遺伝屋ブログ

酒とカメラとアウトドアの好きな大学研究者です。遺伝学で飯食ってます(最近ちょっと生化学教えてます)。

技術は進む。人も・・・

2012-06-17 21:22:15 | BIONEWS
みごとに天気予報に裏切られ・・・いや、停滞前線にもてあそばれました。前線というのは暖気団と寒気団のぶつかり合っている境界なんですが、現代の最先端技術を持ってしても停滞前線の動きは読めないのです。

女児に心臓移植、終了 国内最年少 脳死幼児から10歳未満に(産経新聞) - goo ニュース
20年ほど前、僕はコロラド大学ヘルスサイエンスセンターで研究員として働いていました。日本人留学生は10人いるかどうかの環境でして、デンバー市にいた人はたいがい知り合いでした。
日本の医学部の人間でも米国では医師ライセンスは当然無効でありまして、みんな研究をしにこちらに来ていたのですが、数名の若い医師がこちらで医療活動をしてました。もちろん、厳しい語学の試験を受けて米国でちゃんとした資格を取ってのことです。そのうちの一人、東北大学の小児外科から来ていた医師がいました。資格としては、米国のインターンの位置づけなんですが、彼はきちんと米国の医師達の中に入ってローテーションの一角を任されていました。彼が米国で学んでいたのは、『移植』。どこかで交通事故等で脳死と判断される患者が出たと知らせを聞いたら、クーラーボックスを抱えてセスナに乗り、場合によってはパトカーよりも先にそこに駆けつけ、肝臓や心臓をとって帰ってくる・・・・。そして、適応判断をして移植を待つ患者さんに移植。移植直後数日が一番重要で、3交代制で病院につめてその患者さんのケアを続ける。その間、まったく自分の行動に自由はなく、当時は携帯電話なんかないから連絡のつく範囲から逃れることは出来ませんでした。数週間のうち1週間だけ自由な週がもらえて、その間は遊び倒す(飲み倒す)♪ そのお相手を何度かさせられました。(笑) 
患者さんは当然小さな子供です。小児科で移植を必要とする患者さんは先天的にその臓器に問題がある例がほとんどで、移植以外に生きる可能性がない場合がおおいのだそうです。医師にとって救う命の国籍や人種はどうでもいいはずで、米国での彼の仕事はどんだけしんどくてもやりがいのあるものだったでしょう。自分の学ぶ医療技術がいつになったら日本で活かされるのか分からない状況でしたが、彼はそのタフな毎日をエンジョイしていました。あの頃から20年・・・。

情が絡むと日本のお上はアホで決断できないけど、現場は懸命に現実に対処している。報われなくても頑張れるという、世界でも珍しい日本人の気質がいいのか、悪いのか、僕にはよー分かりません。ただ、そういうとこに甘えるのもええかげんにせんともうあかんと思う。

上の写真は獅子吼に行ったけど何も出来ずにカメラを持ってふらふらエリアを歩いて撮った1枚♪ マニュアル撮影がすんごくヘタクソになってて落ち込んでまーす。人間って、衰えるものなのですね。orz

本日の酒:ASAHI RED EYE + 長生舞 純米吟醸 石川門 + 高知栗焼酎 ダバダ火振
コメント
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