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断酒の会ならぬ断麺の会発足

2017年01月27日 | 洗脳からの解放
思い起こせば、私がラーメン依存症となったのは、メディアの影響が大きいでしょう。
今回は振り返りと懺悔の記事となります。

私のラーメンブームの出会いは、古くは中部地方で毎週やっている情報番組のPSあいしてるという番組のラーメン特集でした。
その番組の伝え方がとても上手く、映像の技術と取材力、そして更に本当に食べに行き、数軒は美味しいお店があったという事実から私はすっかりラーメン依存症の前駆段階のラーメンオタクになっていました。
週に7食は外食でラーメンを食べ続け、ブログを発信し始めました。
その内容たるや、有名ブロガーの焼き直しで偉そうに薀蓄を垂れ流すだけで、それも何かの受け売り。
商売もした事なければ、趣味程度にスープを炊いたり、製麺したり、具材を仕込む程度しかした事がない人間が偉そうに講釈たれているレベルの内容なのです。
実際にラーメン屋をやり、経営に携わってきたら、おいそれ他人のお店の批判などできるわけありません。
何故なら、美味い不味いにかかわらず、お店の経営者は、人生かけてやっているからなのです。
人生かけてまでラーメンオタク、ラーメンブロガーは、記事書いてますかね?
ベースのスープの知識や、小麦のこと、麺機や切り番、加水率についてあーだこーだ薀蓄を語りますが、品質にムラが出ないよう、毎日行う仕込みや仕事の労苦まで書いてあるブログは皆無でした。
その場の感情で批判する、俺はこう思う、私はこう感じるという、言いっ放し、無責任、放蕩ぶり。
情報番組のコメンテーターと同じですね。
批判している側が何だか偉くなっていると錯覚している状態でした。

一番偉いのは、お店を経営している経営者、家族です。
お気に入りの美味しいお店に足繁く通うらオタの私ではなかった。
グルメブーム、ラーメンブームほど百害あって一利なしだと気付かされます。
食べ物なんて、何でも美味しくいただけるはずなのです。
しかし、食べる側が傲慢でマスコミから洗脳されていると、食べ物でなく最早、付加価値や情報ばかりを食べてる状態になっていることを気づきません。
一杯¥1000するラーメンがあり、一食¥30円で食べられる袋ラーメンがある。
おかしくないですか?
同じラーメンなのに¥970も差が生じている。
これが、トリックなのでしょうね。
お腹を満たすことが本来の目的であるのに、現代人のエゴは拡大し、食事に心を満たしてもらおうとしているのではないでしょうか?
ですから、情報ばかりを見て、得ようとして焼け太りしているのだと自分を振り返ると感じます。
それは本当に窮屈な生き方であり、洗脳され、無価値なものや、そこまで価値の無いものにお金かける、投資させられてきたと分かるのです。
よーく振り返ると、¥1000稼ぐのに、自分はどれだけ我慢し、嫌な想いもしながら、会社で働いて、稼いだか?
それを、小麦と油の液体の集まりに支払うっておかしな話なのです。

産地が、スープの抽出コストや材料原価が、熟成が、とこだわりや薀蓄をマスコミや情報誌が垂れ流しますが、そもそも企業努力とはそういう手間やコストを減らし価格転嫁、つまり値下げし続ける事が使命のはずです。

金持ちにしか食べられない料理や商売なんて、社会的意義や大義なんてないと思います。
そんなシンプルな構造に気づかず10年が過ぎてしまいました。
全ての料理や具材は手作りなのです。
それが厨房なのか、工場のラインなのかの違いです。

食材になる前には必ず命が奪われているのです。
『僕は食べられるために産まれてきたんじゃないのに…』と豚骨スープになる豚さんや、鶏白湯スープになる鶏さん達は、場で恐怖でパニックとなり、涙を流すそうです。

脱線しましたが、私達は命を頂いており、この命は価値があり、この命は価値がないと決めることは出来ません。
本来、こちらが選ぶなどというのはおこがましい。
命に感謝して頂くことが本来命に対してのマナーかと思います。

私は今まで命を頂いていたというよりは、情報を頂いていたという贅沢で偏屈な思想を持っていました。
らーめんブログを書いた事があると分かると思いますが、ブログに同じお店ばかりアップするのはカッコ悪いと感じ始めます。
より強い刺激を求めて、さらに投資し始めてしまいます。
新店や既存店の限定メニューばかりを追い始め、らーめんを食べることが嫌になります。本当に好きなものだけ食べればいいのにと馬鹿らしくなってきます。
そして、偉そうに批判ばかりするため、批判しているサイトばかり閲覧し始め、性根が腐ってきます。
知識の焼け太りです。
単なる嫌な奴ですね。
美食、グルメブームは本当に人間を傲慢にし、魂が悪魔になってしまうと思います。
批判して気持ち良くなる。
俺は何でも知っていると驕り高ぶる。
本当に過去の自分がそうだったと内省しています。

私はスポーツライターや、お昼の情報番組のコメンテーターが嫌いです。
当事者でもないのに蚊帳の外から石ころ投げ付けてくるからです。

本当に現役でやっていた経験があるなら簡単に批判なんて出来ません。
そんなことを分かりながらも、らーめんオタクとして、蚊帳の外から石ころを投げていたい自分が、恥ずかしい。
あー、電通の商売に乗っていただけなのだと。


ラーメンをやめたいと考えている方がいれば、一緒にやめましょう。
全く食べないという訳ではありません。
食への依存を断ち切り、ここのラーメンしか食べたくない!などという不自由な思想を捨て、食事において日々思い煩うことはやめましょということです。
こだわりのラーメンを食べに片道1時間もドライブしたり、パーキングで¥400も支払ってまで食べてはいけませんよという話、そういう生活から卒業しましょうというレベルの話です。
ご賛同いただけたら幸いです。
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