中国語で、文法上の最小単位は“詞”であり、これは通常、2音節、ないしは3音節である。一方、これを表す文字、すなわち漢字は単音節である。一つの漢字の音節構造は、声母(子音)+韻母(母音)+声調である。
声調は一般に語義を明確にする役割を持つが、音節の高低、昇降の変化をつけるため、その結果、ある意味で、音楽的な美しさを持たせている。この特徴を活かして、文の修辞技法としたのが、平仄(ひょうそく)である。
ただ、平仄の規則が生まれたのが、古代漢語においてのため、現代漢語とは、文の音韻構造に違いがある。このことが、現代の我々からみると、平仄をいささか分かりにくくしている原因である。しかし、現代文の修辞技法にも、一部、平仄の考え方は生きている。本稿では、現代文にも通じる、平仄について、説明を試みたい。
【1】平仄とは
客観的な聴覚と発音時の感覚の上で、私たちが以下の事実を受け入れるのは難しいことではない:
1. ある文字は発音の時、口を丸くし、発音する部分は力を緩めていて、発せられた音はゆったりして長く伸ばすことができる。一方、ある文字は発音の時、口をすぼめ、発音する部分に力が入り、発せられる音は短く、激しく、不明瞭である。(つまり、声母と韻母の異なった組合せにより作り出される)
2. 発音時に更に音の高低、アップダウンの違いがある。具体的に言うと、音の平らなもの、音が上がるもの、下がるもの、曲折したもの(すなわち声調の音の高さが異なるもの)がある。
平仄の区分は正にこうした客観的な存在の上に形成されている。平仄が合理的に配置された詩の文句は、読んでみると緩急が交互に現れ、高低の起伏があり、長短が結合し、弛緩と緊張が交錯し、音楽感が自然に生じる。さもなければ、舌が回らなかったり、息継ぎができなかったりで、読みにくく、また聞いて耳障りな文になってしまう。
平仄は古代の四声に相対して定められた。現代漢語の普通話の四声は陰平、陽平、上声、去声である。古代漢語が現代漢語に発展する中で、四声は既に大きく異なっている。けれども今日の四声と古代の四声は一つの血統が幾代にもわたり受け継がれてきたものである:古代の平声は今日の四声の陰平、陽平の二つの声調に分化した。古代の上声と古代の去声も、おおむね今日の四声の上声と去声に相当する。古代の入声の文字は消失し、いくつかの方言の中で、異なる程度に残されている。それでは、古代の入声はどこへ行ってしまったのか。それぞれ現代漢語の普通話の四声の中に移され、“入派三声”(「入声は三声に割り当てられた」。陰平と陽平は平声と通称され、これに上声と去声を加え、合わせて三声となる)と呼ばれる。このことが、今日の人々が平仄を識別するのに一定の困難さをもたらせている。
【2】古代の人々の音韻の探究と入声の成立
古代の四声は声調を指すだけでなく、古代の声母、韻母とも関係がある。古人は、漢字の音節は声母、韻母、声調の三つの部分で構成されることを研究、分析していた。例えば、唐代には漢字の代表的な声母が知られており、30の字母を制定し、宋代にはそれが増補されて36の字母となった。古代の音韻学者は更に発音の部位に基づき声母を唇音、舌音、半舌音、歯音、半歯音、牙音、喉音に分け、「七音」と称した。また発音の方法に基づき声母を全清、次清、全濁、次濁の四つに分けた。韻母について言うと、宋、元の音韻学者は韻頭の有無と類別から漢字の音韻構造を区別した。次第に“四呼”、“洪細”などの理論が形作られた。韻尾の違いにより、韻母を陰声韻、陽声韻、入声韻に分類した。古人は声調の区別と認識について、長期間の模索と蓄積を経て、斉梁の時、沈約らが四声を発見し、更にそれを自覚的に文学の創作に運用し、音律の美しさを形作った。明代の音韻学者は、四声をこう描写した。「平声は平らに言って低昴(音が下がったり上がったりすること)が無く、上声は高く呼ばわって猛烈に強い。去声ははっきりと物悲しく長く言い、入声は短く急いで終わる。」しかし、こうした描写は中国語の四声の実際を正しく表現しておらず、本当に正しく四声が認識されたのは、近代のことである。
入声について言えば、これは実は声調ではなく、一つの発音の方法である。他の三声が声調の高低、昇降の性質であるのと異なり、これは韻尾により確定する。伝統的に、入声はこう言われている:「入声は短く急いで終わる」。このことは、入声の文字は、b ,p ,g等の子音で終わることを指す。現代漢語の普通話には子音で終わる発音方法が無いので、昔の入声の読み方は、現代人には分かりにくい。私たちは今日では古音の読み方を正確に理解することはできないが、方言を通じて推測することはできる。 例えば広東語で、“白”は“bak”、“郭”は“guok”、“別”は“bit”で、語尾は何れも促音で終わるが、これが入声である。
入声は発音方法の範疇であるのに、この分類がどうして一千数百年もの間影響してきたのか。実は、四声を最初に発見し、運用をしたのが、南朝の沈約であったことによる。そのため、古代の四声の区分を“沈分法”という。沈約は江浙(今の江蘇、浙江両省)の人で、四声の規則を区分、制定する際には、当然入声のある呉地方のなまりが基礎になった。彼は声調を分類する時、一種類の短い音がやや特別であることを発見し、それらを一つの種類にまとめ、一つの声調とし、これを“入声”と称した。これが入声という文字の由来である。沈約は大学者で、大官僚であり、その影響力は大変大きかった。ましてや沈約は「天の時」「地の利」を得ていた。「天の時」とは、南北朝の時、経済の中心が次第に黄河流域から長江流域に移ったことを指す。「地の利」とは、広大な東南地区が沈約の後ろ盾となり、江南の才子が沈分法に対し同意しやすかったことを指す。更に後に歴代の王朝の“韻書”が何れも“沈分法”を採用した。このように一旦社会に認められた習慣となり、そのうえ支配層の認可があったことで、この分類が代々受け継がれることとなったのである。
(次回に続く)
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
今年は、中国共産党成立90周年、辛亥革命100周年と、過去の歴史を振り返る大きな行事が重なっています。本当は、これに918事変、つまり柳条湖事件が80周年を迎え、これも記念行事が行われましたが、これは震災復興で苦しむ日本を考慮してか、あまり大きな取り上げ方はされませんでした。
さて、辛亥革命については、一般に1911年10月10日の武昌蜂起を記念し、10月10日をその記念日とするのが一般的です。ところが、中国政府は、辛亥革命100周年の記念式典を1日前の10月9日に行いました。これには、大きな意味があり、台湾に対する政治メッセージが込められています。
つまり、翌10月10日は台湾の双十節で、台湾政府が記念式典を行うことから、それを前に、中国政府としてのメッセージを台湾に発したということです。
これに対する、馬九英の反応が、大陸に対し、独立を主張するものになることは当然織り込み済みです。
それでは、この中国政府側の記念式典のメインイベントである、胡錦涛のスピーチの内容の一部を見ていきましょう。
■[1]
( ↓ クリックしてください。中国語の原文が表示されます)
・緬懐 mian3huai2 追想する。過ぎ去った事柄や、亡くなった人について言う。
・功勲 gong1xun1 勲功。手柄。
・矢志不渝 shi3zhi4 bu4yu2 志を変えないことを誓う。“矢志”は「心に誓う、志を立てる」の意味。
□ 100年前、孫中山先生を代表とする革命党の人々が世界を震撼させた辛亥革命を発動し、中国に嘗て無かった社会変革をスタートさせた。本日、私たちは辛亥革命100周年を厳かに記念し、孫中山先生ら、辛亥革命の先駆者的な歴史的勲功を心から追想するものである。すなわち、彼らの中華を振興するため、その志を決して曲げなかった、崇高な精神を学び発揚させねばならず、国の内外の若者たちが中華民族の偉大な復興のため共に奮闘することを激励する。
■[2]
・大声疾呼 da4sheng1 ji2hu1 大きな声で叫ぶ。呼びかける。“疾”は「すばやい、激しい」の意味。
・亟 ji2 [副詞]速やかに。はやく。
・拯 zheng3 救う。助ける。
・水火 shui3huo3 〈比喩〉“水深火熱”の略。災難の意味。[用例]処于chu3yu2~之中(塗炭の苦しみにある)
・躋身 ji1shen1 あるレベル、領域に登る、身を置く。[用例]~于明星之列(スターの地位に昇る)。“躋”は「登る、達する」の意味。
・一往無前 yi1wang3 wu2qian2 困難にめげず、勇往邁進する。
・再接再 zai4jie1 zai4li4 [成語]努力に努力を重ねる。なおいっそう励む。
・浪潮 lang4chao2 あらし。うねり。大規模な社会運動、大衆活動を指す。
□ 孫中山先生は偉大な民族の英雄であり、偉大な愛国主義者であり、中国民衆革命の偉大な先駆者である。孫中山先生は時代の先端に立ち、「世界の潮流に適合し、人々の求めに合わせ」、「速やかにその民衆を水火の災いから救い、(中国という)建物の将に傾かんとするを助け起こさん」と声高に叫び、封建専制統治に反対するという闘争の旗印を高く掲げ、民族、民権、民生の三民主義の政治綱領を提出し、率先して「中華振興」のときの声を上げ、中華民族を封建専制統治と外国列強の侵略から抜け出させ、中国を世界の発展進歩と歩調を合わせ、世界の先進のグループに昇らせることを望んだ。孫中山先生は自身の模範的行動により、「我が志の向かう所、困難にめげず勇往邁進し、挫折すればするほど益々奮闘し、なお一層努力する」との誓いを実現した。彼の指導と影響の下、多くの革命党員と無数の愛国の志士が「中華振興」の旗印の下に集まり、幅広く革命思想を伝播し、積極的に進歩のうねりを引き起こし、続けざまに武装蜂起を発動し、革命の大勢の形成を大いに推進した。辛亥革命は清王朝の統治を打ち倒し、中国の何千年にも亘る君主専制制度を終わらせ、民主共和の理念を伝播し、巨大な震撼力と深刻な影響力により近代中国の社会変革を推進した。歴史のプロセスと社会条件の制約により、辛亥革命は旧中国の半植民地、半封建の社会の性質を改変せず、中国人民の悲惨な境遇を改変せず、民族の独立、人民の解放という歴史の任務を完成させはしなかったが、これは完全な意味での近代民族革命を創出し、中華民族の思想解放を最大限推進し、中国の進歩の潮流の水門を開き、中華民族の発展と進歩のため、道を探索した。
※ ここで注目すべきは、引用されている、孫文の言葉です。
“亟拯斯民于水火,切扶大厦之将傾”。これは、1895年1月24日、孫文による《興中会宣言》の中の一節です。アヘン戦争以来の欧米列強による侵略と国力の衰退の続く中、前年の日清戦争(甲午戦争)の敗北のショックが、この言葉になったのでしょう。
胡錦涛スピーチのこの部分は、翌日の《人民日報》社説“為中華民族偉大復興而共同奮闘”でもそのまま引用されていました。中国の人々の胸を打つ内容と言えましょう。
■[3]
・彪炳 biao1bing3 輝き。光り輝く。[用例]~千古(とこしえに光り輝く)。
・史冊 shi3ce4 歴史の記録。[用例]名垂ming2chui2~(歴史の記録に名を残す)。
・巍然 wei1ran2 巍然(ぎぜん)と。山や建物が高くて雄大なさま。[用例]泰山~聳立song3li4(泰山は巍然とそびえ立っている)。
・屹立 yi4li4 屹立(きつりつ)する。高くそびえ立つ。確固として揺るがない。
□ 孫中山先生と辛亥革命は、率先して中華民族が打ち立てた歴史的な功績と輝かしい歴史の記録となった。辛亥革命の中での英雄的に奮闘し、壮烈な犠牲となった志士たちは、永遠に中国人民が尊敬し記念するに値する。辛亥革命は、永遠に中華民族の偉大な復興のプロセスの上での巍然とそそり立つマイルストンである。
■[4]
・仁人志士 ren2ren2 zhi4shi4 仁愛のある正義の人。衆人のために自己を犠牲にする人。
・夢寐以求 meng4mei4 yi3qiu2 [成語]どうしても手に入れたいと思う。寝ても覚めても追い求める。
□ 中国共産党員は孫中山先生が始めた革命事業の最も確かな支持者で、最も親密な協力者で、最も忠実な継承者であり、孫中山先生と辛亥革命の先駆的な偉大な抱負を絶えず実現し発展させてきた。中国共産党は成立の初期に、反帝反封建の民主革命綱領を出し、孫中山先生の率いる中国国民党と手を携え協力し、最も幅広い革命統一戦線を打ち立てた。辛亥革命後、何度も挫折に遭った孫中山先生は、中国共産党員を親密な友人とし、毅然と国民党を改組し、「ソ連との連携、共産党(コミンテルン)との連携、農民、工場労働者の支援」という三大政策を実行した。国共両党の第一次合作は、全国を席巻する革命の新たな情勢を形成し、北洋軍閥の反動統治に甚だしい打撃を与えた。孫中山先生逝去の後、中国共産党員は彼の残した宿願を継承し、全ての彼の事業に忠実な人々と共に努力し、引き続き奮闘した。20数年の想像を絶する苦しい闘争を経て、中国人民は遂に新民主主義革命の勝利を勝ち取り、人民を主人公にする中華人民共和国を打ち立て、近代以来、中国人民と無数の仁愛ある志士たちが寝ても覚めても追い求めた民族の独立、人民の解放という歴史的任務を完成させ、中華民族の発展進歩の歴史的な新紀元を切り開いた。
※ 中国側の辛亥革命の評価は、孫文が三民主義を当初のものから、容共の新三民主義に変化させ、第1次国共合作による国民統一戦線が成立し、中国共産党による最終的な国家統一の礎を作ったことにあると思います。その考えは、今年7月の中国共産党成立90周年を前に中央電視台で放映された大河ドラマ、《開天闢地》のメインテーマとなっています。
■[5]
・宏願 hong2yuan4 偉大な志。大きな願望。
・九二共識:九二合意。“共識”は英語の“consensus”の訳で、多国間協議などで、共同声明や宣言まではいかないが、意見の一致にまでは至ったことを表すのに、この言葉を使い、近年は環境問題での国際会議などでよく用いられる。“九二共識”とは、大陸と台湾の間で、直接対話が始まり、1992年に「一つの中国」を目指そうという合意が形成されたことを指す。すなわち、台湾側が大陸問題について、従来の「三不政策」(大陸側とは「接触せず、妥協せず、交渉せず」)では、実際に発生していた両岸の人員の交流、経済、文化活動の実施に支障が出るようになったため、1990年11月、台湾で政府の権限移譲を受けた民間の中立団体、「海峡交流基金会」が成立、これに呼応し、大陸側も中共中央台湾辧公室、国務院台湾辧公室により、同年12月、「海峡両岸関係協会」が設立された。1992年10月、香港で、両団体は“公証書”(公証証書)の使用という事務的な問題解決の交渉を行ったが、この中で、台湾側は初めて“公証書”の手続きは「中国内部の問題である」、と認めた。しかし、「基金会」の性格上、政治には触れないこととなっていたため、「一つの中国」の問題については、これ以上の議論はなされなかった。しかし、この合意は、その後、両団体のトップである汪道涵、辜振甫の直接会談など、関係強化につながる礎となった。
・休戚与共 xiu1qi1 yu2gong4 苦楽を共にする。“休戚”は喜びと憂い。
・認同 ren4tong2 アイデンティティー。お互いに同一であると認めること。英語の“identity”の訳語。
□ 孫中山先生と辛亥革命が先駆けた「中華振興」の偉大な志は、(台湾海峡を挟む)「両岸」の同胞が共に追い求めるものである。両岸の同胞は血のつながった運命共同体であり、大陸と台湾は両岸の同胞の共同の住まいである。現在、両岸の中国人は共同の繁栄発展、共に中華民族の偉大な復興を謀る歴史的なチャンスに直面し、両岸の関係と平和発展は中華民族の偉大な復興の重要な構成部分となっている。手を携え両岸関係の平和発展を推進し、心を一つに中華民族の偉大な復興を実現することは、両岸の同胞が共に努力する目標とならねばならない。
孫中山先生は嘗てこう言った:「“統一”は中国全体の国民の希望である。統一することができれば、全国人民は幸福を享受できる。統一できなければ、害を受けるであろう。」平和里に統一を実現することが、台湾同胞を含む中国人全体の根本的な利益に最も符合している。私たちは両岸の関係の平和発展というテーマをしっかり把握し、「台湾独立」への反対と、「九二合意」を堅持するという共同の政治的な基礎を強化し、両岸同胞の密接な交流、協力を促進し、両岸関係の平和発展の成果を享受し、両岸の経済競争力を高め、中華文化の優秀な伝統を発揚させ、苦楽を共にしてきた民族のアイデンティティーを強め、進んでいく道にある各種の問題を絶えず解決し、両岸の対立を終結させ、歴史の傷を慰め鎮め、共に中華民族の偉大な復興の実現のため努力していこう。
※ この部分が、このスピーチの最も中心となる部分、中国政府の台湾への呼びかけの部分です。
“孫中山先生和辛亥革命先駆”という言葉を繰り返し、それぞれの話題の冒頭に使い、“同志們、朋友們!”の呼びかけを何度も使って、スピーチ全体にリズムを与えています。こうした、聴いた時に印象に残る、音のリズムというものが、中国語では詩や散文でなくてもしばしば用いられます。
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
※ 今年の国慶節祝宴。政府首脳の前に並べられた“雪桃”
重そうに実った雪桃。
9月30日夜、中華人民共和国建国62周年を祝う国宴が人民大会堂で開催され、政府首脳や各国大使、各界の代表が招待されました。これを伝えるニュースをTVで見ていて、各来賓の席の左前方の小皿の上に、大きな赤っぼい丸い玉のようなものが並べられていました。上の写真にも写っていますが、分かりますでしょうか?これは何だろう?桃のように見えるが、桃としたら、こんな大きな桃があるんだろうか?
興味をおぼえたので、献策サイトの百度で、“国慶節,国宴,大桃”で検索してみると、出てきました!2009年10月3日の雲南日報の記事《3054個麗江雪桃献礼国宴》。2009年といえば、建国60周年の年で、この年、人民大会堂管理局が、建国60周年記念行事に彩りを添える料理や食品を捜す中で発見されたものだそうです。
この桃は、雲南省の山間部、海抜2500メートルの麗江で栽培されたもので、麗江市玉龍ナシ族自治県農業局園芸局の高級園芸師、木祟鳳が7年の歳月をかけ、開発したものです。玉龍雪山の麓の標高2000メートル以上のところに生育する桃の母木に接ぎ木をすることで、1本の木に平均1.5キロの実を10個ほどつけるようになり、その木を更に麗江県農業局園林ステーションの10ムー(約6000平方メートル)の試験場で7年かけて改良し、ようやく市場に出せるものができたとのことです。ちなみに、ナシ族の言葉で、桃は“布祖”と言うそうです。
左端が木崇鳳。
この桃は、発育期が長く、200日くらいかかります。熟するのが遅く、中秋、国慶節の頃にようやく市場に出るそうです。実の大きさは、平均で500グラム前後、最大のもので、1.6キロにまでなるものもあります。瑞々しく、糖度も高く美味しいということで、北京では、なんと1個1000元で売られているそうです。
さて、傷みやすい、デリケートな桃を、雲南省の山中からどうやってはるばる北京まで運ぶかも大きな課題でした。人民大会堂の国宴では、500のテーブルに、選りすぐりの桃を並べる必要があります。全部で3054個の桃の輸送作戦が始まりました。
人民大会堂管理局は、国慶節の国宴で麗江の雪桃を出すことを決めましたが、輸送方法については、飛行機、鉄道、トラックなどの輸送手段で、29回にわたり、比較検討が行われ、最終的に、飛行機とトラックの二つの輸送手段それぞれで輸送し、リスク分散を図ることになりました。飛行機便は中国東方航空、トラック業者は昆明交通運輸集団泰来物流公司が選ばれました。実際の輸送は9月21日、麗江市の王君正市長臨席の出荷式が行われました。輸送には、最新式の保冷コンテナによる温度コントロールが行われた他、加湿器、紫外線ランプの装備が準備されました。トラック便については、特別の通行証が発行され、細心の注意で北京まで運ばれました。
果たせるかな、この麗江雪桃は大きな話題となったようで、北京市場で1個1000元の値がついたのは上記の通り。以来、毎年国慶節の国宴のテーブルを彩っているそうです。
人民大会堂の服務員達が一斉に桃を各テーブルに運ぶ
にほんブログ村
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
中国が2020年を目標に、スタートした自力の宇宙ステーション開発が注目を浴びています。宇宙ステーション開発では、宇宙空間での長期の滞在の為、いくつかのパーツに分けて、宇宙空間で組み立てる必要があり、また基地への行き来に、人を載せた宇宙船を基地に近づき、ドッキングさせる必要があります。このため、宇宙空間での基地と宇宙船のランデブー、ドッキングが安全確実に行われる必要があります。その第1段として、基地と宇宙船の無人でのランデブー、ドッキングの実験が行われますが、その疑似基地として打ち上げられたのが天宮1号です。
アメリカのスペースシャトル・プロジェクトが終了した今、国際宇宙ステーションと地球の行き来は、ロシアの宇宙船しかなく、中国の宇宙ステーション開発は世界の注目を集めています。中国政府も、天宮1号の打ち上げには、政府首脳全員が北京の司令センターと、シルクロード・ゴビ砂漠の中の酒泉衛星発射基地に分かれて訪問し、現場視察するという力の入れようでした。
当初、天宮1号の打ち上げは27~30日の間と言っていましたが、最終的に29日夜になりましたが、これは政府首脳の日程に合わせたものと思います。それまでに、呉邦国全人代委員長はロシア・中央アジア訪問の外交日程を終えており、また10月1日の国慶節を控え、政府首脳が一堂に会するのに29、30両日が実に都合がよかったのでしょう。29日の天宮1号打ち上げ視察に続き、30日夜は人民大会堂で、各界の代表や各国大使を招いての国慶節前夜の祝賀晩餐会に参加されています。大変だったのは、温家宝総理で、29日にはるばる甘粛の酒泉まで飛び、天宮1号発射基地視察、翌30日朝は酒泉衛星発射センター職員を激励し、そのまま北京へとんぼ帰り、30日午後からの中国友好賞授与式に臨み、その後、晩餐会でのスピーチ、というハードな日程でした。
この、政府首脳の天宮1号打ち上げ現場視察の記事の表現をチェックしてみましょう。
■[1]
( ↓ クリックしてください。中国語原文が表示されます。)
先ず、七言の対聯が書かれています。
■ 神州儿女多奇志 人造天宮翔太空
・奇志 qi2zhi4 殊勝な志。
□ 神州の子弟には殊勝な志の者が多い。人工衛星は宇宙に飛び立つ。
今回の衛星の開発、打ち上げに携わった、中国の若い力を称えています。
■ 胡錦涛等領導同志対天宮一号目標飛行器発射成功表示熱烈祝賀,向為此作出貢献的広大科技工作者、干部職工和解放軍指戦員表示親切慰問,勉励大家再接再、頑強拼搏,圓満完成我国首次空間交会対接任務。
・指戦員 zhi3zhan4yuan2 指揮官と戦闘員の総称
・勉励 mian3li4 励ます。激励する。
・再接再 zai4jie1 zai4li4 [成語]努力に努力を重ねる。なおいっそう励む。
・頑強 wan2qiang2 粘り強い。困難や挫折を恐れず、とことんまでやり抜く。
・拼搏 pin1bo2 力いっぱい戦って勝利を勝ち取る。苦闘して目的を達成する。
□ 胡錦涛ら政府トップは天宮1号目標宇宙飛行体の発射成功を心から祝福し、この為に貢献した幅広い技術者、幹部、解放軍の指揮官、戦闘員に対し、親しく慰問し、皆が更に努力し、粘り強く頑張ってやり抜き、我が国初の宇宙空間でのランデブー、ドッキングの任務を円満に完了させるよう激励した。
■ 夜幕降臨,地処戈壁深処的酒泉衛星発射中心載人航天発射場灯火通明,天宮一号目標飛行器発射前的最后准備工作正緊張有序地進行。
・夜幕降臨 ye4mu4 jiang4lin2 “夜幕”は夜のとばり。夜のとばりが降りる。
・戈壁 ge1bi4 ゴビ(の沙漠)。
□ 夜のとばりが降り、ゴビ砂漠の奥地にある酒泉衛星発射センターの有人宇宙船発射場は明かりが煌々と輝き、天宮1号目標宇宙飛行体の発射前の最後の準備作業が、緊張の中でも整然と進められていた。
■[2]
■ 大庁墻上,書写着胡錦涛総書記対載人航天工程重要指示“精心組織、精心指揮、精心実施,確保成功、確保万無一失”的横幅十分醒目。
・万無一失 wan4wu2 yi1shi1 [成語]万に一つの失敗もない。絶対にまちがいない。
・醒目 xing3mu4 人目を引く。目立つ。
□ ホールの壁には、胡錦涛総書記の有人宇宙船プロジェクトについての重要指示:「心を込めて組織し、心を込めて指揮し、心を込めて実施し、必ず成功し、万に一つの失敗もしない」の書かれた横断幕があるのが人目を引いた。
■ 温家宝指出,突破和掌握空間交会対接技術,是実現載人航天“三歩走”戦略目標的重要歩驟。
・載人航天“三歩走”戦略:宇宙ステーションを三段階で実現しようとする戦略。第1歩:今回の天宮1号を無人基地として軌道に乗せたら、無人、更には有人の宇宙船を打ち上げ、宇宙空間でのランデブー、ドッキングの試験を行う。第2歩:ランデブー、ドッキングに一定の経験を積んでから、一定期間、天宮1号の基地の実験室に人員を一定期間滞在させ、様々な宇宙空間での実験を行う。第3歩:より規模の大きい、長期間滞在可能な本格的宇宙ステーションを建設する。
□ 温家宝はこう指摘した:宇宙空間でのランデブー、ドッキングの技術的難関を突破し、技術習得することは、有人宇宙ステーション実現の「三段階」戦略目標を実現するための重要な一歩である。
■[3]
(この部分は全訳します。)
・蒼穹 cang1qiong2 青空。大空。蒼穹(そうきゅう)。
・耀眼 yao4yan3 まぶしい。まばゆい。
・助推器 zhu4tui1qi4 ブースター・ロケット。補助推進ロケット。
・整流罩 zheng3liu2zhao4 ノーズコーン。衛星フェアリング。ロケット先端の衛星格納部を保護するための円錐形の覆い。
・器箭分離 qi4jian4 fen1li2 衛星とロケットの切り離し。
・太陽能電池帆板 tai4yang2neng2 dian4chi2 fan1ban3 太陽電池パネル。船の帆のように、畳んであるものを宇宙空間で広げる。
□ 発射場では、高さ105メートルの発射塔のフレームの傍で、改良された長征2号FT1衛星積載ロケットはまっすぐ天空を指し、全てを搭載して発射を待っていた。
21時16分03秒、「点火」の号令とともに、天宮1号目標宇宙飛行体を搭載されたロケットは、轟音の中、天を衝いて飛び立ち、あっという間に空高く飛び、夜のとばりの中、まばゆい光の軌跡を描いた。ブースター・ロケットが分離され、ロケットのノーズコーンが分離され、衛星とロケットが切り離され、太陽電池パネルが広げられた……。約10分の飛行を経て、天宮1号目標宇宙飛行体は正確に予定の軌道に入った。
今回発射された天宮1号目標宇宙飛行体は、全長10.4メートル、最大径3.53メートルで、実験室と資源室から構成される。実験室には3名の宇宙飛行士が室内作業と生活をすることができ、その先端には受動式のドッキング機構が取り付けられ、宇宙船とドッキングを実現するこができる。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
このように、天宮1号は、「目標宇宙飛行体」という名前で呼ばれていますが、ランデブー、ドッキングの経験を積むという第1段階の任務が完了すれば、第2段階では、中国初の試験宇宙ステーションとして、ここに宇宙飛行士が長期滞在し、様々な宇宙空間での実験を行うことになります。
にほんブログ村
人気ブログランキングへ