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旧精神科医療は思想警察なのか?

現代の奴隷制度とは?人生の目的を知らないと趣味に没頭しても虚しい。

2018年10月29日 | 子育て論

ここ最近の労働事情で、「会社の仕事ばかりに人生を使うのは無駄」という傾向があります。

とはいっても、生活していくためには、最低限のお金は必要ですから稼いでいく必要があります。

そして、お金は労働力を提供して稼ぐという方法と、「お金を使わない」、「無駄な」お金は使わないという方法があります。

私もサラリーマンをしていたころは、ストレスが溜まって、休みは食べ歩きをしたり、友人や会社の同僚と飲みに出歩いていました。

そうすると、接待交際費、外食費だけで一か月に8万円なんてザラでした。

自炊すれば1か月一人分の食事なら1万円で済みます。

昼食を会社の食堂にしても、1食500円×20ですから、食費は合計2万円で済むのです。

逆に言えば昼食もお弁当を作っていけば1か月の食費は1万円浮いてしまうのです。

そう考えると、20代30代は、本当に無駄遣いをしていたと思いますし、1か月5万円づつ貯金するだけでも、年間60万円の貯蓄ができます。

5年続ければ300万円です。ボーナスが出る会社なら夏、冬のボーナスの半分を貯金にあてれば、ボーナスだけで1で40万円、5年で200万円プラスできるため、500万円貯金することができます。

500万円貯金できれば、独立開業資金としては十分だと思います。

500万円を元手に、自分の本気で興味ある分野にバイトやパートとして飛び込んで、経験を積み、給料は下がってもスキルや知識を身に着け、空いた時間を使って、自分の個性才能を伸ばすことができます。

日本という社会は、こういった元手資金があれば、自由に生活することができる、「幸せなシステム」が存在しています。

サラリーマンになって思うことは

「一生、この奴隷のような生活が続くのか。。。。」

「こういう社風の会社で生涯を終えるのか」

と「奴隷確定」「社畜確定」の烙印を押されることが分かってしまった絶望感でした。

そのために、「手に職を」と思い、私は看護師などの国家資格を取ろうと思いました。

看護師を取得して思ったことは、看護師は看護師で厚労省が管理する「医療村」から抜けられない職業だとわかりました。

「厚労省、病院や国のシステムのおかげで職にありつけるのが国家資格」なのです。

「本当の実力で食べていける資格」というものは実は存在しません。

ですから「資格」ではなく、「個性才能」を伸ばすほうが、将来独立して生活していくことができます。

現代の奴隷とは心が自由でない、自分が本当に思ったことが言えない人のことを指します。

単に、お金による経済的困窮から食べれないという意味の奴隷ではありません。

所属する組織、企業に考え方、生き方を縛られることが「現代の奴隷」なのです。

受験勉強を一生懸命頑張って、医学部に行って医者になっても、病院、医局、医師会、厚労省の奴隷です。

独立開業資金をコツコツためて、現場で経験を積み、たこ焼き屋さんをやって個人事業主になった人は誰の奴隷でもありません。

単純な話ですが、医業を例にとってみても、医療費は保険税からそのほとんどが支払われています。

ですから、医者というのは自由診療で食べていけない人は国家公務員と同じなのです。

国家公務員と聞いて想像するのは、官僚などが浮かび上がると思います。

官僚も国会開催中は政治家の答弁書の作成のため帰宅できないくらい重労働だそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・(生き甲斐は苦労ばかりの人生を肯定するための概念)

発達障害の適職について検索すると「ファッションデザイナー」「カメラマン」「画家」「声優」「経営者」 などと列挙されている。そんなんで食ってける才能があるなら最初から苦労してないんだっつーの。

そもそもの話、仕事が出来ないくせに稼ぐ手段にこだわるから人生が息苦しくなる。雇われ仕事が得意じゃないなら「おカネのため」とズバリ割り切って、仕事に対する見栄ややり甲斐みたいな付属物は一切合切諦めた方が気が楽だ。

僕は何回か転職しているけど、新卒で入った大企業でコリたので、その後仕事を選ぶ絶対的基準は「ラクかどうか」。

ラクな仕事でありさえすればオトコ独り食べていける程度の給料でいいし、仕事の内容にもこだわらない。理想は社内ニートだ。


結婚する気がない怠け者は東南アジアに移住すると人生イージーモード


東南アジアには「給料が安いけどグダグダで楽な仕事」という日本にはない生き方がある。 僕はうつ病で日本の会社を退職した後、Skype英会話の先生を訪ねてフィリピン・セブ島で1ヶ月くらい何をするでも...

日本ではコンビニのアルバイトでさえ「完璧な接客」を求められる。ところが自殺率で日本を凌駕する韓国でさえ、コンビニ店員はスマホでゲームする合間にレジ打ちしてやってるノリ。南国シンガポールは言わずもがな。海外のコンビニに行けば日本の労働環境がいかに異常かわかる。

「過酷な現状維持」ほど虚しいことはない。過集中を勉強に使える人は、日本で労働に耐える苦労を英語を学ぶエネルギーに振り替えて、今と同じ職種で海外ダラリーマンになった方が幸せになれる。労働環境が異常な日本を出れば社内ニートになることも夢ではない。


量産型人生の葛藤と、オーダーメイド人生の不安


たまに日本に帰国して朝の満員電車に乗ると、社会人になりたてだった頃を思い出す。当時は東京の郊外に家があって、都心まで通勤していた。 学生の頃は自分はどこか特別できっと面白い人生が待っていると信じ...

 

時間に余裕があって楽しいと生き甲斐はいらない


仕事だけが生き甲斐な人は、僕のようなダラリーマンをあからさまに見下してくる。そういう「労働依存症患者」からの批判は、気にするだけ無駄。彼らの働き方は病的なので、そのうち身体を壊して勝手に退場していく。それまでせいぜい僕の分まで働いてくれたまえ。

やりたいことはお金を払ってやればいい。そのための軍資金は、出来るだけラクに手抜きして稼ぐのが賢いだろう。資金調達ですでに疲れて本番を楽しめないのでは本末転倒だ。

毎日定時きっかりに退勤して、青空の下でビールを飲んで、家に帰ってまだ18時過ぎ。そこから5時間趣味に没頭しても日付が変わる前に寝られる。ありがたいことにテニスやスケボーを一緒にやってくれる仲間にも恵まれている。

そんな感じで毎日なんとなく楽しく暮らしていると、だんだん生きている目的とか考えなくなってくる。生き甲斐みたいなのは、苦労ばかりの人生を肯定するための概念じゃないか。

生きるために苦労なんてしなくていい。持てるエネルギーは楽しむために使うのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「時間に余裕があって楽しいと、生き甲斐はいらない」まさにここがワーカホリックの日本人に対する警鐘かもしれません。

 

ここから本題に入りますが、日本人はわざわざ奴隷になるために、学校で優秀な成績をとり、有名大学、有名企業に入社させるようなシステムになっています。

大企業にはいっても、歯車にしかなりませんから、世に言う実力とはあくまで「社内で通用するだけのもの」で、「外に出たら通用しない」と退職するとわかります。

退職してみじめな思いをしたくないと思い、企業に縋りつくのが日本人のサラリーマンの現状ではないでしょうか?

お金のために労働時間を提供するのは致し方ありません。

しかし、お金のために、「心を提供」したら「奴隷」となってしまいます。

私たちは、人生の目的を教えてもらず、ただただ競争させられ育てられてきました。

ですから「会社の奴隷になるのが嫌だ!」と気づいて「定時に帰宅して、趣味をする」ことをしていても、結局「趣味に溺れる人」となってしまいます。

例えば、「釣り」が趣味だったとします。

しかし、何かの事故で腕がマヒしたとしたら、その人は定時に帰宅できても、「釣り」ができなくなってしまいますね。

となると、その人の人生は味気なく、楽しみもなく、意味のないものとなってしまうのではないでしょうか?

「会社を定時に帰宅できたとしても、何か趣味をみつけなければ」と思っている人も同じです。

「趣味があるから偉いとか没頭することがあるから羨ましい」という考えすら、本質に迫っていないと思いませんか?

 

なぜ、大金持ちが、あれだけ贅沢をし続けるのでしょうか?

いい加減、贅沢生活には飽きてくるはずです。

そして、贅沢の次元を下げることで劣等感を感じたくないからでしょうか?

それどこらか、金持ちはどんどん過激に贅沢を繰り返します。

それは、彼らが「贅沢することや楽して大金を稼ぐことが幸せだ」と思い込んでいるためだからです。

つまり、「人生は欲望をどれだけ沢山満たしたか?が幸せの尺度だ」

と洗脳されているからです。

パチンコなど賭け事をしている人達やグルメ好きな人達は必ずしも幸せではありません。

パチンコやグルメがなければ、そういう物質がなければ幸せが感じられないからです。

ですから以下のサイトのような幸せの定義ではサラリーマンは幸せにはなれません。

・・・・・・・・・・・・・・・(「月に一回は有給を意地でも取るマイルール」のススメ)

とはいえども、週4という雇用形態に転職できる人、理解がある会社に勤めている人ばかりではないでしょう。そういう人は「月に一回は有給を意地でも取るマイルール」を推奨したい。

残業も有給も、取れないのはなんとなくの空気じゃないですか。そこは空気を読まないで自分の人生を生きる! と決めてみてください。週4勤務という異端児になって気づいたのは、「あの人はそういう人」と認識されたら、意外に文句は言われないんですよ(笑)。

これは契約云々ではなく、そもそもやることをやっていたら「ま、いっか」ってなるんですよね。重要なことは有給を取るために、そのために仕事を前倒して、調整して、意地でもそれを達成する気概と努力です。

天気が良い平日に、街に出てみてください。もうすぐ春が来ます。週末とはちがう時間の流れ方をする街と景色で息を吸うことは、きっとあなたの生き方をもう少しフラットにする機会を与えてくれます。瞑想に等しい効果があると俺は感じています。

「働く」「遊ぶ」「休む」の黄金比を見つけた人が幸せになる
最後に。近頃の俺はどんどん「働く」「遊ぶ」「休む」がカオスになってきています。

会社に勤務しない日に個人事業の仕事をするのは、会社員としては休日でありながら、実態は働いている日です。同時に、人生における遊びです。また、誰かと楽しい時間を過ごすことは、遊びでありながら個人事業主として働く元ネタだったりします。会社員として働くことが、物を書く視点をあらためて与えてくれている気がします。そして、ときには週3日、何もせずに自宅でダラダラ寝ていることは、究極の休暇であり、ひとり遊びでもあります。

これからの時代、会社員とフリーランスの二項対立はもう古い。独立、企業、複業をひっくるめた「働く」「遊ぶ」「休む」の黄金比を見つけた人が幸せになる時代なのは、間違いないと確信しています。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「働く」「遊ぶ」「休む」の黄金比を見つけた人が幸せになる時代なのは、間違いないと確信しています。

ありますが、一体何のために、「働く」「遊ぶ」「休む」のでしょうか?

目標が達成することだけで満足していると、新たな次の目標が必要になってきます。

そうではなくて、目的を達成するために、私たちは生きるべきです。

 

人生の目的」を知りたい方は、「こちら」で学んでください。

努力ばかりしていても、徒労に終わるだけで「虚しさ」しか残らないのが人生です。

今回転載した記事は、ほとんどが形を変えた「自己啓発」の類だと思ってください。

本当に正しいものを手に入れた人だけしか、この世の情報に振り回されずに生きる、「軸」を手に入れることができ、幸せにはなれるのだと思います。

 

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