性差別をなくすのと、性の自由化は話が違います。
LGBTなどという狂った思想の行く末は、「自殺」と「薬物依存」しかありません。
・巷の同性愛はビジネスの一環であり、本当に同性愛なら罪と認めて一生悔い改めるしか生きる道はありません。
・星野源、槇原敬之 芸能界が腐っていくのは、才能のある人が皆、麻薬漬けにされ同性愛をしなければならないからです。
お茶の水女子大の学長が狂った発言をしています。
・・・・・・・・・・・・・・・(「偏見を変えるのも我々の役割」お茶の水女子大「心は女性」の戸籍上男性受け入れ、学長が語る真意)
お茶の水女子大(東京都文京区)が、戸籍の上では男性でも自らの性別を女性と認識する「トランスジェンダー」の学生を2020年度から受け入れると決めたことは、大きな反響を呼んだ。発表から1カ月強が経ち、弁護士ドットコムニュース編集部では8月22日、室伏きみ子学長にインタビューを実施。その真意やトランスジェンダーに対する社会の理解度などについて聞いた。
●トランスジェンダーも「女子」という枠組みに
ーートランスジェンダーの受け入れを決めた理由を改めて教えてください
「実はトランスジェンダーの方から、お茶の水女子大で学びたいという声が何度か過去に寄せられましたが、『戸籍上の女子」でないといけないということで、お断りしてきました。
ただ、近年、性別に関する研究が進み、社会の理解も少しずつですが広がってきたと感じています。国も子どもたちへの性自認に関する配慮が必要だという考えです。そこで、トランスジェンダーの方も『女子』という枠組みに入れるのは自然だろうと考えました」
ーー7月10日に会見で発表してから1カ月強が経ち、どんな反響が寄せられていますか
「いろいろな好意的な意見を寄せてもらっています。海外の大学も含め、大学関係者からの反響があり、力になっています。先日、国際交流協定の関係の仕事で台湾に行った際、同窓会を開いたらこの話題になりました。
卒業生からは『大学がこういった決断をして公表をしたことは誇りに思う』と言ってもらいました。幸いなことに、教職員や学生、同窓会、保護者たちから反対の声はひとつも出ません。トランスジェンダーの当事者の方からも『嬉しい』と言った声が寄せられたそうです。
学生たちは前向きで、そういった多様な環境があるのは自分たちにとってもいいことだと言ってくれています。いわゆる多様性を包摂した大学で育つことで、社会に出てからも色々な価値観の中で自己を確立して動いていけると思います」
ーー会見では多くの報道陣が集まりました
「それには本当に驚きました。我々はこれまで文科省記者クラブに何か取材案内を入れても、せいぜい数人くらいからしか反応がないのが、7月10日の会見には60人以上が来て、テレビカメラも6台ありました。後にも先にもこんなことはないでしょう。社会に良い影響を与えているのかなと感じました」
●2020年4月入学から受け入れ開始
ーー2020年度から受け入れ予定というスケジュールなのですね
「はい。もちろん合格すればですが、2020年4月に入学するときに、トランスジェンダーの学生が入ることになります」(試験は2020年2月または3月の受験を想定)
ーートランスジェンダーの受験生には事前に申請をしてもらうことを想定しているそうですが、今後はどのような準備を進めていきますか
「トランスジェンダーの学生を受け入れるための委員会が8月1日に正式に発足しました。その中で、今後検討すべき事項を洗い出して細かく決めていく予定です。
入っていただいた後で、戸籍の上で女子である学生とは異なり、例えば協定を締結している他大学の行事に参加できないといった場合もあるかもしれない。同じ待遇を受けられない場合もありうるということは知っておいてほしいと思います。ただ、大学としてのできる限りの支援はするつもりです」
ーー学長自身、トランスジェンダーの方と接した経験はありますか
「私は30年前にニューヨークに留学していた際、あちらには結構そういう方がいました。最初は『そうなんだ』と驚きましたが、だんだん慣れて友達にもなりました。肌の色が違ったり、性的な考え方が違ったりすることが当たり前なんだなと感じたのを覚えています。
また、実際にトランスジェンダーの若い方のお話を聞いた際に感銘を受けました。その方は『心は女性で、女性として生きたい。ぜひお茶の水で学びたい』ということで、ひたむきな気持ちを持っておられました。こういう方々を支援したいなという気持ちになりました。
いまの日本はかなりの男性社会です。(その方は)その中で女性はいかに生きるべきか、女性の活躍をどう支援すべきかという視点で学問をやっていきたいという話でした」
●日本社会、まだまだバイアスある
ーー日本社会での理解度は十分だと感じていますか
「日本の中で理解は進んできていると思いますが、まだまだバイアス(偏見)もある。そういうところを改善するのも我々の役割だと感じています。
日本社会では残念ながら、皮膚の色が違う子どもがいじめの対象になってしまうように、違いがはっきり見える人に対して寛容ではありません。そういった偏見や差別はあってはいけないことと気づいていけば、世の中は変わると思います」
ーーお茶の水女子大の決断は他の女子大にも影響を与えそうですね
「現在、津田塾大、東京女子大、奈良女子大、日本女子大でそれぞれ検討していて、近いうちに実施することになるでしょう。我々が最初にトランスジェンダーの受け入れを検討する必要があるだろうと動き出したのが2015年でした。我々の決定が、他の女子大への後押しになればいいと思っています」
ーー今回の決定で、お茶の水女子大学への寄付などの支援が今後増えるかもしれません。大学の認知度が良い意味でさらに高まったでしょうか(寄付には税制上の優遇措置あり)
「そうですね。国立の女子大学のミッションというか、どうあるべきかということは時々話題になります。現在の社会で様々な課題が残っている中で、こうしたことを実践するのは意味があると思っています」
【プロフィール】室伏きみ子、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。お茶の水女子大理学部卒業、東京大学大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)。専門は細胞生物学、生化学、科学教育
・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
多様性を受け入れることが、知識人、高学歴なのでしょうか?
「糞便は汚くない」と言っているひとを「糞便にも意味がある」として屁理屈をこねて、さらに「多様性」として受け入れるのでしょうか?
そして、学長は糞便を食べるのでしょうか?
世間の風当たりばかり気にして、こんな善悪の基準もへったくれもないのに、学長をやってられる、そんな人がトップを務められるのが現在の大学です。
トランスジェンダーという横文字を使ったり、小難しい言葉を使って、「異常性愛者」を表現しているだけです。
この世の知識人は狂っていると思います。
善良ぶって、寛容ぶって、善も悪もごちゃ混ぜにして、世の中の価値観を壊しているようにしか思えません。
特に、学長のような影響力の強い人がこのような狂った発言を平気でしているのですから、子供たちは混乱してしまいます。
「ホモなんて、気持ち悪いのに、”気持ち悪いことを気持ち悪い”と言えない」
という嘘が正論になる世の中になってしまいます。
気持ち悪いことを気持ち悪いと言えない、それこそ言論思想の自由がない時代になりつつあるのです。
善も悪もクソも味噌もごちゃ混ぜにしているだけだとわからない段階で、彼ら、彼女たちは、「単なる学歴馬鹿」としか言いようがありません。
学問は世の中をよくするために学ぶものであるのに、彼らは私利私欲、自己の名声を手にいれるために、それらをしているだけなので、クソも味噌もごちゃ混ぜにすることに何ら無責任も感じないのでしょう。
ホモ、つまり同性愛者を受け入れるということは、ロリコンつまり小児性愛を受け入れるということと何が違うのでしょうか?
小児性愛者にとって、ロリコンや小児性愛に関する意識は、甘美なもので、幸せを感じることかもしれません。
しかし、子供たちやその親にとってはたまったもんじゃありません。
ただ、快楽を追求し、欲望を満たすために、彼らはそういったことを追い求めますが、その結果どうなるか?など想像をしたことがあるのでしょうか?
学校の先生や、キリスト教の牧師や神父に性的暴行を受けた子供たちは、心に傷を負って生活しています。
こういった「性の解放」を謳って行われていたのがアメリカで起こった「ヒッピー文化」です。
・・・・・・・・・・・・・・・(ヒッピーって何ですか?)
1960年代、アメリカ合衆国では、青年層を中心にして既成の社会体制と価値観からの離脱を目ざす対抗文化countercultureの運動が生じた。
この運動とそれを担った人々をヒッピーという。
アメリカと同様に高度な産業化を実現したイギリス、フランス、日本などにも波及した。ことばの由来に定説はないが、音楽とくにジャズやブルースに熱狂して忘我状態に陥ることを黒人の俗語でhip, hepといい、ここから派生した。
産業社会の豊かさは、主要な支持層である中産階級に、合理的で物質主義的な生活様式と生き方をもたらした。
ヒッピーは彼らをスクウェア(堅物)とよび、主流文化からのドロップアウトを図った。
なによりも自由と愛という人間的な価値を尊重するヒッピーは、自分自身のために生きるため、原始的共同生活を営んだ。
男たちは、ひげを伸ばし、長髪を好み、ジーンズをはいた。
女たちも、長い髪にミニスカートをはき、ペンダントをかけたり、サンダルを履いた。
ボヘミアン的ライフスタイルと平和主義を象徴するものとして、彼らは好んでハトや花のシンボルを使用した。他方ではまた、テクノクラシーの基盤をなしている客観的知識=科学と理性に疑いを表明した。
彼らは理性の尊重よりも感性の解放を求め、音楽、ドラッグ(LSD、マリファナ)、東洋の神秘主義思想(禅や道教)などによる意識の拡大化と変革を志向した。詩人のA・ギンズバーグは、これらの優れた実践者、導師として彼らの尊敬を集めた。
ヒッピー運動は、イデオロギーに基づく社会変革よりも、個人の意識変革を目ざす文化運動であった。
1960年代後半には、人種問題、ベトナム反戦などの社会運動と呼応して盛り上がりをみせたが、70年代に入ると急速に終息した。しかし、彼らの思想や風俗は、その後、主流文化に浸透するとともに、エコロジー運動、反核運動、ニューサイエンスなどに受け継がれている。
・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
要するに、快楽主義、「考えるよりも快楽に溺れなさい」という人間を動物以下に堕落させる運動でした。
現在の知識層とは、「目に見えるものだけ」を追い求める、現世利益集団となってしまっています。
それは、この世の知識層が「物質主義」であり、「唯物論」という宗教を信仰しているからです。
私たちが、生きていて、「なぜ、苦しくなるか?」
と考えたとき、ほとんどの人は答えることはできません。
なぜ苦しくなるのか?なぜふと虚しくなるのでしょうか?
それはふとした瞬間に
「自分の人生は、本当にこれで正しかったのだろうか?」
と疑問に感じるからです。
それはどういうことか?というと、
「基準を持っていない」=「自由放任主義」という生き方は、ある意味、束縛がないですが、
「目的地を持たず、旅をしている状態」と同じだからです。
人生が上手くいっている時は大丈夫なのですが、どんな人でも上手くいかなくなる、八方塞がりになる時が来ます。
それは、仕事とか恋愛とか家庭などありますが、
やはりその多くは、老い、病気や事故、そして、「死」ではないでしょうか?
私たちは、普段そういった事実から目を背け、「死を遠ざけて」生きています。
いつも「死ぬことばかり考えている」人は病的である可能性はありますが、「自分が死んだら、貯金や人脈や恋人や車、全て持っていくことができないんだ」という事実と向き合うことは大切です。
それらの、持っていくことができない、物質的なものを手に入れるためだけに「日々あくせく働く意味」について考えれば、
「それらの物を手に入れるために、人生を捧げ、お金を稼ぐこと」にどれだけの価値があるのだろうか?と気づくはずです。
本当に賢い人であれば、世の中の価値観の矛盾に気付くはずなのです。
ましてや、「あの世に持っていけない物を手に入れるために、不正を働き、欲を抑えることなく、節制せず、欲望に負けた生き方」をすることは、「動物以下」だと思いませんか?
私たちは、快楽の赴くままに、動物のように、生きることが正しい生き方なのでしょうか?
人間のように高度な発達した脳があるのにもかかわらず、恋人、酒、たばこ、ギャンブルといった強い刺激や、富、権力、名声といったものを追い求めることが、果たして高い人間性なのでしょうか?
私たちは「基準を持たないまま」大人になってしまいました。
世の中の誰も基準を知りません。
そして、いくら東大を出ようが、医学部を出ようが、その基準を知りません。
「お金を稼ぎ、贅沢すること、欲望を叶えること、周りからチヤホヤされ、他人がうらやむような生活をすること」
くらいしか人生の成功を考えられないのです。
「人生の基準」について知りたい方は「こちら」から学んでください。
そして、意味のある、価値のある人生を歩んでください。