室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

ヨーロッパ系ジェントルマン

2010-01-11 15:23:23 | Weblog
昨日のつくばの本番で指揮をしたのは、橘直貴さん。

四方八方に心配りをする“良い人”です。

ビジュアル系なのに、ご本人はそう思っている様子はなく、殆どの指揮者のように“君臨”したがっている風でなく、ホントに“良い人”です。

昨日の本番後、「これから飛行機に乗って地方に行くので、せっかくの素晴らしい花束を枯らせてしまうともったいないから」と私に花束を下さいました。お花を下さったから“良い人”と言っている訳じゃないんですよ。

駅に向かう道が工事中で、階段を通ったら「あ、僕がお持ちします」と言って、私のキャリーバッグを持って下さるんですよ。指揮者は普通、ヒトに荷物を持たせることはあっても、自分の荷物の他にヒトの分まで持って階段を降りたりしないでしょう?「橘さんがヨーロッパ系紳士なのは知ってますけど・・」と大変恐縮したんですけど、サッサと持たれてしまったので、追いかけるしかありませんでした。

つくばエクスプレスは秋葉原まで45分。けっこう乗るのですが、始発駅ですから初めは「オケの貸し切りみたいですね」と笑うくらい、一緒に演奏していたメンバーがゆるゆるに座っていました。途中、70代くらいの年配の女性が乗っていらしたら、橘さんが、スッと立ってすぐに席をゆずりました。驚きました。

私も、けっこう席をゆずる方ですが、一瞬、橘さんに気を遣わせてしまうかな・・、と躊躇してる間に先にやられてしまいました。その時の立ち方といい、荷物の持ち方といい、これは習慣的にしている事なのがよく分かります。さすが《ヨーロッパ系ジェントルマン》です。(私の周りでは、他にはあと一人かな・・)
写真は、その《ヨーロッパ系ジェントルマン》に頂いた、“つくばの花束”です。

ノバホールの壁に

2010-01-11 15:10:35 | Weblog
きのう行った、つくばの“ノバホール”は、楽屋通路から舞台ソデにかけて、多くのミュージシャンのサインが壁を埋め尽くしています。

コンクリート打ちっぱなしの壁に、有名な演奏家の名前をいくつも見つけることが出来ます。

その内のひとつ。これだーれだ?

“チック・コレア”って書いてありますよね?

きっと「いい響きの素晴らしいホールだ」と言って、関係者を喜ばせたんでしょうねー。

チックのようなミュージシャンは、モニター無しで演奏する事はあり得ないし、だいたい上手の端っこで弾くなんてあり得ないもんねー。

・・・なーんて思いながらパチリッ

つくば行き

2010-01-11 12:28:48 | Weblog
昨日は、つくばの“ノバホール”で地元の幼稚園主催のコンサートがありました。

かなり長く続いているコンサートです。ピアノは毎回入るとは限らないのですが、このところ『唱歌メドレー』を園児の皆さんが歌う企画が続いていて、編曲もあり、私も続けて参加させて頂いています。

園児の皆さんの歌声が可愛らしくて、たまりません。『雨ふりお月さん』の「しゃらしゃーらー」と歌って高くなるあたりを、普通なら子供はほとんど怒鳴るように歌うかと思われるのに、こちらの園児さんは自然にきれいな声で歌います。お行儀も良くて、2時間のコンサートを走り回ることもなく、おとなしく、でも反応するところは反応して、ちゃんと聴いています。厳しくしつけされている様子でもなく、ただ感心してしまいます。

ホールは響きが豊かで、美しく音を増幅してくれるのですが、オーケストラの人数が広がると、上手(かみて)から下手(しもて)まで、かなりの距離になり、“時差”が発生します。これが厄介です。

ピアノは一番上手にあって、打楽器の小物群はおよそ20mくらい向こうの下手奥。自分の位置からは打楽器が遅れて聞こえるのです。自分の耳でぴったり同時に弾こうとすると、タイミングを待たなければなりません。ところが、打楽器からは私がとても遅れているように聞こえるのです。

これは、単純に距離だけの問題ではないように思います。ホールの形もあるんじゃないかなあ。客席で聴くより、ステージ上の方が残響が長い印象でした。楽器セクションごとのサウンドが、調理台の上にパンケーキをお布団のように重ねて、その合間にチョコレートやフルーツ、ホイップ生クリーム、仁丹などが見え隠れする《巨大なパフェ》のように聞こえました。

人間の耳に(頭脳に?)同時に認識できる音は4つか、5つがせいぜいで、あとは“ブレンド”されるか、“お布団群”の中に“埋もれる”かです。このホールは“ブレンド”というより“埋もれる”系なのかなあ。

本番は、とにかくグロッケンの0.4秒前をひたすらキープすることに専念して弾きました。ステージ中央の位置なら0.2秒でOKだったかなあ。  せっかく“響きの良いホール”と思っているのに、音楽的に心地良く弾いていなくて、何が“良い”のか? 誰が心地良く聴いていたのか?

前回ご紹介したシルヴューが《テアトロ・マッシモ歌劇場》で来日した時に、「日本のホールは響き過ぎが多いなあ」と言っていましたが、どうなんでしょうね?

でも、かつて“時差”を感じた記憶のある《東京芸術劇場》でもうじき本番があるので、それを思い出す良い契機になりました。不思議なことに、ここ近年は“時差”をそれほどは感じないんですけどね。

何なんでしょうね、“時差”って? ヒト、モノ、カネ・・じゃなくて、ヒト、場所、曲ですかねえ?