いつの時代も戦争に反対する活動家はいます。
戦争を通して8,000万人という、人類史上最大の死者数を出した第二次世界大戦が終わったのに、再び朝鮮半島を巡って戦争が始まるとなれば、反戦運動は拡がるに決まっています。
1925年から開始された治安維持法によって、思想統制がなされ、1945年の敗戦で、GHQの指令により治安維持法は一旦廃止されました。
しかし、調べてみると、1948年まで戦前に制定された「行政執行法」を使って継続して、社会不安を扇動するような存在を予防拘禁しているのです。
「治安維持法廃止から10日後の1945年10月26日に、内務省と司法省は共同の新聞発表を行い、朝鮮人や中国人などの「多衆運動に伴う各種犯罪」に対しては、「もっぱら既存法規をもって取締処分せんとするにすぎない」と発表し、社会不安が濃厚な社会状況に対しては、旧来の法令によって厳重な取り締まりを行うと宣言している。旧来の法令とは、人権指令で廃止を免れた暴力行為等処罰ニ関スル法律や、行政執行法、行政警察規則、警察犯処罰令、爆発物取締罰則などを指しており、戦前の治安法規の本体である治安維持法や治安警察法が廃止されたことを受けて、その周辺にあった治安法規が前面に出てくることになった。予防検束を可能にしていた行政執行法の適用は、1945年には27万人だったが、1946年には64万人に倍増している」行政執行法(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E6%B3%95)
同法のA項目「保護検束」には「泥酔者、瘋癩者自殺を企てる者」とあるため、しっかり「瘋癲:精神障害者」が入っています。
保護検束の対象は、当時精神病院が少なかったため、おそらく「警察署の保護室」に一時保護され、家人(保護義務者)に身柄引き受けさせていたと推測されます。
そして、1948年の5月に「行政代執行法」が制定されます。内容としては、行政執行法を近代法風にアレンジしたもので名称以外大きな変更はありません。
1948年8月15日に大韓民国が建国され、朝鮮戦争のきっかけとなり1950年本格的に戦争が始まります。
日本共産党HPには、戦後朝鮮戦争に対しての反戦活動に対してGHQが取り締まりをしていたと書いています。
「日本はアメリカ軍の前進基地とされ、デモと集会の全面的禁止、アメリカ占領軍とその政策の批判や反対は「占領政策違反」の名で弾圧されます。レッド・パージが吹き荒れ、民主主義擁護同盟も解散に追い込まれました。一方、財界・大企業は「動乱ブーム」の特需で潤い、息を吹き返します。」時代をつないで 大阪の日本共産党物語(https://www.jcp-osaka.jp/pages/100th_monogatari/026-2)
そして、GHQは公職選挙法を使って、日本の精神的武装解除を始めました。
占領期最大の恐怖「公職追放」:組閣直前の鳩山一郎総裁も粛清(2)https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c08502/
精神衛生法の目玉は、措置入院であり、行政執行による強制入院そのものです。
その強制入院できる施設を作りなさいという命令が実質くだされたのであり、精神医学うんぬんという話でなかったのは精神保健福祉の歴史を紐解けば明白です。
思想犯を弾圧するために、警察署の留置場が足りないから、収容施設を作ったのです。
実際、思想犯は拘禁されて、向精神薬を投与されて、脳機能がおかしくなってしまう人もいます。
結局、精神病院は、精神機能の異常は誰でも生理的に一時的に起こるものであるのに、それを悪用して、自分たちの都合が悪いことをする人や、指示に従わないひとを閉じ込めるだけの収容施設だということです。
そして、それらを合法化するために、脳科学を使ってつじつま合わせしているだけです。
大脳生理学の解明は進んできましたが、未だ人間の脳の機能は解明されていません。
人間の本質に迫っているのはRAPTブログだけで、神から来る叡智、最先端の科学がここにあるのです。
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