磬錘峰(けいすいほう)
有名な承徳十大景は、避暑山荘と外八廟の周囲に広がり、あるものは近く武烈河のほとりにあり、あるものは遠く十数里外にあり、均しく天然に形成された奇峰異石であり、多種多様な姿をしている。人々はそれぞれ形状に基づき、様々なイメージの名前を付けた。例えば、磬錘峰、蛤蟆石、鶏冠山、僧冠山、羅漢山、元宝山、双塔山、月牙山、饅頭山などである。
避暑山荘から東を望むと、先ず目に映るのが、 磬錘峰(けいすいほう)である。これは上部が太くて下部が尖っていて、形が棒槌(きぬた)のように倒立した奇峰で、俗に棒槌山と呼ばれる。この峰は崖のほとりにきわどく立ち、峰の頂には背の低い樹木が群生し、峰の腰部の岩の隙間には古い桑の樹が生えている。伝説ではこの桑の実(桑葚)はたいへん甘美で、食べると仙人になれる。この峰の最も古い記載は、北魏の地理学者、酈道元の『水経注』に見られる。「武烈水は東南に石挺を歴(へ)て下り、層巒の上に挺(ぬきん)で、孤石雲挙し、崖の危峻に臨み、高さ百余仞(ひろ。七尺、または八尺)になる可し。」彼が言う「石挺」は磬錘峰のことである。峰の南に怪石があり、頭を昂げた鼓腹の青蛙にたいへん似ている。これが十大景中の 蛤蟆石である。
蛤蟆石
東側の更に遠い群山峻嶺の中に、天橋山がある。山頂は南北に走る巨大な平台で、台の下は中空になっており、まるで雲の端に浮かぶアーチ橋のようである。牧童は雨に遇うと、いつも牛を追って「橋」の下で雨宿りをする。民間の伝説では、この橋は天に通じるとされ、それゆえ天橋山と呼ばれる。
天橋山
避暑山荘東南の武烈河畔には、いくつもの峰が高く突き出ている(突兀而起)。その中の一峰は老僧が静かに座り、目を閉じ心を休めているようで、頭、胸、腹、臂がひとつひとつはっきりと見ることができる。これが羅漢山である。
羅漢山
ここから南を望むと、僧帽が頂を覆ったような形の高峰が見える。これが 僧冠山で、そこにはいつも雲霧がからみつき、山の峰が見え隠れする。
鶏冠山は避暑山荘の東南数十里の外にある。山の頂は険しい峰が聳(そび)え立ち、高さがまちまちで、雄鶏の鶏冠によく似ている。満月が空に懸かる時、山の影を数十里外まで引きずり、「鶏冠掛月三千丈」、その景観は奇異で、たいへん見ものである。
山荘から西に行き、広仁嶺を越えると、滦河の水辺で流れがゆっくりになるところの丘の上に、二つの峰が抜きん出て突っ立っているのが見え、まるでふたつの塔が並立しているようだ。これが双塔山である。
双塔山
北側の峰の方が大きく、扇形をしている。南側の峰はやや小さく、丸い形をしていて、直径はわずか10メートル、高さは約40メートルである。ふたつの峰は共に上が大きく下が小さく、よじ登るのが困難である。南峰の頂上にはレンガ造りの建物が建ち、或いは廟、或いは塔であると言われている。清の紀昀の『閲微草堂筆記・滦陽続録』の記載によれば、乾隆の庚戌の年(1785年)、乾隆は人を遣って木を架けて梯子とし、山に上って実地調査をさせたところ、比較的大きな山の峰の頂の周囲は106歩、中に小屋があり、屋内のテーブルの上に香炉が置かれ、「中に石片が供えられ、「王仙生」の三文字が刻まれていた。」最近の調査によれば、峰の上の建物は遼代に建てられた墓塔で、塔の上の何層かは既に崩れているが、底層はまだ比較的完全に残っている。
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