するように、ただ火で炙って食べればいいのだという。過剰な調理は罪悪であり、天界の住人たちも正餐にはロースト・ビーフを食べ、ビールを呑むと固く信じているのだ。
残念ながら、ほかには何も出ないことのほうが多い。
「素晴らしいだろう? それなら何も無駄にならない。そのために必要なのは、きみの委任状だけだ。刑罰を終えたあとの体は解剖のために私に譲る。死ぬ前にそう書くだけでいい」
理性のある人間なら拒みようのない提案であることを確信して、ローワーは壁に寄りかかり、相手に期待の目を向けた。
「いやです」と、プレスコットはいった。
「え?」
「いやだといったんです。ご免こうむります」
「私のいったことを聞いていなかったのか? どっちにしてもきみは解剖されるんだぞ。どうせならきちんとやってもらったほうがいいだろうが」
「そんなこと、されたくないんです。それどころか、されるはずないと思っています」
わが父が前にいったように、もしも愛のために結婚するのが神の御心であるなら、なぜ神は愛人なるものを造りたもうたのか。
「動機がわからない。一番大事なのはそれだ。こういってよければ、なぜ、いかにして、という問題が、シュタールのやり方では解明されない。なぜがわからないかぎり、いかにしてを追求しても意味がない。どういう犯罪であったか。その動機は何か。それを突き止めないと話にならん。あとは枝葉末節にすぎない。悪事により利を得る者はそれをなせる者なり」
「オヴィディウスか?」
「セネカだよ」
第二の手記
わたしは、ふとそのとき、自分が望みさえすれば、この場でグローブの好機の芽を永遠に摘み取り、トマスの立場を確かなものにすることができるのだと思った。頼み込んで懺悔を聞いてもらい、あとで博士を隠れカトリックとして告訴すればいい。それだけで、聖職者にふさわしくない危険人物と見なされるだろう。
わたしはそうしなかった。そして、それが間違いのもとだった。
居心地のよい家ではあったが、思ったほど大きくも華やかでもなかった。しかし、それもまた、敬虔さを誇示し、世俗的な所有物をことさらに卑しめる清教徒の、謙徳という名の倨傲の表われだと考えれば得心がいく。片手で祈りながら、もう一方の手で金品をつかんで離さぬその心性を、わたしは常々軽侮してきた。たとえ贅を好まなくとも、身分なりの暮らしを営むのが、高位の者の務めだろう。
『 指差す標識の事例 上/イーアン・ペアーズ/宮脇孝雄訳・東江一紀訳/創元推理文庫 』
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