モータリゼーションは、戦後とみに日本民衆の生活に浸透して、今では一家に一台ではなく、一人に一台という状況にさえなっている。それどころか一人で2台3台も車を所有する人も居る。車は私的行動を拡大させ、公共の移動手段である幹線電車は通勤には使用しても、休みの日には私的な移動手段である自家用車を使い、路線バスは次第に乗る人が減少し、バス会社も採算が合わず本数を減らすと、更に乗る人は減少し遂には路線の廃止という危機にならざる得ない。車が増えたのは1970年代後半からであろう。若い人々は争って新車・中古車を求めて殺到した。それはモータリゼーションの隆盛時である。
私はここで大袈裟に言うと、人が生きる時間の流れというか質というか、そういう物が変わったと感じる。便利さはそれに伴って何かを失う事になる。人間の文化とはそういう物だ。谷内六郎の展覧会(秋)をふとトイレで見ていると、絵もすばらしいのだが、そこに書いてある「表紙の言葉」(寄せ書き)が、また素晴らしいのです。寄せ書きは。絵と共振して絵を深め、絵は寄せ書きと共振してことばを深めます。例えば「赤とんぼが葉に火をつける」1974年9月19日、の寄せ書きを読んでみます。
「 赤とんぼがツタの葉に火をつけはじめ、だんだん燃えて広がって山は赤くなる、コウロギが胸にしみる音で鳴き、陽ざしの草むらに秋のかげろうがゆれて、濃い陽かげの中に心がおっこちそうにハッとなる、初秋はそんな感じで満ちる、灯台の色も夏と違ってスーッと吸い込まれそうにな白のいろです。・・・」
この表紙の言葉は、なぜかおなじ共感ができるイマージュなのですね。
わたしはこういう時間をしばらく経験していません、なにか、いつも追い立てられるように、過ごしている自分に気が付くのです。たぶん私は真の生きる時間から遠ざかっているのだと、谷内さんのこの表紙の言葉を読み反省しました。谷内さんの絵の中には豊かなのびやかな時がながれているのをしりました。