専門学校1年生は、看護学を学ぶにあたって、看護学概論という講義を受講します。
そこでは、「人間とは何か?」ということについて学びますが、実は答えは「ありません」「みんなで考えましょう」で終わりなのです。
「え!?」と思われた方が大半だと思います。
そうです、詐欺です。学問でも何でもなく、ただの詐欺です。
答えがない問題について終講試験まであります。
いきなり嘘から教えるのが看護学なのです。
基礎看護学の教員が、もっともらしい言い訳として
「国や文化によって人間それぞれの価値観は違うから”わからない”」
だそうです。
つまり、「わからないこと」を学問にしているのが、看護学なのです。
まぁ、国家資格を取得するための、修行とか儀式と言われるのが、看護学校や医療系の学校で学ぶことです。
現場で使えないことが多く、結局働きながら覚えるしかないのは有名ですね。
Q:何のための学校?
A:資格の価値を高めるためだけの施設です。
看護の目的は「生活を守る」ことが第一と学びます。
しかし、看護師が守れる生活なんてたかだか知れています。
ちょっと体調が悪くなった時、看病する程度なのです。
死なない程度に在宅で1次的な処置をし家族にアドバイスするくらいです。
一体何様なんでしょうね?
病院では90歳以上の高齢者たちに、離床を促すADLを重視します。
人間にはADLよりもQOLなのです。
しかし、QOLについて「人間とは何か?」「人間の幸せとは何か?」という究極の問題を解決できていないため
「健康を促進すること」が最終ゴールとなります。
しかし、人間は生まれたら必ず死にます。
死に向かって1歩1歩進んでいるのです。
私たちは一体どこからきて、どこへ行くのでしょうか?
そんな疑問に対して、何も答えていないのが看護学概論なのです。
医学に関しては「解剖生理学一本」で人間学はガン無視していおり、ある意味潔いと思います。
別に看護学だけを責めるわけではありません。
全ての学問が、「人間とは?」という問いに答えておらず、適当に自然現象を法則化したことを基本にして学問として、偉そうに語っているだけなのです。
つまり、「何も分かっていないのに、わかったふりをして高尚ぶっているだけ」なのです。
私は「分からないことを分かるようになりたい」と思っていました。
特に、社会人を一度辞めて、学生に戻った時、「人生は難しすぎる。大学で学び直せば、答えはみつかるかもしれない」
と一縷の望みを握りしめ、センター試験600点以上取れないと入学できない国立大学への入学を決めて、人生2度目の大学生を再開しました。
しかし、そこには全く答えが無く、大学とは真理を追究する場所ではなく、就職までの4年間、楽しく遊ぶだけの場所だったのです。
高校までの知識、大学入試で問われる学力とは暗記力であり役人立たないものだと改めて感じました。
「盲人が盲人の道案内をしている」
のが今の日本の現実です。
サクセスストーリーはすべて脚色され、一部の権力者や上級国民たちがのしあがっていく制度であることも隠蔽されてきました。
ヨブ記9章24 節「世は悪人の手に渡されてある。彼はその裁判人の顔をおおわれる。もし彼でなければ、これはだれのしわざか。」
とあるように、残念ながら世界は「悪人の手に渡され、地獄と同様の生活をさせられている」と当時のヨブ記でも書かれています。
しかし、RAPTブログが現れるまで、その後、サタンの支配を明確に解明する内容を聖書では多くは記されていません。
人間は有史から6000年間、悪魔が作った常識を真実と信じ込まされ、悪魔が作った嘘を科学だと信じ込まされてきたのだと、RAPTブログで明らかになっています。
これこそが本物の学問なのです。
神と人間について明確に語る事ができなければ、人間のか語る知識や知恵は、必ずそこに嘘が混じりこむため、無駄なものになってしまいます。
神の存在を否定する教育に、未来はありません。
「神とは?」「神の人、神から選ばれた人とは?」
についてRAPTブログで知る事で1人1人が抱える、全ての問題が解決すると思います。
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ついに!RAPTブログ漫画化されました!私が個人的に一番読みたいのは、RAPTさんが、ルシファーに勝利した時のエピソードです。
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