1983年紹興にて
1982年秋から北京に留学していた私は、1983年2月の春節休みを利用し、中国国内の旅行をしました。途中、江南地方では、蘇州と杭州に滞在したのですが、杭州から列車で、文豪魯迅の故郷、紹興へ日帰りで行きました。杭州から、2時間ぐらいの距離であったと思います。紹興の駅に着き、街に出ると、人々がかぶる帽子が独特なものなので、驚きました。思わず撮ったのが上の写真です。「烏氈帽」と言います。
「烏氈帽」、黒いフェルト帽は、中国浙江省紹興市で、人々がかぶっていた独特な帽子です。内も外も黒色で、頂上が丸く、端が巻き上がり、前の部分はシャベルの先のような形をしていました。冬は雨風をしのぎ、夏は陽の光を避け、冬暖かく夏は涼しく、一年中使うことができました。丈夫で傷みにくく、分厚くて固く、濡れても乾きやすく、経済的であったので、幅広い人々が使いました。
1983年紹興にて
明の張岱は、「秦漢時代、羌人(チベット系の遊牧民族)に倣って氈帽を作り始めた」と言いました。明の会稽郡の人、曾石卿の詩に、「鵞黄蚕繭燕毡帽」(黄色いカイコの繭、ツバメの羽のように黒い氈帽)という句があります。
烏氈帽の成り立ちと、紹興の人々の、古くから黒を尊ぶ審美感は、切り離して考えられません。紹興は、古くは「於越」の地で、「於」とは烏のことです。紹興は今に至るまで越文化の影響を深く受け、紹興の氈帽が黒色なのは、紹興人が黒を貴ぶ他、紹興の風俗習慣と切り離せません。紹興人は、葬儀の時白い帽子をかぶるので、日常生活では、白い帽子をかぶるのを忌み嫌ったと言われています。
清の光緒25年(1899年)、潘尚升が紹興袍瀆から中心部の西営に移り、潘万盛氈帽店を開店しました。ここが紹興の代表的な氈帽の製造先でした。
烏氈帽の材料は羊毛で、先ず選別し、ふわふわやわらかく加工し、脂肪分を抜いて後、繊維を梳いて何層にも重ね、圧縮して成形します。その特徴は、水がしみ込みにくく、汚れがつきにくく、頭にかぶると風を遮り、雨を防ぎ、側面の曲がったところは、たばこをはさんだり、小銭を入れたりできました。
紹興というと、文豪、魯迅の生まれ故郷です。魯迅の短編小説、『孔乙己』の舞台である咸亨酒店が、1981年に紹興の中心街に復元され、観光名所になりました。旅行者は紹興に来ると、烏氈帽を買い、咸亨酒店の前で、烏氈帽をかぶって記念写真を撮る、というのがお決まりのコースとなっているようです。
下の写真の咸亨酒店は、古い民家を改装したもののようで、中は薄暗く、カウンター越しに甕から紹興酒を量り売りするような店で、正に『孔乙己』のイメージそのものでした。現在は、建て替えられ、たいへんりっぱなレストランとなり、また中国全土に支店を出しておられるようです。
1983年当時の咸亨酒店
もちろんメニューには、酒の肴として、茴香豆(ういきょうで味付けしたソラマメ)もあります。残念ながら、この時は、写真を撮らせてもらっただけで、中で飲食はしませんでした。
咸亨酒店内部
烏氈帽がこれほど有名になったのは、魯迅の作品と切り離しては考えられません。魯迅の多くの作品で、頭に烏氈帽をかぶった農民の姿が描写されています。彼は『故郷』の中で、幼いころに一緒に遊んだ、使用人の子の閏土の姿を描写する時、「紫色の丸顔で、頭には小さな烏氈帽をかぶっていた。」と表現しました。『阿Q正伝』では、「阿Qはちょうど現金の持ち合わせがなく、烏氈帽を質草にした。」と書きました。烏氈帽が、紹興の庶民の間では、ごく普通に見かける帽子になっていたことがわかります。
江南の水郷の町、紹興。小さな手漕ぎ船に、烏氈帽をかぶった船頭さんの姿がよく似合います。
烏氈帽と烏篷船
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