室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

芸術劇場、無事に終了・・

2010-01-23 17:57:01 | Weblog
昨日、無事に《東京室内管弦楽団》“音楽でめぐる世界の国々”終了しました。
いらして下さった皆さま、ありがとうございました。

『無事に・・』って、無事じゃない場合って、どんなケースでしょうね?
天候が荒れて交通機関がトラブッたとか、ゲストが変更になったとか?

いや、もちろんそんな事は無く、お客さまも満員に近く、ゲストの傾向上からかオバ様方の熱気がいつも以上に感じられる空気があふれていました。終演後、楽屋口の自動ドアを出ると、ゲストの“追っかけ(?)”の皆さんが、ザッと50人はいたでしょうか・・。「あ~ぁ、」私を見て落胆の声が・・。

まあ、いいんですけどね。私も一昨年の公演の時は、アレンジャー特権で、『千の風になって』のスコアにサインをして頂くという“ミーハー行為”をしましたからね。ナハハ・・。

私にとっての『無事に』は、ステージが広い事で起こる《時差》の問題です。東京芸術劇場は二千人近く入る大きなホールで、ステージもかなり大きくて、ピアノが置かれる上手(かみて)と打楽器群やハープが置かれる下手(しもて)は、30m くらいもあるでしょうか。単純に《距離》というだけでなく、ホール自体の音響構造、楽器の配置によって、《時差》は起きたり、さほど感じなかったりするのです。

10日ほど前に、つくばのホールで《時差》による難しさを久しぶりに経験して以来、“芸劇”での《時差》を警戒・・とは言いませんが、意識していました。ヨーロッパ系ジェントルマンの指揮者とも《時差》に備えるべく、「なるべく棒を見るようにしますから」「いや、こちらこそ良く聴いて、あとはピアノに付けますから」と『よろしくネ』のエール交歓をリハ、ゲネプロ、と繰り返して備えました。

本番・・実際のところは、どうだったのか、自分のイメージと同じなのか、ズレていたのか、タイミングだけでなく、バランスも、流れも、雰囲気も、印象も、客席でないと分かりません。ステージと客席、同時に居られないのですから。自分に分かることは、「その時に自分に可能なベストを尽くしたか」だけです。


写真は、芸劇の正面エントランスの長~いエスカレーター。出演者はもっぱら楽屋口からの出入りだし、地下のリハーサル室は地下からだし、このエスカレーターに大勢の方が運ばれる情景を目にすることは、実は稀なんです。シャッターを押す10秒前は、切れ目がないくらい大勢の方が降りていらしたんですが、携帯のカメラモードの起動を待っている間に、自分が思ったシャッターチャンスと《時差》が生じました。本番では、気をつけたのにね。

でも、自分にとっては珍しいシーンだったので、アップしてみました。