「闇の列車、光の旅」2009年 米墨 監督:ケイリー・ジョージ・フクナガ
原題:SIN NOMBRE
サイラ(パウリナ・ガイタン)は、父と叔父とともにホンジュラスを出て自由の国アメリカを目指す。3人はどうにかメキシコまでたどり着き、米国行きの列車の屋根に乗り込むことができる。ほっとしたのもつかの間、ギャング一味のカスペル(エドガール・フローレス)らが、移民たちから金品を巻き上げるために列車に乗り込んで来て……。
中米の魅惑的な列車によるロード・ムービーという事なら見逃せません。
不法移民の少女とギャングのリーダーを裏切り追われる身となった少年の物語。
ブニュエルが「忘れられた人々」を撮ってから50年以上たって、メキシコ初め中米の青少年の状況は何が良くなって、何が相変わらず悪いのか、私には知る由もない。
ここに出てくるカスペルは、学歴も手に職もない少年が生きていく手段としてギャング団に入っていて、年少のスマイリーも巻きいれ、殺伐としたバイオレンスな展開を繰り広げる。50年前と変わらない、否、もっと劣悪になっているように思えるメキシコの過酷な環境が映し出される。これは、ある意味ノンフィクションの世界なわけです。実際、ギャング団のマラ・サルバトルチャー(MS-13)というのは実在していて中米の社会問題になっているとか。
監督は社会問題を取り上げる映画にしようという気はなかったと言っていますが、日本人がなかなか知る事のない不法移民の実態などにどうしても一つのテーマを見てしまう。
列車の屋根の上に乗り不法移民として入国しようと命がけの旅をする人々。
これも貧しい近隣の人々、その子供たちから列車の屋根に向けて放られるオレンジ。列車の窓から貧しいしい子供たちにお菓子を投げ与える嫌らしい日本人観光客という光景は見たが、これはその逆だ。
また、ある時は不法移民に迫害的に投じられる石礫。
途中下車のステーションでの水浴び風景。
ホンジュラスの丘から見下ろすテグシガルパの風景や列車からの魅惑的なメキシコの風景、陽気なラテン・ミュージック。
過酷な中南米のリアルが、そういった風景の中に潜んでいるわけです。
闇のような列車の旅に光などあるのでしょうか。
カスペルにはギャング団の復讐で殺される事、死に対する恐れなどありません。「生きていくのもままならない」絶望から・・・
そこで出合った少女との恋愛(そういう描写はありません)というにはあまりにもピュアな信頼感情。少女の恩人に対する無防備なまでの信頼。
2人の中に共にアメリカの地へ行くという連帯が生まれた時、この旅に微かな光が見えたような刹那、皮肉にもそれまで奇跡的に逃れてきた死が突然、現実として突きつけられるのです。
重い展開の中にラスト、サイラが電話するシーンに光を見出したい気持ちになります。
TOHOシネマズ シャンテ
原題:SIN NOMBRE
サイラ(パウリナ・ガイタン)は、父と叔父とともにホンジュラスを出て自由の国アメリカを目指す。3人はどうにかメキシコまでたどり着き、米国行きの列車の屋根に乗り込むことができる。ほっとしたのもつかの間、ギャング一味のカスペル(エドガール・フローレス)らが、移民たちから金品を巻き上げるために列車に乗り込んで来て……。
中米の魅惑的な列車によるロード・ムービーという事なら見逃せません。
不法移民の少女とギャングのリーダーを裏切り追われる身となった少年の物語。
ブニュエルが「忘れられた人々」を撮ってから50年以上たって、メキシコ初め中米の青少年の状況は何が良くなって、何が相変わらず悪いのか、私には知る由もない。
ここに出てくるカスペルは、学歴も手に職もない少年が生きていく手段としてギャング団に入っていて、年少のスマイリーも巻きいれ、殺伐としたバイオレンスな展開を繰り広げる。50年前と変わらない、否、もっと劣悪になっているように思えるメキシコの過酷な環境が映し出される。これは、ある意味ノンフィクションの世界なわけです。実際、ギャング団のマラ・サルバトルチャー(MS-13)というのは実在していて中米の社会問題になっているとか。
監督は社会問題を取り上げる映画にしようという気はなかったと言っていますが、日本人がなかなか知る事のない不法移民の実態などにどうしても一つのテーマを見てしまう。
列車の屋根の上に乗り不法移民として入国しようと命がけの旅をする人々。
これも貧しい近隣の人々、その子供たちから列車の屋根に向けて放られるオレンジ。列車の窓から貧しいしい子供たちにお菓子を投げ与える嫌らしい日本人観光客という光景は見たが、これはその逆だ。
また、ある時は不法移民に迫害的に投じられる石礫。
途中下車のステーションでの水浴び風景。
ホンジュラスの丘から見下ろすテグシガルパの風景や列車からの魅惑的なメキシコの風景、陽気なラテン・ミュージック。
過酷な中南米のリアルが、そういった風景の中に潜んでいるわけです。
闇のような列車の旅に光などあるのでしょうか。
カスペルにはギャング団の復讐で殺される事、死に対する恐れなどありません。「生きていくのもままならない」絶望から・・・
そこで出合った少女との恋愛(そういう描写はありません)というにはあまりにもピュアな信頼感情。少女の恩人に対する無防備なまでの信頼。
2人の中に共にアメリカの地へ行くという連帯が生まれた時、この旅に微かな光が見えたような刹那、皮肉にもそれまで奇跡的に逃れてきた死が突然、現実として突きつけられるのです。
重い展開の中にラスト、サイラが電話するシーンに光を見出したい気持ちになります。
TOHOシネマズ シャンテ
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